1. HOME
  2. ニュース
  3. 「玉井國太郎詩集」突然の死から14年、遺族がまとめ出版 「音楽家ならではの感性」

「玉井國太郎詩集」突然の死から14年、遺族がまとめ出版 「音楽家ならではの感性」

玉井國太郎さん=友田裕美子さん提供

 詩人でジャズピアニストだった玉井國太郎が自ら世を去ったのは2010年4月。残された詩が「玉井國太郎詩集」として編まれ、洪水企画からこの春、出版された。

 「地鳴り/一つの空の大きさの鳥が/眼差(まなざ)しの幅いっぱいに立ち上がる」(「或(あ)る報告(鳥の影の下〈もと〉で)」から)

 「だけど/ピアノの下は井戸のように深いなあ/現象学も構造主義も/ライナーノーツも要らない/魂の非常口」(「沈黙の舌/ことば」から)

 編集した洪水企画の池田康さんは「音楽家ならではの感性がにじみ出ている作品もあり、軽やかでリズミカル。レトリックも洗練されている」と語る。

 玉井は1959年、東京生まれ。祖父は作家・火野葦平で、幼年時代は火野の書斎があった家で暮らした。都立立川高校では同級生の多和田葉子さんらと同人誌「逆さ吊(づ)り鮟鱇(あんこう)」をつくり、詩を「ユリイカ」に投稿し始めた。以降もピアニストとして都内などのライブハウスでフリージャズを演奏したり工場で働いたりしながら、詩作を続けた。亡くなったとき、かたわらのCDプレーヤーには、バッハのミサ曲集が。遺書はなかったという。

 11年には多和田さんの働きかけで「ユリイカ」に追悼企画として6編が掲載された。玉井の妹、友田裕美子さんが、兄を知る歌人や同人誌仲間らに背中を押され、詩集にまとめた。

 「6歳上の兄は、家のピアノでビートルズやドビュッシーを弾いたり、同人誌もブラスバンドもやって高校って楽しそうと思わせてくれたり、家庭の事情で多くの苦労をしたり。いろんな顔があったはず」と裕美子さん。「置いていった言葉たちが、もう一度目を覚まして歩き出していけるよう願うばかりです」と、あとがきに記した。(藤崎昭子)=朝日新聞2024年5月8日掲載