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時代小説界の彗星、高瀬乃一「春のとなり」の見事な人物造形に唸る(第14回)

©GettyImages

時代小説のなかでミステリー的なプロットを生かす

 やった、もう3冊目が出たぞ。
 高瀬乃一ファンの気持ちを代弁してみた。そう、新刊『春のとなり』(角川春樹事務所)で、もう3冊目なのだ。高瀬乃一の本は。デビュー作、『貸本屋おせん』(文藝春秋)が出たのは2022年11月、第2作『無間の鐘』(講談社)が2024年3月に出て『春のとなり』である。1年半で3冊というのは、昨今の新人としては早い。そして、すべて別の版元だ。あちこちから依頼が来ているのだろう。期待されているのがわかる。これからもきっとどんどん出るぞ。期待の新人だぞ。

『春のとなり』は18世紀の半ば過ぎ、江戸の宝暦年間に時代が設定された小説である。序と5話で構成される連作になっていて、舞台は江戸の深川堀川町だ。
 大川からほど近い堀川町の表通りから1本奥まった小路に、「丸散丹膏生薬」の看板を掲げた小さな薬の売弘所(うりひろめどころ)ができた。主の長浜文二郎は高齢もあるが目が不自由なため、ひとりでは遠出もできない。共に暮らす奈緒が時には目の代わりになるのである。薬屋なのだが、文二郎に医者の心得があるという話が広まり、いつの間にか治療を求める客が押し寄せるようになった。第1話「雪割草」の冒頭では、怪我をして出血多量になった鳶が運び込まれてくる。文二郎に指図を受けながら、奈緒がその傷を縫うのである。
 文二郎と奈緒の関係は、周囲には父と娘ということになっている。だが本当は違う。奈緒は、文二郎の長男・宗十郎の妻だったのだ。長浜文二郎は信州米坂(よねさか)藩城下に居を構える医師であった。家督は宗十郎に譲って隠居の身である。「序」では、その宗十郎が江戸勤番となり、奈緒とふたり暮らしのさまが描かれる。その舅と嫁が、なにゆえ江戸でふたり暮らしをすることになったのか。「序」と「雪割草」の間でしばらくの時が過ぎており、登場人物たちを巡る環境も変化している。その間に何が起きたのか、という疑問で始まりから読者は心を掴まれる。

 実は宗十郎は命を落としているのである。文二郎と奈緒が江戸に出てきたのは、そのことがきっかけであるとすぐにわかる。ふたりには目的があるのだ。それが物語を縦に貫く串である。強い志を持ちつつ、市井の薬屋として日々を送っているふたりの元に、次から次に傷病の患いや悩みを抱えた人がやってくる。「雪割草」で店を訪れるのは、惚れ薬を処方してもらいたいという深川芸者の捨て丸だ。彼女の思い人が本草学者の平賀源内、エレキテルを発明したことで有名なあの江戸の奇才であったというのが小説の工夫である。のちのち源内は、文二郎たちと関わりを持つことになる。第2話「願いの糸」では、4歳の男の子が病がちであることに悩む女性が現れるのだが、彼女を巡る人間模様が話の最初と最後では大きく変化して見えるという趣向がある。高瀬はミステリー的なプロットを時代小説の舞台設定で扱うのが上手い作家なのである。

人間を描く技法を知り抜いている

 第3話「冬木道」でもやはり、ミステリー的なひっくり返しがプロットの核になっている。上手いのは、文二郎が奈緒に対して抱いている屈託の思いが、そこに絡められている点である。実はこのふたり、真に心を許し合った間柄、というわけでもないのである。あることが原因で、文二郎は奈緒に対して引け目を感じてしまっている。「序」で読者の前に姿を現したときも「嫁とふたりきりで屋敷にとどまることが気づまり」だからわざわざ遠方へ往診に出かける、と語られている。奈緒のほうも、たびたび文二郎の行いに対して眉を顰める場面がある。同じ志を持って共に暮らしているふたりの間にそういう心理的距離があるというのがいい。物も言わずに心が通じてしまう間柄だったら、主人公をふたり置く意味がないではないか。文二郎は奈緒に対して遠慮があり、奈緒は舅に小さな隠し事をしている。心の隙間に挟まったそのもやもやが、時が流れるにしたがって次第に成長し、物語のうねりに発展していくのである。この作家、人間を描く技法を知り抜いている。

 宗十郎の死に隠された秘密が読者の興味を惹きつける原動力になっている。各話のプロットとはまた別に、物語全体にもミステリー的な仕掛けが施されているわけである。これで話がおもしろくならないはずはない。文二郎と奈緒の間に挟まったものが、もやもやからはっきりした形に変わるのが第4話「雪鳥」の幕切れだ。そして最終話「春の雪」へと流れ込んでいく。語りの巧みさに乗せられて、あっという間に読み終えてしまっていた。上手い。何べん書いてもいいくらいだ。この作家、上手い。

他にない読み心地の「高瀬ブランド」

 高瀬のデビュー作『貸本屋おせん』は文化年間を舞台とする物語で、主人公のおせんは、本を刷るための版木を彫る職人の娘であった。父の死後、貸本屋としてひとり身を立てることを選ぶ。本がこの世にあるというのはどういうことか、を描いた物語でもあって、読書家の心を揺さぶる文章が随所にあった。次の『無間の鐘』は、ひと撞きすればなんでも願いは叶うが来世は無間地獄に墜ち、その子も苦しみに満ちた生涯を送ることになるという、不思議な鐘を持ち歩く修験者を狂言回しとする連作だった。各話の登場人物はみな鐘を撞くことを選ぶのだが、ではどのような運命をたどることになるのか、という興味で引き込まれてしまう。ここでもひねりの効いたプロットが用いられ、驚かせてくれた。

 主人公像がまず印象的だった前2作と比べ、『春のとなり』はぐっと控えめに、大人の設定になっているという印象である。だが、上で見た通り決して弱い主人公ではない。それどころか、読み進めるにつれて長浜文二郎と奈緒はどんどん存在感を増していき、最後には読者の記憶に棲みついてしまう。時代こそ違うがふたりは、この世界のどこかにきっといるであろう実像を持ったキャラクターなのである。ミステリーの技巧を用いたプロットももちろん凄いが、この人物造形には感心するしかない。目の前にいるかのように主人公が語り、怒り、笑う。小説に求めることはそれが第一ではなかったか、と本書を読んで改めて思った次第だ。
 時代小説は現在隆盛で、注目すべき書き手が多数存在する。高瀬乃一は夜空を切り裂く彗星のように現れ、出世レースの先頭に躍り出た感がある。何よりも、他にない読み心地があるのがいい。高瀬ブランドというべき、オリジナルなのだ。凄いぞ、高瀬乃一。今のうちに目をつけておくべき期待の新鋭である。