子供の頃、よその家の塀に落書きをして、鼻歌まじり、僕は得意げに家へ帰り、母親に怒られた。耳をつままれて、塀に連れ戻され、雑巾で消した。描いている時は悪いと思わなかった。別の人間(母親)の視点が入ったことで、他人の家に迷惑をかけていると知った。気分良く描いていた絵が、何もかたちは変えず、犯罪行為になってしまった。その時の変な気持ちは今でも面白い。
本書は、著者がギャラリーの壁に絵を描くプロセスを追う。1枚の絵を、プロジェクターで投影し、なぞる。背中に絵を浴びながら、時にハシゴを登り(図版の左の手に注目!)、何度も描く。絵を描く場所はどこにあるのか、探しているようでもある。最後には雑巾で消すが、しぶとく、まるで絵が消えたくないと抵抗しているように感じる。読者は、その時、絵の気持ちになっているのかもしれない。
著者は画家としての活動だけでなく、ひとり出版社を立ち上げ、絵の不思議を本にまとめてきた。本書もその1冊。哲学研究、批評家の森脇透青との巻末対談は、noteで無料公開されている(https://note.com/takadamaru/)。絵を描くことで生じる揺れ動く気持ち、変化しない「かたち」について語っている。=朝日新聞2024年6月1日掲載