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情報社会の明日 コモンズ=共有地を作り耕す ドミニク・チェン

国立ハンセン病療養所、長島愛生園の機関誌を読む=岡山市北区、「奉還町4丁目ラウンジ・カド」提供

 2020年代に入って、インターネットを巡る状況は徐々にディストピアの様相を呈しはじめた。スマートフォンが世界中に広まって以降、情報は苦労して見つけ出すものではなく、アルゴリズムが人間の代わりに推薦するものになった。SNSでは人びとの注意がマイクロ秒レベルで監視され、個々人は自らの関心の泡に閉じ込められ、異質な他者との対立が前景化するようになった。このように、無数の「わたし」がせめぎ合う先にあるのは究極の自己責任社会だろう。そうではなく、個々の「わたし」たちが互いの差異を受け止め合いながら「わたしたち」という主語を共有できる社会像はどのようにイメージできるのだろうか。

民主主義の原点

 耕作地や牧草地など、異なる社会のメンバー同士で共同利用される土地は「コモンズ」と呼ばれる。環境資源から著作権の世界まで、様々な領域においてコモンズがいかに形成され、維持できるのかという議論が起こってきた。いわば他者が絡まり合う「わたしたち」の空間としてのコモンズをどう作るかという問いは、民主主義の原点にもつながる。『実験の民主主義 トクヴィルの思想からデジタル、ファンダムへ』(宇野重規著、聞き手・若林恵、中公新書・1100円)は、19世紀アメリカ合衆国における実験的な共同体の在り方から、現代のファンダム(アイドルやアニメなどの推しコミュニティ)までをつなげる刺激的な対話である。「間違ってもいいから、まずは行動してみる」というプラグマティズムの思想を、鶴見俊輔は「マチガイ主義」と訳し、本書の著者の宇野は「実験」と呼ぶ。あらかじめ正解の定まっていない複雑な世界において、失敗を責め合うのではなく、試行錯誤から学び合えるコモンズを耕していくイメージに勇気づけられる。

自治と相互ケア

 今日、コモンズの形成につながる行動指針は何だろうか。『コモンの「自治」論』(斎藤幸平・松本卓也編著、集英社・1870円)では、人類学者、精神医学者、政治家といった多様なフィールドを持つ執筆者らが、「自治」に基づく共同体の可能性を論じている。複数の異なる専門分野からの分析と提案を読んでいくと、市民が社会に様々な方法で参加し、貢献できる社会像が立体的に浮き上がってくる。中でも現・杉並区長の岸本聡子による、コモンの実現にはケアの視点が欠かせないという論には深く頷(うなず)かされる。彼女はケアとは「まわりの人々から人間以外の生物や環境まで気遣うこと」とし、さらにエッセンシャルワーカーなどケアに従事する人びとをケアする政策の重要性を説く。相互のケアという観点は、互恵的な社会を実現する上で不可欠なものだろう。

 他者をケアする契機は、日常生活のあらゆる瞬間に溢(あふ)れている。自分とは異なる他者の生きてきた時間を想像することは、ケアの重要な手がかりとなる。互いの異なる来歴が重なる部分を見つけられれば、共通の歴史というコモンズが紡ぎ出せるだろう。『残らなかったものを想起する 「あの日」の災害アーカイブ論』(高森順子編著、堀之内出版・2420円)は、災害の記録という共通テーマのもと、写真、手記、日記、展示、映像など、様々なメディアを用いた実践の分析を集めている。読み進めていくと、「残ったもの」の背後に膨大な「残らなかったもの」があることに気づかされる。本書は災害を起点にした記憶に焦点を当てているが、たとえ災害に直接遭っていなくても、誰しもにトラウマや苦痛の記憶があることを想起すれば、個々の「わたし」の記憶を「わたしたち」としてわかちあい、ケアする手立てを考えることが、豊かなコモンズを醸成する手がかりとなるだろう。=朝日新聞2024年6月29日掲載