私たちはノーと言えなかった。
学校に行くな、会社に行くな、出歩くな、人には会うな。家にいろ。
未知のウイルスから命を守るための代償として、私たちは自由を差し出さねばならなかった。
第171回直木賞受賞作である本書は、パンデミックで歪(いびつ)になった日常を背景にした、6編からなる小説集である。
大学を中退し、居酒屋のビラ配りのバイトをしている優斗。ワンオペ育児で疲弊している百合、調理師専門学校を出てからずっと勤めていた割烹(かっぽう)から、人員整理されてしまった元板前の恭一……。
前半の3編は気持ちの奥深いところを揺すぶられるような物語であり、自由を奪われた日々の、あの息苦しさ、やり場のなさが浮かび上がってくる。後半の3編は、緩やかに収束に向かっていったパンデミックに呼応するように、ほの淡い希望が灯(とも)る。
作者の一穂さんは、長らくBL小説界で活躍されていた方で、初めて刊行された一般小説『スモールワールズ』が第165回直木賞候補作に。この時は受賞には至らなかったものの、同作は第43回吉川英治文学新人賞を受賞。その後も『光のとこにいてね』が第168回直木賞候補作となり、3度目の候補作となった本書で受賞となった。
一穂さんの作品に共通するのは、登場人物たちを包み込むような視点だ。それは、さまざまな“罪”を描いた本書でも同様で、新型のウイルスに翻弄(ほんろう)され、理不尽を余儀なくされた人々が飲み込んだ、その無念に寄り添う温(ぬく)もりがある。先が見えなかった昏(くら)い日々、あげられなかった声をそっと掬いとって、解き放ってくれている。
“物語の力”を信じる作者の、祈りのような想(おも)いが伝わってくる一冊だ。=朝日新聞2024年8月3日掲載
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光文社・1870円。23年11月刊。6刷8万2千部。「withコロナの今だからこそ我が事として読まれている。多様でリアルな登場人物に、市井の人々の記録のような価値も見いだされているのでは」と担当者。