意見を出しあった友人と相次いでデビュー
福海さんが小説を書いたのは、なんと今回の受賞作「日曜日(付随する19枚のパルプ)」が初めてだという。
「昔、同じバンドにいた友達が小説を書いていて、ちょくちょく見せてくれるので感想を送ってたんです。そのうちに僕も書いてみたいな、と思って。A4で1枚分くらいの小説を書いて、バンドのX(旧Twitter)にアップして、『それはともかく新曲出します』って差し込むボケをやろうとしたんです。それが今回の作品の冒頭の10章と、終わりの19章です(※今作は19章で構成され、10章の次は1章と、現在と過去が交互に語られる)。書いてみたら、これ、なんか完成させられそうだなと思って昨年の春から続きを書き始めました」
会社員の福海さんは、帰宅後の20時から24時まで毎日机に向かったという。
「すっかりハマってしまって、土日もずっと書いていましたね。例の友達と書いたものを見せ合って意見を出し合っていました。応募先を『文學界』にしたのは彼のアドバイスからです」
それは……。ずっと小説を書いていた友達ではなく福海さんが受賞したことで、2人の間に軋轢は生まれなかったのですか?
「いや、すくなくとも僕の認識ではなかったですね。というのも、じつはその友達っていうのが、今年『太宰治賞』を獲った市街地ギャオくんなんです!」
ええーっ!
「イエーイ! 彼も絶対インタビューしてあげてください」
それはもちろん! それにしても初めての小説で受賞はすごいです。これまで、小説とはどんなふうに関わってきましたか。
「中学で毎朝10分読書する時間があって、そこで小説の面白さを知りました。両親が毎年、直木賞と芥川賞の受賞作は買う人たちだったので、勧められるまま読んでいましたね。『蹴りたい背中』とか『号泣する準備はできていた』とか。でも、『蛇にピアス』はちょっとまだ早いって止められましたけど(笑)。親が浅田次郎さんのファンだったので、浅田作品もよく読みました。バンドでは歌詞とかフライヤーの文章とかは書いてましたけど、小説を書こうと思ったことはありませんでした」
表現活動としてやってきたのは、文学じゃなく音楽だったんですね。
「幼稚園の頃からクラシックピアノをやってきて、中学生くらいから曲を書き出して、バンドをやって……と、ずっと音楽一辺倒です」
映画や音楽から閃き
小説を書いてみて、音楽での表現との違いは感じましたか。
「曲は思いつきで書いたものがそのままポンといけるんですけど、小説ではちゃんとまとめる作業がいる。単純に言えば、酔って曲は書けるけど、酔って書いた小説は翌朝全消しすることになりますね。より緻密な作業だと感じます」
受賞作について伺いますが、まず大きな特徴として、現在と過去が交互に入り乱れる構成があります。なぜこのような構成に?
「『パルプ・フィクション』が好きで、あの構成を小説に持ち込もうと思ったんです。初めは10章と19章だけを固定して、あとはあみだくじで並びを決めようとしたのですが、ちょっとこれやりすぎだわ、訳わからんわってなって(笑)。現在と過去を交互にすることで落ち着きました。この書き方、小説初心者の方にはおすすめです。というのも、1章がだいたいA41枚に収まる2000字くらいと短いので、ひとつひとつは思い付きさえすれば書けちゃう分量なんです。たとえば、4章がどうしても思いつかなかったら、ちょっといったん置いておいて、後から埋めようなんてこともできる」
これは、1章から19章まで時系列で書いてから交互に並び替えたんですか?
「いえ、この構造が決まってからは皆さんが読んだのと同じ順で書いたので、推敲がめちゃくちゃ大変でした。登場人物がこの時点では知らないことを、知ってるていで書いちゃったりして。推敲を含めて3か月から10年かかりましたね」
10年⁉
「10年前に書いた歌詞とかもぶち込んでるんで」
この2人、可愛くない?
今作はゲイカップルが主人公。昨今、LGBTQ+は盛んに小説の題材となっていますが、福海さんがLGBTQ+を描く時に気を配った点は。
「セクシュアルマイノリティを単純にイコール美しいもの、スペシャルなものとされることが、個人的にあまり好きじゃないです。だから〈陳腐化〉したかった。くだらない会話をして笑いあったり、あまり美味しくなさそうな炒飯食ったり、そういう〈当然、存在する〉ものとして彼らを描きたかった。理想はLGBTQ+が〈題材〉ではなくなることです」
なるほど。佑基と圭の普通の日曜日を書きたかったってことですよね。
「その通りです。僕が影響を受けた作家のひとりが向田邦子さんなのですが、彼女のエッセイは、何気ない一言やシーンに僕のリアルな生活と全く同じ温度と湿度があって、しかもそれがめちゃくちゃ面白いところがすごいなと思っていて、そういった何気ないシーンをできるだけ入れたいと思いました。美しすぎないように、でも醜すぎないように。見て見て、この2人可愛くない? って気持ちで書いていました」
受賞の知らせを受けた時の状況は。
「選考会の日は平日で会社があったんですけど、気が気じゃなくて休んだんですよ。髪を切りに行って、1人じゃいられなくて友達の家に上がり込んで、在宅ワークする友達の横で次の小説を書いていました。で、たぶん18時くらいまでには連絡があるだろうってことで、19時に鳥貴族を予約していたんですが、なかなか電話がこなくて。これは落ちたねって友達と話してたら電話が来たんです。冷静に〈あ、ありがとうございまーす〉って感じで受けたかったのに、号泣しちゃいました」
それはなんの涙だったんですか。
「自分がやってきたことが初めて大きく評価された嬉しさだと思います。売れないバンドをずっとやってきて、3人のお客の前でライブしたこともありました。バンド活動や友達の家に泊まりこんで映画2本見る遊びにハマって、単位を落としまくって親にも大学にも怒られたこともありました。メンバーとめっちゃケンカしたこともあったし、金もめっちゃかかったけど、そういったことは全部無駄じゃなかったなって。号泣したあとは、鳥貴族からUSJまで5キロくらい散歩して、友達とこれからどうするか深夜2時まで話していました。小説家になる準備が全然できていなかったので、これから僕の人生はどうなっていくんだろうって」
友達と語り合うことが糧に
受賞してみて、自分の中にどんな変化がありましたか。
「誰かのためになるものを作りたい、っていう気持ちに初めてなりました。おこがましいんですけど、自分の書いたもので誰かひとりでも救われたらいいなって。これまでバンド活動でもそんな気持ちがあるにはあったけど、そこにやっぱりいやらしい気持ちが混じっていた気がするんです。人気者になりたいとか、褒められたいとか。でも、そのいやらしさがなくなった。それは自分の中のいい変化だと思います」
小説家になりたい人へ、アドバイスをお願いします。
「僕の場合はこうでした、ということしか言えないのですが、小説はもちろん、いい映画や音楽といったその他の芸術にも触れてこの名誉ある場所に来られたと思うので、いろんなものを見て、楽しく暮らして、とにかく書く、というのがいいと思います」
いい作品に出会ったとき、それを自分の糧にするためのコツはありますか。
「友達とそれについて話すこと。僕、映画も美術館もライブも一人では行けないんです。誰かとその後ご飯に行って、その作品についてああだこうだ話すまでがワンセット。これがなかったら、小説を書けなかったと思います」
そうか。だから、福海さんの受賞の言葉にはお友達の名前が出てくるんですね。
「そうです。あそこに書いた奴らは全員、僕と何かしらについて語り合った友達です」
今後、バンド活動と小説はどう共存させていくんですか。
「バンドももちろんやるし、小説も書いていきたい。どうしましょうかね。無駄な時間を減らす! バンドの練習の前にタバコふかしてダラダラしゃべってる30分とか」
でもそれが福海さんの創作の源なんですよね(笑)。
「えっと、じゃあ寝る時間を削る!(笑)。でもまあ、バンドは僕だけじゃなくてみんながいるし、なんとかなるんじゃないかな。小説も、結局僕一人の力で書いているわけではない。だから、これまで通りみんなと楽しく暮らして話して、書きたいと思います」
【次号予告】次回は、福海さんの10年来の友人で、第40回太宰治賞を受賞した市街地ギャオさんが登場予定。