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岩井志麻子さん「おんびんたれの禍夢」インタビュー 虚実が溶け合う悪夢のような明治ホラー

岩井志麻子さん=種子貴之撮影

ぎりぎり手が届くくらいの過去

――『おんびんたれの禍夢』は、デビュー作『ぼっけえ、きょうてえ』以来、岩井さんが得意としてきた明治もののホラーです。

 結局、明治が一番書きやすいんですよね。わたしらが子供の頃は、明治生まれの年寄りがまだ生きていて、腰を90度くらい曲げて近所を歩いていました。だから昔ではあるけれどそこまで大昔でもない。ぎりぎり手が届くくらいの過去という感覚があるんです。それが今の若い人たちは、昭和レトロどころか平成までレトロ扱いしているらしいじゃないですか(笑)。そういう人からしたら、明治なんては江戸時代とほぼ一緒に思えるかもしれないですね。

――物語の主人公・光金晴之介は売り出し中の小説家。岡山屈指の名家の次男でありながら、都会で自堕落な生活を送り、文壇で名をあげることを夢見ています。

 この小説の主な登場人物には、たいてい元になった人物がいるんです。名前を見たら気づくと思うんですけど、晴之介は詩人の金子光晴だし、恋人の楠子は画家の甲斐荘楠音(かいのしょう・ただおと)。シンガポールの事業家・武藤井志子や、カザフスタン出身の悪党セルゲイにも、プロフィールが重なる人物がいるんですよ。といっても史実からは、だいぶ変えていますけどね。金子光晴は岡山出身じゃないし、甲斐荘楠音はそもそも性別からして違います。実在した人物をもとに、自由にイメージを膨らませたらこうなった、という感じです。

――放蕩者の晴之介を支えるのは、同郷の恋人・楠子。晴之介は甘え上手で、なぜか憎めないタイプですね。

 生まれついてのヒモ気質。こういう人って実際おるんですよ。生活力はないのに貧乏暮らしに耐えられない、でもなぜか人に好かれて、貢いでくれる異性が寄ってくる。こういうのも金運がいいというんでしょうかね。作中の「坊ちゃんは甘えん坊の暴れん坊」という台詞は、現役のホストに教えてもらったんです。売れるホストの秘訣を聞いたら、「甘えん坊で暴れん坊ですよ」と(笑)。どっちか一方ではあかんらしい。なるほどなあと思って、晴之介のキャラクターに取り入れてみました。

――その晴之介が、世界を旅する冒険家・春日野力人から旅行記の代筆を依頼されて……というのが物語の発端です。

 春日野には菅野力夫という、明治末から昭和にかけて活躍した冒険家のイメージを借りています。自分の絵ハガキを販売して旅費を捻出するという、今でいうクラウドファンディングみたいなことを始めた人で、絵ハガキでは象と並んでいたり、中国服でポーズを取っていたりして、いかにも絵になるんですよ。ある意味、元祖インフルエンサーだし、元祖コスプレイヤーという人なんですが、死後急速に忘れられるんですね。なぜそうなったかというと、まとまった文章を残さなかったから。文章が苦手だったのか、自分を表現するのはビジュアルだと思っていたのか分かりませんけど。それでもし菅野力夫が旅行記を残していたら、というこの話を思いついたんです。

岩井志麻子さん=種子貴之撮影

異国からの手紙に記された奇怪な事件

――台湾、シンガポール、ビルマ、インド。アジア諸国を転々とする春日野は、旅の様子を手紙で晴之介に知らせてきます。そこに記されていたのは晴之介も楠子も見たことがない、熱帯の国々の様子でした。

 明治の人にとっての外国は、ほとんど異世界のようなものだったと思うんです。今ならネットで世界中の様子を調べられますが、当時は断片的な情報しかないし、行って確かめることもできない。まして東南アジアの奥地の出来事なんて、多くの日本人にとって夢物語に近かった。春日野の手紙を読んだ晴之介には、それが本当なのか嘘なのか、確かめる術がないんです。

――象に踏み潰された男の話、妓楼から消えて変わり果てた姿で発見された女の話、若夫人の神隠し譚……。春日野が旅先で遭遇した事件は、どれも異様で奇怪なものばかりです。

 これも分かる人には分かると思うんですが、ビルマの神隠しにはモデルになっている事件があります。家族とツツジ見物に出かけた主婦が、とある神社の付近で忽然と姿を消したという有名な未解決事件なんですけど、わたしはこの事件がずっと気になっているんですよ。血の一滴も流れていない、地味といえば地味な失踪事件なのに、妙に恐ろしくてぞわぞわする。関係者が平凡な人ばかりだからなのか、神社というミステリアスな舞台がそう感じさせるのか分かりませんが、あまりに気になるので、ビルマを舞台によく似た失踪事件を書いてみました。

――春日野の手紙に刺激された晴之介は、奇怪な小説を次々と執筆していきます。春日野の体験と、晴之介のイマジネーションが絡み合い、怪しい世界を作り上げます。

 どれだけ面白い体験をした人がいても、それを言葉で表現する人がいないと後の時代に残ってはいかないですよね。伝える人によっては話を盛って、さらに面白くしちゃう人もいたかもしれない。今の時代に残っている昔話も、変わった体験をする人とそれを面白く伝える人が奇跡の出会いをして、後世に広まったものなんじゃないですか。わたしは何を書いてもホラーになってしまう傾向があって、エロ小説を書いているつもりなのに、志麻子のエロは怖いといわれる(笑)。おんびんたれ(岡山弁で怖がり、意気地なし)の晴之介も、わたしと似たようなところがある気がします。

――これまでも岩井さんは『楽園』『チャイ・コイ』などの作品で、しばしば東南アジア諸国を舞台にされてきましたね。

 東南アジアはわたしにとって、子どもの頃想像した奇妙な世界そのものです。これが東アジアだと街並みも歩いている人も、日本とそれほど変わらないですが、東南アジアは明らかに景色が違う。でも名前を漢字表記したり、お箸を使ってご飯を食べたりと、日本と共通している部分もあって、知っているようで知らない世界に迷い込んだような感覚があるんですよ。周囲の景色に溶け込んでいるような、自分だけ浮き上がっているようなあの感覚が味わいたくて、くり返し東南アジアに足を運んでしまうんですね。

『おんびんたれの禍夢』(角川ホラー文庫)

ローマで実感した妄想の恐ろしさ

――本当と嘘が入り交じった、信用できない手紙の数々。やがて春日野という人物に対する疑惑が、晴之介の中で大きくなっていきます。

 それに繋がるかどうか分かりませんが、つい最近恐怖について、あらためて考えさせられる事件がありました。この7月、マスターズっていう40歳以上で登録料を払えばみんな参加できる卓球の世界大会に出場するために、生まれて初めてローマに行ったんです。ところが旅行前、知り合いから散々、スリが多いから気をつけろ、財布から目を離すなと脅されて、すっかり怖くなってしまったんです。どれだけ危険な場所なんかと。びくびくしながら現地入りして、世界大会の会場に行ったら、日本人の出場者がまた怖いことを教えてくれるわけです。自撮り棒のケースに入れていたスマホを持っていかれたとか、切符を買おうと財布を出したらお札だけ抜かれたとか……。

 ローマでは民泊みたいなところに仲間と泊まってたんですけど、ある日、そのアパートを出てタクシーに乗ったわけですよ。ところがふと見ると、首からぶら下げていたケースからスマホが外れて、膝の上に載っている。これまで一度も外れたことがなかったのにおかしいな、と思って確かめると、いざという時のためにスマホケースに隠していた1万円札がない。たちまちパニックになって、間違いなくスリにやられたと思い込んだんです。それで同乗していた友達に「1万円盗まれた!」と叫んだら、その人は冷静で、「スリだったらまずスマホを持って行くでしょ」っていう。それもそうかと確かめたら、膝の下から折りたたんだ1万円札が出てきた。何かの拍子にスマホがケースから外れただけだったんです。

――良かった、スリじゃなかったんですね。

 今となっては間抜けな失敗談ですけど、その数秒間の恐怖といったら凄まじいものがあって。小道ですれ違った男が怪しい、あいつとあいつがグルに違いないと、被害妄想がぐるぐる頭を駆け巡って止まらないんです。それで、こういうことって別の場面でも起こりうるんだろうなと思ったんですよ。誰かが自分を陥れようとしているとか、恋人が誰かと浮気してるとか、一度思い込んだら常識的な判断ができなくなる。妄想ってすごい化け物だな、と痛感したんです。

――濃厚な異国情緒漂う物語は、後半で一転、旧家の闇を描いた土俗的なホラーへと姿を変えます。この展開も鮮やかですね。

 田舎ホラーしか書けないですから。『ぼっけえ、きょうてえ』でデビューしたのも、これが受けるという戦略があったわけではなく明治・岡山・貧乏という武器しか自分にはなかったから。最近流行っているモキュメンタリーホラーも面白いとは思いますけど、とても自分には書ける気がしません。このあいだトークイベントに岡山出身のお客さんが来てくれて、「久しぶりに岡山弁が聞けて懐かしかった」というんですよ。わたしは標準語でしゃべっていたつもりなのに、岡山訛りが懐かしいと言われてしまう(笑)。どこにおっても岡山からは逃れられないんですね。

――晴之介が幼い頃、みっちゃんというお手伝いの姉やに聞かされた「キバコ」の話。記憶の底にうごめく怪談には、晴之介の人生に関わる秘密が隠されていました。

 田舎の旧家には、そりゃ表には出せない秘密が色々あるでしょうね。うちだってありふれた農家ですけど、物入れを開けたら厳重に梱包されたわけの分からないものが出てきたことがあります。開けると面倒そうだから、と放ってありますけど。

 わたしは怖がりだから誰かを殺そうとは思わないし、殺したいほど憎い相手もいないですが、家を守るために誰かの命を奪っても平気、という人もいるんじゃないですか。家のためとか大義のためとか、そういう言い訳があったら、人殺しのハードルって案外低くなるもんのような気がするんです。

岩井志麻子さん=種子貴之撮影

岡山ホラーの最高峰は「吉備津の釜」

――2024年で岩井さんはデビュー25周年を迎えます。『ぼっけえ、きょうてえ』から『をんびんたれの禍夢』までの四半世紀、岩井さんのホラー観は変化しましたか。

 いえ、怖いものはずっと変わらないと思います。わたしははっきりした結論が出ないものが一番怖い。作品でいうと『雨月物語』の「吉備津の釜」ですね。あれは岡山ホラーの最高傑作だと思います。不実な男が妻の幽霊に取り殺されるんですけど、男のもとどり(髪の毛を束ねたところ)だけが残されていて、後には何もなかったというラストシーンがただただ怖い。まだ男の生首とか血まみれの死体が転がっている方がましですよ。何が起こったのかはっきりして、読者が安心できますから。もとどりだけが落ちていることで、想像が悪い方へ、悪い方へと広がっていく。上田秋成先生はさすがだなと思います。

――曖昧な情報が、読者の中にさまざまな妄想を植え付けていく。岩井さんの『おんびんたれの禍夢』も、まさにそうした怖さを扱った作品ですね。

 とても「吉備津の釜」の足下にも及びませんけどね。「吉備津の釜」の登場人物はみんな悪いやつじゃないんです。男は晴之介みたいな遊び好きのお坊ちゃんで、嫁を裏切ってはいるけど、浮気相手のことを本気で大切にしている。嫁は嫁で一途に思い込むタイプではあるけれど、決して悪女というわけではないんです。そのあたりの悲しさにもぐっときますよね。「吉備津の釜」にわたしの理想とする恐怖が詰まっています。この先どれだけ面白い岡山ホラーが書けたとしても、「吉備津の釜」だけは永久に超えられないんじゃないでしょうか。