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「他なる映画と」1・2 なぜ寝てしまうか 素朴な問いから 朝日新聞書評から

評者: 福嶋亮大 / 朝⽇新聞掲載:2024年08月10日
他なる映画と 1 著者:濱口竜介 出版社:インスクリプト ジャンル:エンターテイメント

ISBN: 9784867840061
発売⽇: 2024/07/03
サイズ: 2.5×19.4cm/432p

他なる映画と 2 著者:濱口竜介 出版社:インスクリプト ジャンル:エンターテイメント

ISBN: 9784867840078
発売⽇: 2024/07/03
サイズ: 2.2×19.4cm/384p

「他なる映画と」1・2 [著]濱口竜介

 濱口竜介は今や押しも押されもせぬ国際的な映画監督となったが、彼のレクチャーと評論を集めた二冊組みの本書は、意外にも素朴な問いから始まる――なぜ映画を見ながら寝てしまうのか?
 映画が人間にとって「他なるもの」だから、というのがその答えだ。カメラは「機械的な無関心」に基づいて世界を記録する。その記録をスクリーン上で再現する映写機も、観客の事情にはお構いなしに動く。映画を撮り、見るという体験の底には、人間の関心や生理を置き去りにするマシンの「自動性」があり、それが観客をスリープさせるのではないか……。思うに、誰もネットのショートビデオを見て眠ったりしない。それと比べれば、映画がいかにエイリアン的なメディアであるかがわかるだろう。
 では、人間はこの「他なる映画」といかに関わり、そこから何を学べるのか。濱口はこの問いを、映画の父リュミエール兄弟から考え直す。リュミエール兄弟は、消防隊を追いかける群衆を完璧に記録した。だが、画面外で起こっているはずの出来事は映っていない。完璧だが有限な記録、ドキュメンタリーにしてフィクションでもある映像。そこには、撮ることが「撮り逃がすこと」でもあるという深い教えが刻まれている。
 してみると、濱口が台湾のエドワード・ヤン監督の『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』を高く評価するのも不思議ではない。主人公の少年は、彼がバットをふるう暴力の瞬間に「画面外」へ消えてしまう。そこでは説明的な撮り方は破棄され、すべては観客の想像力にゆだねられる。そもそも、映画はその冒頭から、被写体の視認を拒むほどの「暗さ」と「遠さ」を強調していた。この説明を超えた異様な映像の力によって、観客は世界に開かれるのである。
 もとより、映画とはただの娯楽ではなく、動きの研究であり、身体や情動の研究である。カメラは、物語やドラマの要求とは無関係に「身も蓋(ふた)もなく目の前のものを撮る」(黒沢清)。この機械の自動性を何とか陣営に引き入れつつ、人間の動きや演技と交わらせることが、本書の演出論の鍵となった。
 もっとも、濱口自身の監督作品はときに親切すぎるほど説明を重んじるので、彼の理論は必ずしも実践とは一致しない。このズレの評価は専門家に任せるとして、ともかく本書には、やっかいな問題こそを面白がる一人の映像作家が克明に記録されている。その研究の軌道上には、相米慎二、小津、溝口、ロメール、三宅唱、ブレッソンらの特異な演出術が浮かぶだろう。
    ◇
はまぐち・りゅうすけ 1978年生まれ。監督作品の「偶然と想像」がベルリン国際映画祭銀熊賞、「ドライブ・マイ・カー」がカンヌの脚本賞とアカデミー国際長編映画賞、「悪は存在しない」がベネチアの銀獅子賞を受賞。