「はい、あなたにお土産!」。8年前、家に来た義母が差し出した瓶ビール。どの瓶にも「不良」と大きく書いた紙が貼りつけられ、王冠がほんの少し開いていた。〈ビールが不良品なの? それともワシ?〉。この日から、義母の行動が少しずつおかしくなっていって……。
翻訳家でエッセイストの村井理子さんが、認知症を患う義母と脳梗塞(こうそく)の後遺症がある義父との日々を記録した「義父母の介護」(新潮新書)を出した。なんの準備もないまま「突然始まり、突然動き出した」介護の沼にあれよあれよとはまっていく村井さんの奮闘ぶりが、とことん赤裸々かつ軽快に記されている。
村井さんは当初、「介護はすべてプロにお任せ」と考えていた。夫は多忙で、村井さんも仕事や双子の育児に忙しい。
訪問介護やデイサービスを利用してみたが、義母はヘルパーと義父の浮気を疑い怒り心頭。宅配弁当は2人の口に合わず、義父は家事ができなくなった義母へのいらだちを口にした。一歩進んでは二歩下がるような介護生活を続けるうち、ついに倒れた村井さんは思う。〈自分を犠牲にして成り立たせる介護って、正解ですか?〉
それなのに、その後も介護の中心にいるのは村井さん。夫の親ですよね? 「自分でやった方が早い場面が介護と育児で5万回はあって、腹が立つからもういいわって」。困った状況を目にすると、先に手が出てしまうのだという。
亡き実の両親とは、こうした密な関わりはできなかった。夫と義父母が昔話をする様子を見て、つらく思うこともある。「介護って、『家族だから』と判断したり行動したりしなければいけないことばかりだけど、義父母のことは家族と思っていないんです。義父に『娘よ』とか言われるけど、『娘と違う!』っていちいち突っ込んでます(笑)」
村井さんにとって「家族」という言葉は重たい。だけどやっぱり手が動いてしまう。頭と体がちぐはぐだ。これが介護やケアを実践する人のリアルなのだろう。
だからこそ、村井さんのこの言葉を胸に刻みたい。
〈嫁だから介護に参加してあたりまえ、母親だから育児をしてあたりまえ、家族のために自分を犠牲にしてあたりまえ。そんなあたりまえを潰していきたい〉(真田香菜子)=朝日新聞2024年8月14日掲載