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内田也哉子さんが訳した絵本「たいせつなこと」 私の「言葉を書く」人生を変えた一冊

『たいせつなこと』(フレーベル館)より

原作との出会いは新婚旅行

――戦後間もない1949年にアメリカで出版されて以来、世界中で読み継がれている絵本『The Important Book』。シンプルな言葉で綴られた詩の数々が、生きていく上で本当に大切なことを教えてくれる。児童文学作家のマーガレット・ワイズ・ブラウンと、アメリカで最もすぐれた絵本の画家に贈られるコールデコット賞を受賞した画家のレナード・ワイスガードの2人による作品は、日本では半世紀以上もの時を経て出版された。その翻訳を担当したのが文筆家、翻訳家として活動する内田也哉子さんだ。2001年に発行されて以来、62刷りを重ねている。

 私は19歳で結婚し、新婚旅行はアメリカへ2カ月間、行ったんです。東から西へゆっくり横断するその旅の最中、絵本専門店を訪れました。夫婦それぞれ(夫は俳優の本木雅弘さん)、わりと絵本が好きな方だったから。私たちはそれぞれ別のコーナーを見て回りました。そして互いのおすすめの絵本として見せ合ったのが、この『The Important Book』だったんです。偶然にも同じ本を手に取ったわけですね。カラフルな表紙が多い中で、ボルドーの落ち着いた色合いの背表紙が逆に目を引いて。思い返せば、どことなく淋しいたたずまい。でも、その世界観に吸い込まれていく心地いい絵と、絵本にしては多い文章量に、詩集のような印象を受けました。

――物体や自然についての普遍性を表す端的な言葉が、次々と読者の心に語りかけてくる。

 ふだん何げなく見えているもの、触れているもの。たとえば、リンゴは丸く、赤いということ。風は目に見えないけれど頬で感じることができることとか。絵本と私の一対一、静謐(せいひつ)な空気が流れ、混じり気のない対話みたいなものをすごく新鮮に感じましたね。だからこんなに半世紀近くもアメリカでは読み継がれてきたんだなと、この絵本の主軸に思いを馳せました。作者と読者の距離感が絶妙な絵本なんです。絵と言葉の間に存在する余白の中で、読者である自分自身が遊ぶことができる。言葉の数々は、あたりまえのことをシンプルに伝え、押し付けがましさがなく、独り言のようにつぶやいている。そんなリズム感のある文章にひかれました。

――絵本の題名を『たいせつなこと』と翻訳したのは、絵本からの哲学的な深い問いがあったからだという。

 英語を直訳して『たいせつな本』でもよかったのですが、事柄、物、自然、人間、心も含めて全て「こと」だから『たいせつなこと』にしました。スプーンは食べる時に使うものであるとか、そういうあたりまえのことはわかるけれども、最終的には「あなたがあなたであること」とはどういうことなんだろうと考えさせられました。手に取った日からルーティーンのように読み続け、内容にわかるところとわからないところがあるというのが絵本の魅力の一つだと思うんですね。人の思いが表現されているものというのは、やはり時を経て自分の心の幅とか、器の深さが変わり続けているから、感じ方も変化していく。子どもの頃はさっぱりわからなかったけども、今、大人になってわかる気がすることもあります。20代、30代、40代、それぞれの私が読んだ時に感じる、あの思いというのは、私が19歳で初めて読んだ時の思いとは違う。私たち夫婦にとっても新婚旅行で出会って以来、これは特別な絵本。数年前の結婚記念日には、この絵本の一節「you are you」という文字を彫ったフレームを、夫がプレゼントしてくれたんです。

『たいせつなこと』(フレーベル館)より

翻訳はクリエーション

――そもそも翻訳を手がけることになったのは、内田さんが20代の頃、好きな本を紹介する新聞の企画で、『The Important Book』を挙げたことがきっかけだった。

 その記事を読んだフレーベル館の編集者から翻訳の依頼を受けました。私は1歳半から、都内にあるインターナショナルスクールに通っていたので、英語を話すことはできたんです。でも、翻訳なんてしたことはなかったので、最初はとても戸惑いました。自分は、英語と日本語というある意味、似て非なる性質の言語を自分の中に小さい頃から同時に詰め込んでいたので、日本語も、英語も中途半端という現実にもぶち当たりました。そんな時、編集者から「あなたはプロの翻訳者ではないし、この絵本をただ好きで、愛している人。だから、あなたがどういう愛し方をしているのかというのを言語化し、その感覚を素直に言葉に表してくれるのがいちばん」とアドバイスをもらいました。

 そこで、単に日本語へ翻訳するだけではなく、言葉を加えて個性を少し出してみました。私の翻訳はプロの翻訳者から見ると、すごく邪道な部分もあるかもしれません。でもマーガレット・ワイズ・ブラウンの思いを、繊細に一語一句そのままに届けたいという一心で「この部分は少し言葉を足した方が、より伝えたいことがふくよかになるのではないか」「味付けし過ぎたら、少し引こう」というように編集者と試行錯誤を重ねました。それはとても面白い作業でしたね。

 たとえば、リンゴが登場するページでは、その丸さを伝えるために「たっぷり まるい」とか、「きから おちてくる」を「きから ぽたんと おちてくる」とか、ひとこと付け加えたんです。この落ちる時の感触を入れると、リンゴの存在感、質感がよりリアルに伝わると思ったから。草のページでは、「やわらかい」という表現を「やさしく つつみこんでくれる」という言葉で訳しました。

『たいせつなこと』(フレーベル館)より

 その物体の気持ちになって描写し、日本語の言葉の響きを大事にすること。つまり再度自分の中で咀嚼(そしゃく)して、 組み直してみるということ。それも一つのクリエーションだと思っています。最後の「あなたがあなたであること」(you are you)という言葉が記されたページは、原書でも手書きだったんですよ。それで、字を書くことが好きな夫に書いてもらったらすごく良かったので、それを採用させてもらいました。クレジットはないですけど(笑)。参加してもらったんです。

『たいせつなこと』(フレーベル館)より

おすそわけの気持ちを言葉にのせて

――「『たいせつなこと』は、絵本の翻訳作業の出発地点だった。まさに私にとって運命的な出会いの本」と内田さんは制作当時を振り返る。

 英語のタイトル通り本当に“たいせつな本”です。著者は翻訳者の何百倍もの労力と思いをかけて作っているわけですから、それを日本で初めて紹介する時の喜び、高揚感をどのように伝えればいいかという意味で、本作りというものを教えてもらった気がします。また、絵本という媒体の無限の可能性をひしひしと感じた機会でもありました。

 あの時、自分の人生の中で、文筆家としての活動、言葉に関わる仕事の初期段階にいました。ただエッセイを書いていただけなら、今には至れなかったはず。人の思いをつないでいくことの一つに、翻訳という別の形が加わったことは、「言葉を書く」人生に幅を持たせてくれました。日本語への翻訳作業は、文化的な背景や言葉の手触りなどいろんな意味も含めて、日本語に着地させる作業です。原書がどんな言語であっても、自分がとても大切に思っている母国語の日本語に最終的にチューニングしていくのか、磨きをかけていくのか、という繊細な作業はとても好きですね。

 私は、自分がゼロから何かを作るというよりは、自分が出会ってこれは素敵だと思えて感動したものをいろんな人におすそわけしたいという欲求が強いのかなと思っています。だから、私にとって翻訳には、言葉を訳すという本来の役割の他に、私の本質的な部分を抽出してくれるというもう一つの役割があるのかもしれません。何十年か後、子どもや大人たちが「何となく好きと思って選んだ絵本が、たまたま内田さんが翻訳したものだった」とふふっと笑ってくれたなら、この上ない喜びです。

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