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「つくられた天才」書評 自己プロデュース力浮き彫りに

評者: 望月京 / 朝⽇新聞掲載:2024年10月05日
つくられた天才: ベートーヴェンの才能をめぐる社会学 著者:ティア・デノーラ 出版社:春秋社 ジャンル:音楽

ISBN: 9784393932100
発売⽇: 2024/06/04
サイズ: 19.5×3.3cm/448p

「つくられた天才」 [著]ティア・デノーラ

 なぜベートーヴェンは、時代や国境を超え、これほどまでにポピュラリティを獲得し続けているのか? 「運命」「第九」「エリーゼのために」といった有名曲の印象的なモチーフや、難聴、甥(おい)との確執などの「不幸エピソード」への関心以上に、彼の音楽は本当に突出し、一般にも愛されているのか?
 ベートーヴェン独特のシンプルで大胆な作曲上の仕掛けには今日でもはっとさせられるが、劣らぬ作曲家たちや型破りの斬新さに反感をもつ人たちもいた当時、それがいかに「革新的な芸術性」と評価され、彼の名声を高めるに至ったか、本書は日記や書簡の引用を基に、彼らが生きた時代の社会のありようから成功要因を紐解(ひもと)いてゆく。
 まず浮き彫りになるのは、音楽の才に加えて秀でたベートーヴェンの野心的自己プロデュース力とビジネスセンスだ。恵まれた出自を活(い)かした創作環境や影響力のある貴族パトロン人脈の拡大、そのために考慮された献呈先や貴族への偽装、巧みな巨匠(ハイドンやモーツァルト)の正統的後継者のイメージ演出。
 さらに、音楽を娯楽ではなく「真面目に」聴くという当時の価値観の変化、それに適合する作曲家の支援が貴族の教養の顕示と政治的外交に繫(つな)がり、作曲家にとっても有力貴族の後援はステイタスになるという共存共栄のウィーンのエリート社会構造。才能を幅広く認知させる種々の演出が反対勢力や同等の競合者を排し、「社会的構築物としての天才」や「文化そのものを創造」するプロセスとその効力は、現代にも通じることに思い当たる。才気と実力、後ろ盾をフル活用して周囲を自分に合わせ変えたベートーヴェンの意志の強さと幸運たるやいかに。
 かつてないアプローチで「ベートーヴェン神話」を揺るがせたという原著の出版から約30年、その間の批評や反論、それらを踏まえた意義や影響の大きさなど、訳者による補完も有益だ。

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Tia DeNora 音楽社会学者。英エクセター大教授。フルートと社会学を米ウェストチェスター大で学ぶ。