「あまり小説が読めない子どもだった」
――いつもいちばん古い読書の記憶からおうかがいしております。
金子:小学生の頃は漫画をよく読んでいました。あんまり小説を読めない子どもだったんですよ。江戸川乱歩の「怪人二十面相」シリーズや「ハリー・ポッター」シリーズが流行っていて、学校の図書室にもあったんですけれど。「ハリー・ポッター」は、映画は楽しく拝見しましたが、本は結構分厚く感じて読めませんでした。
青い鳥文庫のはやみねかおるさんの作品や松原秀行さんの「パスワード」シリーズは読めた気がしますが、小学生の時の読書の記憶というとそれくらいです。基本は「ジャンプ」や「サンデー」、低学年の頃は「コロコロコミック」を中心に、少年漫画を読んでいました。
――どんな漫画が好きだったんですか。
金子:「少年サンデー」で連載されていた『金色のガッシュ!!』がいちばん好きでした。魔界の子どもたちが人間界に派遣されて人間とパートナーを組み、魔界の王を目指して闘う話です。大人になってからも何回も読み返していて、そのたびに号泣しています。他には『NARUTO』とか『BLEACH』とか『ボボボーボ・ボーボボ』とか、当時の「ジャンプ」の有名どころですね。「サンデー」では『うえきの法則』もすごく好きでした。主人公の植木くんがゴミを木に変える能力(ちから)を持っていて、他にも手ぬぐいを鉄に変える能力とか、何かを何かに変える能力を持っている中学生たちがいて、バトルロワイアル方式で最後の一人になるまで戦いが続いていくんです。わりと能力バトル系の漫画が好きだったといえますね。
――では、ゲームもお好きだったのでは?
金子:好きでした。小さい頃は「ポケモン」や「星のカービィ」や「スマブラ」といった、任天堂系のゲームを友達とよくやっていました。もうちょっと年齢が上になってからは、「逆転裁判」や「レイトン教授」シリーズも好きでした。
――金子さんは神奈川県のご出身でしたっけ。
金子:はい。神奈川の横浜市に生まれて、10歳の時に川崎市に移るんですけれど、基本的には神奈川県で20歳くらいまで育っています。
――ごきょうだいとゲームをしたりとかは。
金子:私は一人っ子でして。友達はそこそこいたので、友達とゲームをしたり、漫画の話をしたりしていました。
――小学校に入る前に、絵本を読んだりした記憶はありますか。
金子:読み聞かせをしてもらった気はするんですけれど、この絵本を読んだ、という記憶がなくて。『はらぺこあおむし』とかは読んだ気がしますけれど、絵本が好きだったというほどの熱はなかった気がします。一般的な程度だったと思います。
――学校の国語の授業は好きでしたか。
金子:それが、そこまで好きじゃなかったんですよ。高校2年生の時に授業で太宰治をやるまでは、国語にすごく苦手意識がありました。テストでも全然点数がとれない科目だったんです。国語だけは、90点とれる時もあれば70点くらいの時もあって、平均点に届かないこともありました。
文章を読むのも書くのも苦手だという意識がずっとありました。読書感想文とかも一応真面目に書いていたんですけれど、褒められたことがなかったです。高校受験の時も、小論文については「文章が拙い」みたいに塾の先生から言われていました。高校時代に小説を書き始めるまでは、自分は文章が下手な人間だと思っていました。
――好きな科目は何だったんですか。
金子:数学や英語、社会は好きでした。結構まんべんなく好きだったんですけれど、国語はちょっと苦手、という感じです。勉強が好きだったので、自分でいうのもなんですけれど、基本的にわりと全部できたんです。でも国語だけがよく分からないなという感じでした。
――教科書や課題図書は、読んでもあまり響かなかったですか。
金子:あんまり響かなくて。教科書でいろいろ読んだ気はするんです。ヘルマン・ヘッセの「少年の日の思い出」とか。
――蝶の標本を盗んでしまう少年の話ですよね。
金子:そうですそうです。あれの、「そうかそうか、つまりきみはそんなやつだったんだな」みたいなフレーズがクラスで流行ったんです。ただ、自分が読者として小説と一対一で向き合って「これすごく面白いじゃん」となったものはなかったです。
――小中学生時代、小説や漫画以外、たとえば図鑑やノンフィクションで読んでいたものってありますか。
金子:それを言っていただいて思い出したんですけれど、私、小学生の頃に「昆虫博士になりたい」って言っていました。それで昆虫の図鑑とか、『ファーブル昆虫記』を小学生向けに読みやすくした本なんかは読んでいました。昆虫熱は小学校時代の前半で冷めたんですけれど、動物も好きだったので『シートン動物記』も読んだ記憶があります。
――今振り返って、どんな子どもだったと思いますか。大人しかったのか、それとも...。
金子:大人しくはなかったかもしれません。小学生の頃って運動ができないとあんまりはしゃげないんですよね。特に男子は足が速い子とかドッジボールが強い子とか、運動ができる子の声が大きくなる環境だったりする。でも私は、全然運動ができなかったので結構卑屈ではあったんですけれど、とにかく喋るのは好きでした。小学校の教室にカーストがあったのか分からないですけれど、地味な子たちの中で私はよく喋っているほうだったと思います。
――冗談とかギャグとか言う感じですか。
金子:冗談もギャグも言っていたと思います。人を笑わせたい気持ちは小学生の時からあったので、ちょけたり、テレビで見たお笑い芸人さんの真似をしたり。私が小学生の時って「エンタの神様」が全盛だったので、真似しやすい芸人さんのネタを真似をするといったはしゃぎ方をしていました。
――まわりと比べて人一倍お笑いが好きだったのでしょうか。
金子:好きなほうだったと思います。テレビっ子でした。バラエティー番組黄金期で、テレビにかじりついて「笑う犬」シリーズとか「はねるのトびら」とか「めちゃイケ」とか、「エンタの神様」とか「爆笑オンエアバトル」といった番組を見ていました。ユニットコント番組やネタ番組が大好きでした。
「伊坂さん作品は読めた」
――その頃、将来なりたいものって具体的にありましたか。
金子:小学生低学年の頃は昆虫博士でしたが、その後、弁護士を目指すと言っていた時期があります。それはたぶん、「逆転裁判」にはまっていたからじゃないかな。小学校高学年だった2001年に「逆転裁判」が出てめちゃめちゃはまって、それで小学校高学年から中学生にかけては弁護士になりたいと言っていたと思います。
――ロジカルに状況を覆していく感じが快感だったから、とか?
金子:そうですね。格好よく思えたんでしょうね。読書の話にも繋がるんですけれど、私、中学生の時に伊坂幸太郎さんは読んでいたんですよ。小説はあまり読めなかったのに、伊坂幸太郎さんは親に薦められて読んだら「すごく面白いじゃん」となって。『チルドレン』という家裁調査官の陣内さんが主人公の小説を読んで、一時期、家裁調査官になりたいと思っていた時期もありました。
あと、『シバトラ』にも影響を受けました。小池徹平さん主演で連続ドラマ化もされた少年漫画です。少年係の刑事が主人公で、非行に走った少年少女の更生をサポートするような内容で。『チルドレン』も、家庭環境とかの影響で非行に走ってしまった少年少女を陣内さんが独特の語り口で光の方向に導いていくところがあるじゃないですか。そういったフィクションに当てられて、私もそういう人間になりたいなと思っていた時期がありました。
――「ハリポタ」は読めなくても伊坂幸太郎さんは読めたんですねえ。
金子:そうなんですよね。中学時代は伊坂さん、東野圭吾さん、湊かなえさんは、親か友達に薦められて読んで「面白いな」と思っていました。
伊坂さんは、『チルドレン』がテーマ的に好きで、『アヒルと鴨のコインロッカー』が仕掛けを含め鮮烈なイメージがあって好きで、あとは『ラッシュライフ』ですね。今考えても、あれはすごすぎると思うんです。デビュー作の『オーデュボンの祈り』もすごいんですけれど、2作目に『ラッシュライフ』ってのが尋常じゃなくて。
自分が新人作家になってみて分かったのは、2作目で何を書くかって、すごくプレッシャーがあるんですよ。1作目を超えるもの、なおかつ1作目の読者を手放さないものを書かなきゃいけないということで、私も2作目の『死んだ石井の大群』はめちゃくちゃ悩みながら書いたんです。伊坂さんの2作目の『ラッシュライフ』は、4人の主要人物の物語が複雑に絡み合って進行していく小説で、語りの実験性がまず面白いし、そこに「人生については誰もがアマチュアなんだよ」みたいな真っ直ぐ胸に刺さることを言う黒澤のようなキャラクターも出てくるし。
――黒澤は伊坂作品に何度も登場する泥棒で、人気キャラクターですよね。
金子:そうです。そうした魅力的なキャラクターとストーリーの面白さと実験的な試みが合わさっているんですよね。当時は「めちゃめちゃ面白れー」と思って読んでいたんですけれど、今、曲りなりにもプロの作家になって振り返ってみると、2作目であれを出すのはやばすぎるだろ、という感じです。
東野さんはやっぱり『容疑者Xの献身』がすごく好きです。ミステリとしての驚きだけでなく、ものすごくエモーショナルな物語になっているところが。東野さんの本は友達が貸してくれたのでいろいろ読んだ記憶があるんですが、やっぱり『容疑者Xの献身』の衝撃が大きくて、ベタですけれど最初に浮かびます。湊かなえさんも、やっぱり『告白』の衝撃がすごかったので真っ先に浮かびます。映画もすごく好きでした。私はミステリの歴史に詳しくはないんですが、イヤミスというジャンルを読んだのは『告白』が初めてで、特殊な体験でした。そうだ、道尾秀介さんもよく読んだ時期もありました。どれも面白かったのですが、『シャドウ』がいちばん好きです。
――部活や習い事はしていましたか。
金子:私は小中高一貫の進学校に小学校から通っていて、小学校受験をしているので、個別指導塾みたいなところには通いました。他に習い事は、もしかしたら始めたけれどすぐやめた、というものがあるかもしれませんが、あまり記憶はないです。
中学校の時は卓球部に入って、そんなに本気でやっていたわけではないんですがあまりにも下手すぎて、近所の卓球スクールに通ってみた時期はあります。
――なぜ卓球を選んだのですか。
金子:運動が苦手だけど運動部には所属していたくて、ものすごく失礼な話ですけど、卓球ならそこまで動けなくてもなんとかなるかな、と。「運動できない中学生あるある」な気もするんですけど。私が通っていたのは川崎市の桐光学園という、野球部が甲子園に行ったりサッカー部が全国大会に出たりする学校でした。文武両道を謳う進学校です。なので高校からの卓球部はガチのスポーツな感じだったんですが、中学の卓球部は温泉卓球に毛が生えたくらいのレベルだったので、運動が苦手でも一応運動部に所属しているアリバイになったというか。一部本当に上手い子もいたんですけれど周りの多くは私と同じ感じでした。甲子園とかサッカーの全国大会に行くのは、高校でスポーツ推薦組が入ってきてからなんですが、私は中学卒業と同時に別の学校に行ったので...。
――小中高一貫校だったのに高校受験で別の高校に進んだのは。
金子:本来は高校まで行ってから大学受験なんですけれど、中学の時に、大学受験したくないなと思っちゃったんですね。中学の時から大学受験を意識したカリキュラムで、毎朝テストがあったりして、それがあまり肌に合わなくて。興味が移ろいやすい子どもだったので、早めに受験勉強を卒業して、受験の枠外の勉強がしたかったんです。弁護士に興味があったので法律の勉強もしたかったし、理数系が好きだったので数学とかももっと面白い勉強をしたいなと思って。
――多くの生徒が受験せずにそのまま上に進む環境の中で、受験勉強をしていたわけですね。
金子:そうです。中2から塾に通い始めました。クラスメイトの95%は受験勉強をせずにのびのびやっているなか、私は学校の授業が終わってから塾に行ったりしていたので、中学生時代の後半は忙しかった気がします。
それで慶應の付属の慶應志木高校を受験し、高校2年生の時に国語の面白さを知って、はまっていくことになるんですけれども。
――『死んだ山田と教室』の舞台となる、変わった作りの教室がある学校ですね。通学時間が結構かかったのでは?
金子:片道1時間15分くらい電車に乗っていたので、結構本を読めたんです。高校2年生の時に、授業がきっかけで太宰治にはまって、そこから舞城王太郎さんとかに興味がのびていくんですけれど、長い通学時間が嬉しかったですね。行き帰りはずっと本を読んでいました。
「高校の授業で太宰にはまる」
――――太宰治にはまったのは、どんな授業だったのですか。
金子:付属校なので、授業のカリキュラムを組む時に大学受験を考えなくていいんですよね。先生それぞれが、自分の興味があるものを好きに授業してもいい校風でした。小澤純先生という、芥川龍之介を専門に研究している方がいて、周辺領域として太宰治にも詳しかったんですね。私が高校2年生になったのは2010年で、前年が太宰の生誕100年だったので、『人間失格』などの新装版がばんばん出ていた時期だったんですよ。それで小澤先生が、太宰メインで1年間授業を展開してくださったんです。たぶん、太宰は思春期に刺さるだろう、ということもあったんだと思います。
SFも好きな先生だったので、太宰と『ドラえもん』を並行してやったんですが、太宰についてはその生涯と照らし合わせながら、デビュー作品集の『晩年』や「狂言の神」などの初期作品を一篇一篇読み解いていったんですね。『晩年』は一篇目が「葉」という作品で、これが36の断片に分かれているんです。私は高校一年生の時からtwitterを始めていたので、「葉」はtwitter味がある小説だと思いました。一行だけの断章もあって、警句的な、響くフレーズがあったりして。エピグラフにヴェルレーヌの「撰ばれてあることの恍惚と不安と二つわれにあり」って言葉が引かれていて、私も中二っぽいところがあったので、「格好いいじゃん」と。
それまで教科書とかで読んだ太宰の作品はそこまで前衛的と感じなかったんです。書かれた時代には前衛的と言われていたかもしれないですが、現代小説を読んでいる人間としては、そこまで尖っている印象がなくて。でも、「葉」は自分にとっては見たことのない形式だったんです。分かりやすいストーリーラインがあるわけでもなく、一見関係のなさそうな、長短含めた断章がポンポンとあって、読んでいくとおぼろげに繫がりが浮かび上がってくる。そこにすごくびっくりしました。こんな小説があるんだ、って。
『晩年』にはのちに『人間失格』で再登場する大庭葉蔵が主人公の「道化の華」も入っていて、三人称で太宰が鎌倉で心中未遂した時のことが語られるんですけれど、合間合間に「僕」という一人称が現れ、こんな文章じゃ駄目だ、こんな恥ずかしい場面を自分は書いていいのか、みたいな自意識が語られる。「猿面冠者」という短篇はメタが積み重なっていく構造で、「ロマネスク」という短篇は修行して強くなっていくという、少年漫画味を感じる内容で。
それまで太宰治って、『人間失格』とか『走れメロス』とかが教科書に載っている偉い作家というイメージだったんですけど、『晩年』を読んで、こんなにいろいろ面白いことをやっている人だったのか、と思いました。授業での解説も含めて、すごく衝撃を受けました。小説ってこんなにいろんなことをやっていいんだ、こんなに面白いんだって、気づいたら自分も小説を書き始めていたんですよ。夏休みには書き始めていたと思います。
――――実験的な小説を?
金子:徐々に実験的になっていくんですけど、書きはじめた当初は、うまく実験できなくて。国語の授業は他にもあったんですが、夏目漱石の『夢十夜』をやってくれた先生もいたんですね。それも面白かったので、『夢十夜』っぽい、夢みたいな設定の話を書いたのが最初でした。ちょっと湊かなえさんチックな、イヤミスっぽい夢の話です。書いていて楽しかったんですけど、作品としてうまくいったかは分からないです。
――――授業で太宰と並行して『ドラえもん』も扱ったということですが、それはどんな授業だったんですか。
金子:前半は『ドラえもん』の映画を観て感想を書いたりして、夏休みだったかに「大長編ドラえもん」の企画書を書きなさい、という課題が出ました。そのなかから良かった10作くらいを小澤先生がピックアップしてくれたんですけれど、私は選に漏れました。ちょっとひねってダークヒーローっぽいものにしたんですけれども、爪痕を残せませんでした。2021年に岸田國士戯曲賞の候補になった小御門優一郎くんは私の同級生で、彼はその課題でアイデアを思いついてしょうがないからといって、たしか8人分くらいのゴーストライターをやっていたんです。そうしたら小御門くんが書いた企画書が何本も選ばれて、とんでもない奴だなと思っていたら、その十年後に岸田賞の候補になっていて、やっぱすごかったんじゃん、と。ちなみに映画監督の鯨岡弘識くんも慶應志木高校の同級生で、私は一年で辞めてしまったんですが、軽音部の同期でした。
「大好きな舞城王太郎作品」
――高校時代に、いろんな小説を読み始めたわけですか。
金子:はい。それまでも漫画は好きだったので、ヴィレッジヴァンガードにはよく行っていたんです。川崎市の自宅から埼玉県の慶應志木に通う際、いつも乗り換えている駅にヴィレッジヴァンガードがあって、あの雑然とした感じがすごく好きで、吸い寄せられるように入っていって(笑)。そこで『おやすみプンプン』などの浅野いにおさん、『ボーイズ・オン・ザ・ラン』などの花沢健吾さん、あとはヤマシタトモコさんや東村アキコさんといった方たちの漫画を知りました。青年コミックも読むようになって、そのなかで、舞城王太郎さんの短篇を青山景さんがコミカライズした作品が収録されている『ピコーン!』をたまたま買って読んだんですよ。それがめちゃめちゃ面白かった。原作を読んでみたくなって「ピコーン!」が収録された『熊の場所』を読み、こんな小説があるんだって度肝を抜かれました。文体がとにかく衝撃的で、こんな小説読んだことないと思わせる新しさで、そこから舞城さんの本を買い集めるようになります。
舞城さんがメフィスト賞出身であることや、『阿修羅ガール』で三島由紀夫賞を受賞していると知って、メフィスト賞とか三島賞の本をあさり始めるんですね。舞城さんと同じくメフィスト賞、三島賞を受賞されているということで、佐藤友哉さんを知ったりして。
あとヴィレッジヴァンガードで嶽本野ばらさんの本も推されていて、めちゃめちゃはまりました。嶽本野ばらさんって、文章に太宰味がある気がするんです。太宰の文章のリズム感みたいなものがインストールされているような文章だなって思っていました。同じ理由で、綿矢りささんもそのころ熱心に読みました。太宰とヴィレッジヴァンガードきっかけで、いろんなものを読むようになりましたが、メインは日本の現代文学でした。
――舞城王太郎さんで好きな作品といいますと。
金子:絞り切れないんです。『好き好き大好き超愛してる。』がめちゃめちゃ好きで、10回以上読み返しています。〈愛は祈りだ。〉という一文から始まって、作中作と言い切れないような作中作と、主軸の小説家パートがメタ的に結びついてテーマを貫いていて。あの美しすぎる構成に、読むたび惚れ惚れしています。語り手の「僕」が、死んでしまった恋人の柿緒が残した秘密はなんだったんだろうと振り返るところもすごく好きでした。うまく説明できないんですけれど、とにかくあの小説が私の中心に据わっています。
舞城さんを知るきっかけとなった「ピコーン!」ももちろん好きです。短篇集では『みんな元気。』『スクールアタック・シンドローム』『イキルキス』あたりも好きですね。近年では『私はあなたの瞳の林檎』から続く果実シリーズも好きです。というか全部大好きですね。
高校3年生になると、付属校ならではの高校教育の粋を越えた選択授業があって、社会科の先生が法律の授業をやったり、大学でやるような数学の授業があったりしたんです。そのなかで小澤先生が、「SFとロマンティシズム」というタイトルで1年間授業をしてくれたんですよ。藤子・F・不二雄先生のSF短篇や、大森望さんが編訳したSFの短篇集を扱ったりしていました。そのなかでこれまでの授業でやってきたロマンティシズムなどの概念を使って、好きな作品についてレポートを書け、という課題が出たんです。私はその時に「みんな元気。」でレポートを書きました。だから、あの短篇は本当に思い出深いです。『スクールアタック・シンドローム』に文庫書き下ろしで収録されている「ソマリア、サッチ・ア・スウィートハート」も大好きで何回も読み返しています。
『ディスコ探偵水曜日』もめちゃめちゃ好きで深く影響を受けているんですけれど、あれはかなり長いので2回くらいしか読み返せていないんです。さまざまな探偵の推理が複数の世界を構築していって、でも結局は愛、みたいな1000枚以上の大作で。この世の全部じゃん、この小説さえあればもうそれでいいじゃん、みたいな気持ちになりました。
『淵の王』も好きです。唯一無二すぎる、と思いました。「新潮」2015年1月号初出の時に読んで感動しすぎて、当時やっていたtwitterに感想を10ツイートくらいばぁーっと書き込みました。それまでは舞城さんって、ぜんぶ一人称で、頭の中に渦巻く言葉を全部紙に落とす書き方をしていた印象があったんです。いいことも悪いことも迷いも全部いったん紙に落として、読者と一緒に正しい倫理を目指して突き進んでいこう、みたいな。だから、三人称だと「僕」や「わたし」の思考が文章と直結しないから、舞城さんには合わないし、三人称は書かないんだと思っていました。舞城さんは英米文学に造詣の深い方でトム・ジョーンズの『コールド・スナップ』を翻訳されているんですけれど、それが三人称文体で、いつもと違う印象だったので。でも『淵の王』は、「私」が「あなた」に、「俺」が「君」に、「私」が「あんた」に語りかけるという、一人称と二人称の併用文体で、舞城さんの世界認識を保ったまま他者を書いているんです。圧倒的な主観で他者を描き切るという、舞城さん固有の「三人称」が生まれた小説だ、「一人称+二人称=三人称」なんだ、これは文学史上の大事件だ、ということを大学3年の冬に、大興奮してtwitterに書いたんです。
――そのポストはSNS上に残っていますか。
金子:もう全部消しちゃったんですよね。当時は作家志望の何者でもない人間だったので、小説や演劇の感想を自由に書いていたんです。当時、ネットを通して知り合いになっていた町屋良平さんにそれを褒められたりしていました。今は新人作家になったので、あまり観たり読んだりしたものの感想をSNSに書かないようにしているんですけれど。
――さきほど挙げていらした、舞城さん以外の作家の方々の好きな作品は。
金子:佐藤友哉さんは、『1000の小説とバックベアード』が大好きです。これは鮮明に憶えているんですけれど、朝電車の中で読んでいて、面白すぎて中断したくなくて、電車を降りずに遅刻覚悟で目的地を通り過ぎた経験があります。
佐藤さんもやっぱり太宰好きというのが根っこにあって、太宰が現代に転生した『転生! 太宰治』シリーズなども書かれているんですけれど、私は初期の小説から太宰味を感じていたんですよね。そのなかで『1000の小説とバックベアード』は、小説家ではなく「片説家」という職業集団の話で、書くことや認められたいということへの自意識をこじらせた人たちが出てくる。それが小説を書きはじめたばかりの私にぶっ刺さりまして。文体の切れ味も大好きで、視覚的にも面白いんですよ。『1000の~』の終盤に一行の文字数が同じ文章をずっと続けているところがあるんですが、それは本当に文章的にも見た目的にもとんでもなく美しくて、一生忘れられないですね。
綿矢さんはやっぱり『蹴りたい背中』を読んだ時のインパクトがすごかったし、『インストール』や『かわいそうだね?』も大好きです。でも一番好きなのは、大学に入ってから読んだ『ひらいて』です。主人公は愛という派手でイケてる高校生の女の子で、たとえ君っていう男の子がすごく好きなんですよね。でも、たとえ君には美雪という、地味で病弱な彼女がいる。愛は、たとえ君に近づけないからってことで美雪と同性愛関係に発展していくんです。たとえ君が好きなのに駄目ならその彼女と、みたいな、思春期のわけが分からないエネルギーの熱暴走みたいなものが、綿矢さんの息を呑むような見事な比喩とか、痺れるような句読点の使い方で描かれた中篇なんです。『インストール』や『蹴りたい背中』もすごかったのに、まだ超えてくるんだ、という衝撃がありました。
嶽本野ばらさんは『ロリヰタ。』が一番好きで、デビュー作の『ミシン』もめちゃくちゃ好きです。とにかく心の襞に無理矢理分け入っていくような文章で、感傷を否応なしに喚起してくれるというか。私はロリータファッションにそれほど興味があるわけではないんですけれど、ここに書かれたロリータを愛する気持ちは自分のことのように体感できる。映画化された『下妻物語』もエンタメ的に大好きですけれど、やっぱり忘れられないのは『ロリヰタ。』です。