この先、面白いことは起こらない
いつも執筆に使うという喫茶店「むさしの森珈琲」に現れた松田さんは、ハイファッションに身を包み、個性的な髪型に強いまなざし。いかにも自由人という印象だ。けれど実際は、新卒で入った会社ですでに10年以上勤める会社員。今日も午後から仕事だという。
受賞の言葉にはこうあった。
「昨年末、『この先の人生、取り立てて面白いことは起こらない』という種の漠然とした予感が胸の内に広がり、年明けに『否』と唱えて小説を書き始めた」
大学時代は学生演劇に没頭し、評価も得ていたという。ますますなぜ、普通に就職したのか不思議だ。話は高校時代に遡る。
「はじめて言語表現に強烈な印象を持ったのは、高校に入ってから。町田康さんや松尾スズキさんの作品に触れて、テレビでは聞いたことのない言葉、それによって生まれる笑いに衝撃を受けたんです。ポーカーフェイスですごいヤバいことをやっているあの感じ。大学に入って演劇を始めたときも、やっぱり笑えるものに惹かれていて。スラップスティックでバカバカしいことを思いっきりやりたいと思って、脚本演出した作品で演劇祭に出るなど、結構熱中していました」
なぜ、卒業後も演劇を続けようと思わなかったのか。
「自分が社会のことを何も知らないという感覚があったんです。このまま演劇をやっていても、出せるものが先細りしていく気がして。とはいえ、就職できなかったらできなかったでいいや、とも思っていたので結構ギリギリまで演劇を続け、最終的にエンタメ関連の会社に就職しました」
受けられるストレスは受けておきたい
実際、社会人になってみてどうでしたか。
「会社での仕事は、既にできあがったエンタメ作品を社会に流通させていくためのもの。続けるうちに感じたのは、自分はやっぱりその手前の、作品がどう作られているかにしか強い興味を持てない、ということでした」
当初の社会を知るという目的は果たされたのだろうか。
「それは本当に、すごく面白かったです。学生時代は他人と同じクラスに放り込まれるにしても、結局よく付き合う人は自分で選んでいるじゃないですか。でも、社会人になると自分とは全然違うタイプの人ともコミュニケーションを取らないといけない。自分の心を殺した状態で相手と接する感覚や、まったく興味の無いことをやるストレスが面白く感じたんです」
面白く……?
「自分はめちゃくちゃ怠け者だと自覚しているので、ストレスを与えて精神を活性化させたい気持ちがあるんです。ストレスがものを考えるきっかけになるというか。今ここでインタビューに答えて楽しく過ごしている自分はこういう楽しい環境にずっといたいと思っていますが、一方で、受けられるストレスはできるだけ受けておきたい自分もいます。ちょっとした違和感を摂取しておきたい」
なるほど。会社員を選択した理由が見えてきた。でも入社11年目にもなると、そういう刺激も減っていくのでは。
「そうなんです。部署異動で仕事内容が変わることもあって、それなりに刺激を受けていたのですが、それも一通り経験し終わったと思ったのが一昨年の暮れでした」
最初から読まれることを目指した
なぜ、その打開策として演劇ではなく小説を選んだのですか。
「演劇は人も場所も必要。一人芝居もあるけれど、自分は演劇となると人を集めたくなっちゃうので。もちろん資金的な問題もあります。小説は手っ取り早い。それにまだ一度も書いたことがないというのもポイントでした」
えっ!「ハイパーたいくつ」が初めて書いた小説なんですか?
「はい。一応演劇をやっていたときに脚本術の本などは読んでいましたが、小説はそこから逸脱した方が面白いだろうと思って、セオリーは気にせず、3月末締め切りの文藝賞に向かって書き始めました」
最初から応募ありきだったんですね。
「書く前から応募することは決めていました。色んな人に読んでほしかった。承認欲求というよりは、就職してからずっと思っていることや言いたいことを閉じ込めている感覚があって、それは書いただけでは解消されない気がして。誰かに読んでもらって初めて抱え込んだものを外に出せる気がしていました。文藝賞に絞った理由としては、昔から河出書房の作る本はかっこいい、と思っていたのと、選考委員に町田康さんがいた、というのが大きいです」
書き始めてみて、どうでしたか。
「最初はプロットを立てようともしたのですが、書き出したらすぐプロットから外れていって。頭の中の設計図通りに書こうとするとうまく手が動かない。それよりもすごくぼんやりしたイメージだけ頭にある状態で、それを見つめながら書くのが一番書けることに気づきました。ずっと家の中をぐるぐる歩きながらイメージを溜めて、それを元に書いていきました。
よく、作家さんがインタビューで『人物が勝手に動き出す』『書きながら考える』とかいうじゃないですか。あれってどういうことなんだろう、その方がかっこいいからそう言ってるだけじゃないの?って思っていたのですが、実際やってみると、本当にその通りで。自分が思ってもなかったことが手を動かすうちに出てくる。それがすごく面白かったです」
小説と脚本、書くときの違いは。
「演劇では、登場人物がたくさん出てきて、短いセリフの応酬でテンポよく回していくものを書いていました。だから作品自体はひとつながりでありつつも、セリフを言うキャラクターが常にスイッチしている。だけど『ハイパーたいくつ』は一人称で、ひとつの流れをほぼそのまま出すような感じ。そこが大きく違いました。
途切れないように書いたほうが物語も発想も先に進められるので、句点(。)を打ちたいところも読点(、)にしてどんどんつなげていました」
書いていて苦しかった部分は?
「考えがあちこちに散らかっていきがちなんで、書いているうちに別のブロックが浮かんできて、そっちに脱線させたくなる。そこをぐっと抑えてまとめようとするのに苦労しました。一方、煮詰まったときには全く関係ないブロックを書いてみて、それを本筋に入れることもありました」
いないことにされる人たちを
今作に込めた思いとは。
「社会の言葉では擁護できないようなものや人、そのままだといないことにされちゃう人たちを〈笑い〉でだったら出現させられるかも、と思ったんです。社会的にNGだから、という理由で感じていることをそのまま出せない感覚が自分にはずっとあるし、周りを見ても同じような人は割と多い気がしています。その外には出せない、社会に置き場所のない感情や感覚を、面白いものとして出してみたかった」
最終選考に残ったという知らせは会社の廊下で受けたそう。
「嬉しさもありましたが、現実感がなく、きょとんとした感じ。選考会までの待ちの時間は、選考結果について考えないよう、次に応募する作品の準備をしていました。すっかり小説を書くのが楽しくなっていたので」
そして見事に受賞した。
受賞の言葉にあった「この先の人生、取り立てて面白いことは起こらない」という予感は変わりましたか。
「変わりました。まず、小説を書いていると、自分の中から自分の知らないものがでてきて、すごくワクワクするんです。だから、あの時感じていた退屈を回避する方法を手にしたという感じ。そして、受賞し、本となり、いろんな人に読んでもらえたことで、自分では思ってもなかったことを小説の中に見つけて、教えてもらえる。それもすごく楽しいです。でも、今のところ会社を辞めて専業作家になろうとは考えていません。経済的な理由も大きいですが、やっぱり違和感やストレスはあったほうが、ものを考えるきっかけになるので、どこであれそういう環境にはいたい」
小説家にならないままで
小説にしかできないことって何だと思いますか。
「小説って何でも書ける。例えば、なにかムカつくことがあったら、『自分以外の全部を爆発させようと思います。さようなら。終わり』ということも書ける。でも、それにリアリティを持たせようとすれば、全部爆発すると好きなものや人も消えちゃうし、食べ物もどうするんだって話になって、全部なくなればいいっていうのは本音じゃなかったと気づく。その、いくらでも書けちゃうことと生活感覚の綱の引き合いみたいなのが面白いと思います。
その点、演劇は役者という肉体があるものだから、地に足をつける役割を役者に任せられる。飛んだ世界を書きたい自分と、それを生活感覚に引き留める自分と、両方をできるのが小説にしかない面白さだと思います」
松田さんにとって「小説家になる」とは。
「難しいですね。あんまり〈小説家になった〉というふうに自意識を限定しないほうがいいかなって思います。たとえば、今日ふだん聴いているレコードや映画のDVDを色々持ってきたんですが、僕は小説以外にもいろんなものが好きで、今は小説の面白さに目覚めたので、受け取ったものを出力するのは小説ですが、それはたまたま今そうってだけ。いずれは演劇も再開するかもしれないし、もっと他の表現方法もやるかもしれない。自分は小説家だ、と決めない方が退屈しないものを創れる気がします」
【次号予告】次回は、「光のそこで白くねむる」で第61回文藝賞を松田さんと同時受賞した待川匙さんが登場予定。