

もめ事、噂話…距離を置いた駐妻生活
タイで暮らすことが決まった時、「やった〜、超楽しみ!」と喜びでいっぱいだったという一木さん。長女が1歳の頃にタイ旅行に行き、現地で親切にしてもらったことから、タイにはいい印象があったからだ。
「海外で暮らす不安は全くなく、実際に暮らし始めたら毎日がとても楽しかったですね。タイ語もしゃべれるようになりたい! と思って、全然しゃべれない時から、カタコトのタイ語で話しかけてはメモをとっていましたし、語学学校にも通いました」
海外駐在では、夫の会社の役職によるヒエラルキーが存在し、駐妻もそれに左右されるという話を聞くが、一木さんはどうだったのだろうか?
「私はそういうのはなかったのですが、周りではよく見聞きしました。赴任当初、日本人が多く住むエリアに住んでいたのですが、そこでは日本人同士の揉め事はしょっちゅう。噂話も大好きで、『あの奥さんは、ルールを破っている』みたいな話も耳にしましたし、修羅場もありました。そういうのに疲弊して、日本人が多く住むマンションからどんどん離れていきました」
2016年に第15回「女による女のためのR-18文学賞」を受賞し、小説を発表していた一木さんは、メディアに露出していたことから現地在住の日本人に顔を知られるようになり、道端で声をかけられることもあったという。
「うれしいこともたくさんあったんですけど、ある時、『SNSにあなたが昼間から屋台でビールを飲んでいたって書かれていたけど、気にしなくてもいいよ。私は応援してるから』と言われた時は、ちょっと複雑な気持ちになりました」

根底のテーマは「通じ合うこと」
本作は3作の連作で構成されている。マレーシア出張中の夫がコロナでタイに戻れなくなり、高級コンドミニアムで一人暮らし中のマリが、スーパーで働くタイ人青年テオと出会う「菜食週間」、タイ人男性と国際結婚して裕福な暮らしをしているものの、元飲食店経営者の日本人・裕介と不倫関係にある晶と、その友人で好奇心から日本人女性専用の風俗店で若い男性を買う紗也子を描いた「なーなーの国」、晶の知人で、夫の本帰国を控えた澄花が、バンコクに来たばかりの20代の頃に騙されて国境近くの売春宿に連れて行かれ、客を取らされていた時のことを振り返る「パ!」だ。
夫の仕事の都合で異国の地に暮らすことになり、夫は仕事で多忙、閉塞感のある日本人コミュニティーで常に誰かに見られているストレスを抱えている駐妻たち。そこに生じた心の隙間に、たまたまパズルのようにぴったりとはまってしまった、三者三様の恋愛模様を描いているのだが、本作の根底に流れるテーマは「通じ合うこと」だ。
「私自身は、逆に日本にいる時から、生きていることに対する“寄る辺なさ”をずっと感じていました。でも、海外にいる時の異邦人感は、私にとっていい方向に働いていたと思います。不安定で、この先どうなるかわからないという方が私は好きみたいです。日本にいると何でもあるんですよね。タイだと昔からの友達も親戚もいなくて、シンプルでクリア。だからこそ、自分の悩みや寄る辺なさ、孤独に向き合わざるを得なかったのかもしれません」

本作の「なーなーの国」にある、
海を越えれば何かが変わると考える人は多い。そんなものは幻想だ。故郷を離れたって、人は同じことをぐるぐる悩み続ける。男癖女癖酒癖借金癖。二股三股性病。親との関係。子育て。自分の弱さ醜さ。変わるどころかむしろもともとあった問題が顕在化する。異国という根のない地で、これまで見て見ぬふりをしてきたことを直視せざるを得なくなるのだ。『結論それなの、愛』より
という描写は、一木さんの心情に重なっているのだろう。
この作品を執筆中に完全帰国した一木さんは、日本語が通じて何でもある日本にあっという間に馴染んでいき、タイでの日々をどんどん忘れてしまいそうな気がしたという。
「タイと日本の違いや、現地で感じたことや小さな違和感などを忘れたくない、と思いました。それに、いろんな国の人たちがいるタイと違って、日本は言葉や文化が同じという安心感からか、『みんなわかっていて当たり前』という前提が多すぎることにも気づきました。タイにいる時は、自分が当たり前と思っていることが相手にとってはそうではないし、言葉も文化も違います。だから、すごく真剣に『コミュニケーションを取るぞ!』という意気込みで喋っていました。属性の近い相手だと、『伝わっているだろう』と思ってしまうし、自分の考えを変える心づもりを持って会話をしないですから」
「菜食週間」のマリはタイ語の日常会話はできるが、ネイティブではない。それでもタイ人のテオと、日本人の夫以上に心を通わせるようになる。「なーなーの国」の晶は、タイ人の夫との間に生まれた心の隙間を、同胞である日本人男性・裕介との不倫で埋めているが、裕介との突然の別れによって、「裕介が何を望んでいるか、もっと真剣に想像したらよかった。わからないときは尋ねるべきだった」と自分を責める。通じ合うことは当たり前ではない、ということを彼女たちの恋愛を通して読み手に語り続ける。

「伝わる」を極めた最終章
中でも異彩を放つのが最終章の「パ!」だ。還暦間近の夫、大学生になる娘と3人でまもなく帰国する澄花は、今でこそ優雅な駐妻だが、意外な過去があった。夫と出会う前のこと、日本での生活に行き詰まって追われるようにタイに来て、とある出来事からタイ国境近くの娼館に連れて行かれ、客を取らされていたことがある。このエピソードのヒントの一つが、一木さんがタイで親しくなったカンボジア人女性の話だった。
「タイ語ができるようになってよかったことの一つは、タイに出稼ぎに来ている周辺諸国の人たちと喋れるようになったことです。カンボジア人女性と親しくなったのですが、その人に聞いた、カンボジアにはとある娼館があって、そこには日本人と韓国人が1人ずついた。この2人だけ値段がちょっと高いんだけど、すごく人気があったという話が印象に残ったんです」
澄花は自分がこの先どうなるかわからない中で売春させられるが、客の一人にフラメンコギタリストのヴィンセントという男性がいた。売春婦と客という関係であったが、拙い英語、音楽、セックスという限られたコミュニケーションの手段を通じて、少しずつ心を通わすようになる。
「『菜食週間』と『なーなーの国』では、愛と弔いは何か、といったことを考えていましたが、『パ!』では、伝わるってどういうことだろうということをずっと考えながら書いていて、そのことを極めた章だと思っています。澄花はずっと人と通じ合えない人生を送ってきて、異国の娼館という極限の場所で、ヴィンセントと通じ合うことができた。もしかしたら澄花が一方的にそう感じているだけかもしれないけど、その実感を得たからこそ、その先を生きていける強い女性になれたし、タイにすべてを置いて、軽やかに帰国していける。生きていく上で、人と通じ合うことの大事さが描けたのではないかと思っています」

駐妻の異国での恋愛模様には、南国タイの熟れた果実の甘美さがあるかもしれない。しかし、その裏には、人が抱える孤独感が横たわっており、人と人が通じ合うとはどういうことかを考えずにはいられなくなる。タイの湿気を帯びた熱気が身体にまとわりついて離れないように。
