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高村薫さん「墳墓記」 現代文と古文を行き来「日本語の幅を押し広げたかった」

高村薫さん

 高村薫さんの新刊長編「墳墓記」(新潮社)の世界に足を踏み入れると、日本語の海にたゆたう思いがする。気づけば、混然とした言葉の響きにすっぽり包まれている。

 能楽師の家に育った元法廷速記者の男は自死をはかったが、未遂となる。その夢想のなか、万葉集や源氏物語、平家物語、太平記といった古典世界の声がよみがえる。現代文と古文を融通無碍(むげ)に行き来しつつ、物語は深まっていく。

 「日本語の幅をぎゅっと押し広げたかったのです」と高村さん。多彩な作品を手がけてきて、また新しいことに手を広げようと、現代文と古文を交ぜたのだと話す。

 古文とは中学生の時に授業で出会ったが、まともに勉強しないできたという。知らないからこそ、首をつっこんでみようと思った。「苦手なものに一つ一つ落とし前をつけていくのが、私の人生なのです」

 今回、あまり親しんでこなかった源氏物語や和歌の世界のどこがおもしろいのか、のぞいてみたいという思いがあった。さまざまな古典について、先入観なしに原文に向き合った。現代語訳ではない。原文だからこそ、その時代の日本人の生活感覚を体感できた。それを小説に溶かしこんだ。

 すると、日本語の変化がよくわかった。「こんなふうに変わっていくんだと思いながら書いていました」

 日本語が変化するということは、それを使って生きている人たちが変化するということ。平安貴族の生活感覚と、鎌倉時代の武者の世の身体感覚がどれほど違うかも実感できた。

 琵琶の音曲、動物の鳴き声、読経……。一語一語を追っていくと、声や音が時空を超えて聞こえてくるようだ。

 ばららん。

 タン、タタ、タン、タタ……。

 このような響きを表す印象的な表現がちりばめられている。

 「こういう音の世界に私は生きているのだと思います。意味がわからなくても、いろいろな音を聞いていると楽しい」という高村さんには、こんな幼児体験がある。お昼寝の時間になると、そばで祖母がラジオの株式市況を聞いていた。高村さんにとって、それは子守歌だった。そんな体験も作中にしのばせた。

 大切なモチーフになっている能も、子どものころから親しんできた古典芸能だ。なかでも能面に興味があった。「怖いけれど、とんでもなく美しかったり、女性の顔である小面を男性がつけると、とてつもない美女になったり。ひかれました」

 高村さんは直木賞の選考委員を2013年下期から務め、今年1月に退任した。「私は、おもしろい、おもしろくないという読み方はしませんでした。小説の書き方をいつも見ていました」。この間、選考にのぼる作品に変化を感じたと話す。近ごろはストーリーがじつに上手に作られているように見える。

 読者が求めるものも変わった。すぐに映像化できる作品がもてはやされるように感じる。「時代とともに小説も変わっていくのです」と任を離れた。

 自身の作品について、構想は次々にわいてくる。「際限がないんです。こんな世界が書きたいという欲望が。これからも基本は音の世界。音が聞こえてくるような世界をつくりたいですね」(河合真美江)=朝日新聞2025年4月2日掲載