

「父の恋人たちの中で、ひとりだけ、忘れ難い人がいる」(第一章 髪を洗ってくれた女〈ひと〉)
堀さんは8歳の時、大好きな母と離ればなれになって父の恋人「ユキ姉ちゃん」と暮らし始める。ある夜、一緒に潜り込んだベッドの中でお願いされた。「お母さんになってもいいけ?」
21歳になって、あの夜の返事を謝りたくてユキ姉ちゃんに会いに行く。父とは違う男性と結婚したばかりの人は打ち明けた。「私、香織ちゃんに謝りたいこと、あるげん」
帯に推薦文を寄せた是枝裕和監督に映画化を提案したくなるようなエッセーである。「be」連載時は両親の看取(みと)りを主題としたが、本書は死別する父母と過ごした確かな生を描く。3度も結婚した父、歌舞伎町のクラブで働いて3人の子供を育てた母。「亡くなっていく両親がどんな人生を歩んできたかを書くことは二人を愛し直す行為でした。別れではなく愛の本なんです」
別居、離婚、不倫、闘病、介護、死別。悲しい出来事が続いても、個性的な家族の横顔と軽妙な筆致が愛(いと)おしい読み味を与える。
娘のために40万円のピアノを買うべく貯金中の20万円でなぜかビブラフォンを購入した父。62歳にして中学の同級生と恋仲になった母。80枚の古いレコードをひそかに娘への形見に残していた父。難病で衰弱した後でも美容のための1日5分の運動を娘に勧めてくる母。「親は最初に知り合う大人。絶対的に興味があるからこそ俯瞰(ふかん)して客観して。読んだ方が自分の家族に思いを馳(は)せてくれるかどうかが書き手として勝負でした」
客観しつつ、読んで楽しい物語になったのは緻密(ちみつ)な細部の集積があるからだろう。「当事者として生きながら全て観察して脳内に録音録画してきました」。30代からミクシィ、フェイスブック、noteなどにつづった膨大な文章群に加え、是枝監督の評する「人並外れた記憶力」が視覚的な情景を生んでいる。
現在、堀さんの自宅リビングの棚には母の仏壇と父の祭壇が並ぶ。位牌(いはい)、喉仏の入った骨つぼの隣に飾られたのは両親の写真。生まれたばかりの長女を抱いて笑っている。「家族をつなぐものは血じゃなくて、愛だと思います。別人と別人の出会いで始まるから」。あれから33年も会っていないユキ姉ちゃんもどこかでページをめくり、思い出しているかもしれない。8歳の香織ちゃんとかつて愛した人のことを。「だから、あの時の私とユキ姉ちゃんは……家族だったんです」(北野新太)=朝日新聞2025年4月23日掲載
