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「養生する言葉」書評 暴力に抗い生き抜くための知恵

評者: 安田浩一 / 朝⽇新聞掲載:2025年05月03日
養生する言葉 著者:岩川 ありさ 出版社:講談社 ジャンル:文学・評論

ISBN: 9784065384459
発売⽇: 2025/02/14
サイズ: 13.2×18.8cm/256p

「養生する言葉」 [著]岩川ありさ

 探しているのは言葉だ。憂鬱(ゆううつ)や倦怠(けんたい)を乗り切るために。生きるために。干からびた心の中に潤いを与えるような言葉を私は待っている。いつも。たぶん、あなたも。
 それこそが「養生する言葉」だ。「生きていてもいいと背中を支えてくれる」言葉の数々が、著者自身の「物語」とともに綴(つづ)られる。
 けっして軽やかな気持ちで読み進めることはできなかった。「養生」に至るまでの著者の道のりがあまりに険しく、時おり全身の筋肉が強張(こわば)った。
 トランスジェンダーとして悪意ある言葉をぶつけられてきた。卑劣な性暴力の被害者として、トラウマを抱えて生きてきた。何かの拍子に心の傷がぽっかり口を開ける。葛藤と絶望が著者を襲う。
 だからこそ「私は、生を打ち砕き、希望を打ち破る破壊に抗(あらが)う言葉を知りたい」と望んだ。
 ハン・ガン、大江健三郎など文学者の作品に、「傷や喪失に直面した自分を時間をかけて受けとめるための表現」を見出(みいだ)す。たとえば宮地尚子のエッセーに綴られた一文。「傷を愛せないわたしを、あなたを、愛してみたい」。著者はそこから、自分も傷を愛していないが、「傷の愛せなさについて話すことはできるかもしれない」と考える。傷を愛せない自分は卑怯(ひきょう)だと思い込んでいた。だが、巡り合った言葉によって心がほぐされる。性暴力サバイバーが生き抜くための知恵を発見する。あるいはイスラエルの空爆で死んだパレスチナの大学教員の詩と出会い、暴力に抗うこと、「『凧(たこ)』を上げるみたいに」言葉を引用することも養生なのだと確信する。生きるために。生き続けるために。そう、個人的な領域を超え、養生は社会の一部としても機能する。
 抗えないように思えることでも、それを問いなおしたり、ときほぐしたりする物語が、この世界にはある。そんな著者自身の言葉にこそ、私は袋小路の暗闇に射(さ)し込んだ一縷(いちる)の光を見るのだ。
    ◇
いわかわ・ありさ 80年生まれ。早稲田大教授(現代日本文学、フェミニズム、クィア批評など)。著書に『物語とトラウマ』。