宮城編 青春の陰影がにじむ杜の都 文芸評論家・斎藤美奈子
こと文学に関していえば、杜(もり)の都仙台は青春小説の街である。それも青春を謳歌(おうか)するのではなく、悩み考えるタイプの若者たちの。
佐伯一麦(かずみ)の三島由紀夫賞受賞作『ア・ルース・ボーイ』(1991年/小学館P+D BOOKS)は中でも鮮烈。〈ぼくは十七。いま、坂道の途中に立っている〉。そんな一文ではじまるこの小説は、同い年のガールフレンドと彼女が産んだ子ども(父親は彼ではない)の窮状を救うため、県内有数の進学校を中退した少年が電気工の見習いになる物語だ。衝撃的な内容だが〈大学にも行かず、暴走族にもなれない自分〉と向き合う主人公の姿には、今日の若い読者も心をつかまれるだろう。
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小池真理子『無伴奏』(1990年/集英社文庫)の舞台は1969~70年の仙台だ。伯母の家から市内の女子高校に通う高校3年生の響子は校内で制服廃止闘争をくり広げ、女性革命家の名に由来する「S女子高のゲバルトローザ」の異名をとるなど、いっぱしの活動家気取りだったが、渉(わたる)と祐之介という2人の大学生と出会い、渉との恋愛を通して未知の世界を知る。「無伴奏」とは当時仙台に実在した名曲喫茶の店名。少しばかりヘビーな、ボーイズラブ小説の先駆的な作品だ。
作者の自伝的要素を含んだ以上2作は、偶然仙台が舞台だっただけかもしれない。しかしこの陰影は東京や京都ではたぶん出ない。樹木の多い東北の街だからこその文化的なたたずまいが仙台にはあるのだ。
若合春侑(わかいすう)『無花果(いちじく)日誌』(2002年/角川文庫)はそんな文化都市への憧れを反映させた作品。魚市場や水産加工場の臭いがする町(塩釜市?)の青果店の娘に生まれた桐子(とうこ)は〈私はこの町を捨てなければならない、私の自尊心に見合う生き方をしなければならない〉と決意して仙台市内のカトリック系お嬢さま学校に進学した。太宰治『女生徒』や橋本治『桃尻娘』を思わせる冗舌な一人称が秀逸。別のミッション系男子高に通う男の子との恋模様などもからめた傑作JK小説だ。
〈春が二階から落ちてきた〉という書き出しが印象的。伊坂幸太郎『重力ピエロ』(2003年/新潮文庫)は仙台市内に住む兄と弟の物語だ。春とは語り手の弟の名前である。市内で多発する放火事件と、現場近くに残されたグラフィティアート(落書き)をめぐって兄弟は謎解きに乗り出すが……。事件の裏には春の出生の問題(母が受けた性暴力によって生まれた)があり、意外な結末に向けて物語は走りだす。〈本当に深刻なことは、陽気に伝えるべきなんだよ〉という春の言葉は青春を語る際の金言かもしれない。
この場合もそう。五十嵐貴久『スマイル アンド ゴー!』(2016年の『気仙沼ミラクルガール』を改題/幻冬舎文庫)は、2011年3月の東日本大震災後を描いている。同年秋、津波で大きな被害を受けた気仙沼の仮設商店街でご当地アイドルグループが結成された。仕掛け人は素人の中年男性、〈おめえは曲を作れ〉と命じられたのはミュージシャンくずれの青年。メンバー募集に申し込んできた子は全員合格。〈大震災でこの町はどうにもならなくなった。誰もが絶望していた。そうじゃねえだろって〉。事実に基づいた小説で、モデルになったグループは現在も形を変えて活動中だ。
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震災がもたらした有形無形の傷痕は、文学の中にも刻印された。
中山七里の社会派ミステリー『護(まも)られなかった者たちへ』(2018年/宝島社文庫)は震災4年後に起きた2件の殺人事件を通して生活保護費の削減問題に肉薄し、佐藤厚志の芥川賞受賞作『荒地(あれち)の家族』(2023年/新潮文庫)は亘理(わたり)町で造園業を営む男性が震災後10年間に経験した家族の変容を描く。
〈復興事業は悲劇の痕跡を払拭(ふっしょく)することから始まった。瓦礫(がれき)の山と化した住民の思い出を、建設機械が排除していく〉(『護られなかった者たちへ』)。〈走っても走っても一向に進まず、同じ地点に留(とど)まっている気がした〉(『荒地の家族』)
このような思いは現在、払拭されただろうか。海辺の松林が消え、巨大な防潮堤で海と陸が分断された町々はいまも問い続けている。=朝日新聞2025年11月1日掲載