神奈川編 激変が生むタイムワープ感 文芸評論家・斎藤美奈子
1859年、日米修好通商条約により横浜港が開港し、72年、新橋―横浜間に鉄道が開通。以後神奈川県は近代の最前線を走ってきた。
大佛(おさらぎ)次郎『霧笛』(1934年/『霧笛/花火の街』講談社文庫)の舞台は文明開化期の横浜である。外国人居留地の中にある、英国人クウパーの屋敷で下働きのボーイをしている21歳の若者千代吉と、西洋人相手の遊女お花の恋模様を中心に物語は進行するが、千代吉は血の気が多いわ、クウパーは拳銃をぶっ放すわで、ほとんど活劇。開化期のむせかえるような熱気が伝わってくる。
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インフラ整備が進んだ大正期、神奈川県は別荘地や保養地としても脚光をあびるようになった。
菊池寛『真珠夫人』(1921年/文春文庫)はそのころの物語。ヒロイン荘田(しょうだ)瑠璃子の復讐(ふくしゅう)劇というべきこの小説では、物語のカギを握る場面が県内各地にちりばめられている。冒頭、国府津(こうづ)から湯河原に向かう道中で悲劇が起き、遡(さかのぼ)れば葉山の別荘で息子が父を襲撃し、最後は箱根のホテルで瑠璃子が刺される。箱根登山電車の箱根湯本―強羅(ごうら)間が開業したのが1919年。絶賛売り出し中の避暑地を作者はクライマックスの場に選んだのだった。戦前の富裕層を描いた一大ロマンである。
戦後の神奈川は地域ごとに際立った特徴を見せることになる。
川崎から横浜の海岸部は重化学工業の中心地となった。笙野(しょうの)頼子の芥川賞受賞作『タイムスリップ・コンビナート』(1994年/『笙野頼子三冠小説集』河出文庫)はバブル後の京浜工業地帯を描いている。
マグロと恋愛中の「私」はある日JR鶴見線の海芝浦駅に行けと何者かに電話で命じられた。電話の主によれば〈そこは高度経済成長の遺跡なんです、その景色がまた近未来みたいで面白いんですよ〉。
こうして彼女は海芝浦駅をめざすが、乗換駅の鶴見で次の電車まで2時間あると知り、別の電車に乗って浅野駅で途中下車し、周辺を歩き回るのだ。三重県生まれの彼女にはそこが四日市コンビナートと重なる。リアルすぎる風景描写と妄想の絶妙な配合。「工場萌(も)え」や「乗り鉄」のあなたは必読である。
川上弘美『真鶴(まなづる)』(2006年/文春文庫)はかつて「東洋のリビエラ」と呼ばれた相模湾の半島が舞台である。東京から2時間。最初は入り江の宿にひとりで泊まり、中学生の娘との2度目の旅では海沿いのリゾートホテルに宿泊した。じつは「わたし」はこの世の者とは思えぬ謎の女の導きで真鶴に向かったのだ。失踪した夫の影を「わたし」は求めている。〈真鶴にいるのに、真鶴がなつかしくなる。胸もとに、また痛みがくる〉。現実と幻想が錯綜(さくそう)するザッツ川上ワールドだ。
朝吹真理子の芥川賞受賞作『きことわ』(2011年/新潮文庫)は過去と現在が錯綜するいわば「タイムスリップ別荘地」である。
葉山の別荘で、持ち主の娘だった8歳の貴子(きこ)と管理人の娘だった15歳の永遠子(とわこ)は姉妹のように一時をすごした。25年後、解体が決まった別荘を片付けるため、33歳の貴子と40歳になった永遠子が再会する。空白の25年を挟んだ二つの時間を埋めるように、2人は記憶を反芻(はんすう)する。
海沿いの工業地帯も、小さな半島の港町も、高台の別荘地も、映しているのは昭和の全盛期をすぎた平成の風景だ。そのさびれ感がいい。
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かつて太陽族。その後はサザン。石原慎太郎『太陽の季節』(1956年/新潮文庫)以来、湘南の海は多くの物語を生んできた。
いささかふざけた表題の『鎌倉ビーチ・ボーズ』(2015年/角川文庫)は湘南のご当地文学を書き続けてきた喜多嶋隆の作品で、この地の土着性に根ざしているのが美点である。亡き父の後を継いだ由比ケ浜(鎌倉市)の寺の青年住職は元競技サーファー。不良に負けて寺に駆けこんできた女子高校生は材木座(鎌倉市)の漁師の娘。サーフィン仲間の女友達は小坪(逗子市)のサザエ漁師。〈湘南といっても、その昔はただの漁村だったのだ〉
横浜も昔は小さな漁村だった。時代の最前線を走り続けてきた神奈川県の変化は激しい。ゆえに生じるタイムワープ感に浸りたい。=朝日新聞2025年9月6日掲載