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京都編 きらびやかな古都の内と外 文芸評論家・斎藤美奈子

古い製織町の家並みが残る「ちりめん街道」の夕暮れ=2010年、京都府与謝野町

 かつて京都の文学といえば、三島由紀夫『金閣寺』(1956年)であり、川端康成『古都』(62年)であった。しかし京都の奥行きは思いのほか深く、このくらいで京都を知ったとはもういえない。

 京都は、訪れる人と迎える人が交錯する町だ。市井の暮らしを内側から見た作品から紹介したい。

 黒川創京都』(2014年/新潮社)は4編を収めた短編集だ。観光客がひしめく伏見稲荷の門前町で喫茶店を営む在日の男性(「深草稲荷御前町(ふかくさいなりおんまえちょう)」)。遷都1200年に際し、古地図から「非人小屋」の文字を消せと求められて戸惑う印刷所の社員(「旧柳原町ドンツキ前」)。1960~70年代の記憶を中心に変わりゆく町を描いた4編は、苦い差別の体験を含め、それぞれのディープな人生に分け入っていく。観光客の目には見えない京都の姿だ。

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 実際、歴史の重みを背負った古都の住民の心情は複雑である。

 綿矢りさ手のひらの京(みやこ)』(2016年/新潮文庫)は今様『細雪(ささめゆき)』ともいえる3姉妹の物語。31歳で婚活を始めた図書館員の長女、先輩の「いけず」に辟易(へきえき)している会社員の次女、そして大学院生の三女。祇園祭に親しみ、2階から大文字焼きが見える家に住む一家。しかし、三女の凜(りん)はいうのである。〈今を逃したら京都から一生出られへん気がしてて、それが息苦しいねん〉

 古都特有の閉塞(へいそく)感と排他性。それでも青年は京都をめざす。

 『太陽の塔』(2003年/新潮文庫)は森見登美彦、『鴨川ホルモー』(2006年/角川文庫)は万城目学のデビュー作。京都市内で冴(さ)えない大学生が非日常を体験するこれらの小説を読み、「そうだ京都(の大学へ)、行こう」と思った人もきっといるにちがいない。

 京都奇想天外学生小説の先駆は浅田次郎活動寫眞(しゃしん)の女』(1997年/集英社文庫など)だろう。東大入試が中止になった年、京大文学部に入学した「僕」。映画マニアの彼は、京都の旧家で生まれた医学部2回生の清家と出会い、太秦(うずまさ)の撮影所でバイトを始めた。ところが清家は戦前のフィルムで見た大部屋女優に恋してしまう。江戸川乱歩『押絵と旅する男』もかくやの怪奇譚(たん)。〈今も思う。あのときどうして、彼を押しとどめなかったのかと〉

 国際都市である京都には、大勢の留学生や外国人も住む。

 『いちげんさん』(1997年/集英社文庫、品切れ)はデビット・ゾペティのデビュー作。なんとなく日本に流れつき、京都の大学で日本文学を専攻する「僕」は盲目の京子のために対面朗読のバイトを始めた。視覚に惑わされない彼女との関係は良好だが、本を読んでいれば見知らぬ人に〈オー・ユー・ジャパニーズ・カンジ・オッケー?〉と変な言葉で話しかけられ、街では修学旅行生が〈外人だ! ハロー、ハロー!〉と寄ってくる悪夢。

 その後、事態は変わったか。

 米国の高校と大学で日本語を学び文科省の英語指導助手として希望赴任先に「京都」と記した「きみ」の派遣先は、「森の京都」と呼ばれるエリアの南丹市だった。グレゴリー・ケズナジャット鴨川ランナー』(2021年/講談社)はそんな「きみ」の困惑を描く。日本語を使いたいのに相手は英語で話す。〈きみは相変わらず部外者だ。バーでは見せ物。街頭では観光客〉

 反省されたし。彼ら外国人にも京都にも、私たちは勝手なイメージを押しつけているかもしれないのだ。

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 京都府には、天橋立や伊根の舟屋などの名所を擁す「海の京都」と呼ばれる日本海側の地域もある。

 細井和喜蔵奴隷』(1926年/岩波文庫、品切れ)は、丹後ちりめんで知られる日本海側の加悦(かや)町(現与謝野町)で生まれた『女工哀史』の著者による自伝的小説である。幼い頃に父母を失い、小学校を5年で中退して地元の機家(はたや)に奉公に出た三好江治。〈おっちなあ、銭があったら京か大阪へ行って、学問習いたい〉と語っていた少年はここで人生の厳しさを学び、やがて大阪で工場労働者になる。

 きらびやかな印象が強い「千年の都」の外には別の京都が広がっている。それも忘れないでほしい。=朝日新聞2025年10月4日掲載