最近、なにかハンドメイドレッスンを受けたい欲求がむくむくと膨れている。陶芸、刺繡(ししゅう)、ステンドグラス……さまざまな教室情報を集めては、どれも楽しそうだとにこにこして、しかし結局、申し込みには至らぬ状況が続いている。
理由は分かっている。私はただ作りたいだけで、作った作品を手元に置きたいわけではないためだ。陶芸にしてもステンドグラスにしても、作れば当然、手元に作品が残る。ただ、作るという「経験」を得たいだけで、「作品」を所有したいわけではない私は、正直、作った後はどうでもいい。
とはいえ人間の行動には、必ず責任が伴う。道端で猫を拾うには最後まで飼い続ける覚悟が要るし、お店で料理を注文したなら、美味(おい)しく頂戴(ちょうだい)せねばならない。つまり「経験」だけを得たいというのはまったくのわがままで、いい大人である以上、私には「作品」を楽しく受け入れられる土壌を築く義務がある。
しかしながら、家の食器は十分足りているので、たとえば陶芸や磁器絵付けに取り組めば、食器棚がぱんぱんになってしまうかもしれない。ものを飾る習慣もないので、刺繍の類も難しい。そんなことを考えるうち、「リビングのドアが付け替えられれば嬉(うれ)しい」と思い至った。現在はなんの変哲もない普通の磨(す)りガラス入りのドアだが、ステンドグラスを習い、これを好みの色ガラスに変更できればと思うと心弾んだ。
ただ改めて考えれば、自宅のドアを自作するとは、これまたそういった「経験」に主眼を置いた行為だ。だいたい教室に通ったからといって、いきなり大作に挑めるわけがない。そこに至るには当然、さまざまな練習を重ねねばならず、つまりは多くの「作品」を手がける必要がある。またとない「経験」のために、「作品」を許容するかどうか。ううむ、この家の中に習作のステンドグラス作品が増えたらどうなるだろうと悩みながら、私は今日も教室案内のチラシを横目で眺めている。=朝日新聞2026年5月13日掲載