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見知らぬ地平の真ん中で わかりあえずとも、感じる魂 都甲幸治〈朝日新聞文芸時評25年6月〉

絵・大村雪乃

 ふだん我々は様々なことを分かっているつもりで暮らしている。家族は自分を愛しているはずだし、職場では同僚たちは自分を信頼しているはずだ。もちろん、こうした感覚がなければ安心しては暮らせない。だがそこには裏面がある。こうした単純な理解は、いつしか現実からずれてしまう。積もり積もったずれが爆発したときにはもう遅い。気づけば我々は見知らぬ地平の真ん中にいる。

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 小川哲「落ち着いて」(「GOAT」夏号)に登場する母親もその一人だ。母と息子の二人暮らしの家に、内容証明の郵便が届く。どうやら息子は誰かに訴えられかけているらしい。会社を辞め、今は配達業をやっている彼は、生活費を入れ、きちんと家事もこなしてくれる。無口で優しい息子に何があったのか。

 家に届いた配達物の宛先から、息子のハンドルネームを割り出した母親は、彼の裏の顔を知る。「なつZINE」名義で彼はSNSに暴言を書きこんでいた。何より彼が粘着していたのは会社員時代の上司で、自分がされたパワハラ事案を上司の実名入りで事細かに曝(さら)していた。

 そんなはずはない。「二十六年一緒に過ごしてきた息子が、いったい誰なのかわからなくなってくる」。しかも息子は母親の目の前で、彼女の元夫と解決法を淡々と話し合う。これぐらいの名誉毀損(きそん)なら五十万円くらいで解決するよ。この落ち着き払った二人は何なのか。人としてしてはいけないことをした、という視点が、なぜ彼らには全くないのか。

 わからないのはカップルも同じだ。温又柔(おんゆうじゅう)の短篇(たんぺん)「被写体の幸福」(『恋恋往時』集英社所収)の主人公である思希は、祖父の話す日本語を聴きながら台湾で育った。その異国の言葉に導かれるように、彼女は日本に留学する。やがて、バイト先のハワイアンレストランにやってきた写真家の青年と恋に落ちる。いつも「可愛い」と言ってくれる彼は自分のすべてを愛してくれている、と彼女は思い込んでいた。だが、やがてそうではないと気づく。

 彼女の写真を撮り続ける彼だが、彼女の言語にも、彼女を作り上げた歴史にも、何の興味も抱かない。そして、彼の作り上げたポートフォリオに「親愛なる台湾人の女の子」という題名が付けられたのを見て、思希の違和感は頂点に達する。彼は、私だからではなく、台湾人だから私に興味を持ったのか。そして彼女の怒りを、彼は全く理解しない。

 同一の問題はアラン・マバンク『割れたグラス』(桑田光平訳、国書刊行会)でも扱われている。コンゴ共和国の港町にあるバー「ツケ払いお断り」で、お酒を飲みながら男たちが愚痴をこぼす。その中の一人である「印刷屋」は言う。かつて彼はフランスできちんとした暮らしを送っていた。やがて人種的偏見のない白人女性と恋に落ち、結婚する。ようやく自分もこの国で対等な人間として認められたんだ。しかしそれは間違いだったと分かる。前妻との息子と同居し始めた後、何か変だと思って妻の行動を調べた彼は、ある事実を発見する。なんと、妻は息子とデキていたのだ。自分だからではなく黒人だから愛されていたのか、と気づいた彼は傷つき、暴れる。

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 わかることには限界がある。ならば反対に、わからないでいる、という方法があるのではないか。最果タヒ『恋の収穫期』(小学館)で登場人物たちは、自分たちの感情が「恋」という言葉に押し込められることを徹底的に回避する。舞台は昭和のような暮らしが続いている軽井沢で、ここに文明が二百年分進んだ東京から転校生がやってくる。機械と融合して千年の寿命を得ることに失敗した早見くんは、まだ死が存在するこの場所で、生身の人間として生きてみることを決意したのだ。

 ここにあるのは、人と共にあることに対する繊細な感情だ。飯島くんは言う。「そこに相手がいて、相手と過ごす時間があって、それだけでいいんじゃないのか」。あえて関係に名前をつけないまま、そこに広がる景色や音に感覚を開く。短い人生しか持たない人々に、早見くんは生きることの芸術を学ぶ。

 そして山科さんは早見くんに言う。「私が泣きたくなった日も、一緒に泣いてね」。一緒にいて、感情を共にすること。相手がどう思っているかは、究極的にはわからない。それでも、そこには確かに、もう一つの魂のうごめきが感じ取れるだろう。わからない、ということを言葉にする。そこに文学の力がある。=朝日新聞2025年6月27日掲載