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「踊りつかれて」書評 誹謗中傷に投じた「一石」の意味

評者: 吉田伸子 / 朝⽇新聞掲載:2025年07月12日
踊りつかれて 著者:塩田 武士 出版社:文藝春秋 ジャンル:文学・評論

ISBN: 9784163919805
発売⽇: 2025/05/27
サイズ: 13.8×19.3cm/480p

「踊りつかれて」 [著]塩田武士

 「炎上」。嫌な言葉だな、と思う。燃えてんのは人だぞ。
 物語は、不倫報道をきっかけにSNSで誹謗(ひぼう)中傷を受けたお笑い芸人が命を絶ったことから、「枯葉(かれは)」を名乗る人物がブログで表明した「宣戦布告」で幕を開ける。
 「枯葉」には、大好きな芸能人が2人いた。1人はその自死したお笑い芸人・天童ショージで、もう1人は30年前、週刊誌の捏造(ねつぞう)記事が原因で芸能界を去った歌手・奥田美月。「枯葉」は、「いい加減な記事で美月をたたいた週刊誌関係者、天童を水底に叩(たた)き落としていい気持ちになった第五権力のおまえたち」83人を特定した上で、個人情報――氏名、年齢、住所、会社、学校――の全てを公開する。
 「枯葉」の正体はすぐに明かされる。「枯葉」は、業界で名の知れた瀬尾政夫という音楽プロデューサーだった。だから、本書は、犯人探しの物語ではない。では、匿名という鎧(よろい)を剝ぎ取られた83人の加/被害者たちの顚末(てんまつ)を描いた物語なのかといえば、それも違う。物語は、瀬尾の弁護を引き受けた弁護士・久代奏(くしろ・かなで)が、彼とショージ、美月との関係を追う物語だ。瀬尾はなぜ自身の手を汚してまで、2人のために行動を起こしたのか。
 奏の粘り強い調査で明らかになるのは、ショージと美月の過去だ。とりわけ、美月が潜(くぐ)り抜けた壮絶な背景には、思わず背筋が寒くなる(生身のモンスターが登場するのだ。あれは怖すぎる)。美月、よくぞサバイブしてくれた、と思う。
 ショージにとってはお笑いが、美月にとっては歌が、命をかけて紡いできたものだった。それを奪い去ったのは、2人を芸能人という記号でしかない、と思っているような人々だ。ダメだろ、それは、絶対。
 司法手続き等、法廷もの好きの読者にも、昭和の芸能(の裏話的側面)好きの読者にも、読みどころたっぷり。濃密な物語の果てに描かれるラストシーンの余韻が深い。
    ◇
しおた・たけし 1979年生まれ。作家。『歪(ゆが)んだ波紋』で吉川英治文学新人賞。ほかに『罪の声』など。本書で直木賞候補。