1. HOME
  2. インタビュー
  3. 新作ドラマ、もっと楽しむ
  4. ドラマ「人間標本」主演・西島秀俊さん×原作・湊かなえさん 子を手にかけた親の奥底「日本独特の感性」で

ドラマ「人間標本」主演・西島秀俊さん×原作・湊かなえさん 子を手にかけた親の奥底「日本独特の感性」で

西島秀俊さん(左)と湊かなえさん=junko撮影

作者自身も見えていなかった行間

――本作への出演が決まった時の気持ちと、原作を読んだ感想を教えてください。

西島秀俊(以下、西島): お話をいただいて、すぐに原作を読ませていただきました。サスペンスとして二転三転する面白さや、最初から最後まで予想を裏切る展開に驚かされました。そこに親子の底知れぬ愛情と葛藤、人間の業、美や芸術への渇望、それが手に入らないことへの絶望など、湊先生の原作にはこれらのテーマが幾重にも織り込まれ、人間の奥底の部分が描かれていたので、ぜひ参加したいと思いました。

――本作は、紫外線を色として感じることのできる視細胞を持つモンシロチョウや、史朗の友人で有名画家の留美が四原色の色覚を持つなど「色」もキーワードのひとつになっています。ドラマでは「人間標本」も含め、鮮やかな色彩で描かれていたのが印象的でしたが、湊さんは実写化した作品をどうご覧になりましたか。

湊かなえ(以下、湊):本作を単なる猟奇犯罪ではなく、アートに仕上げることもテーマにしていたので、一目で少年たちが特定の蝶に見えて、なおかつ少年たちそれぞれの性格や才能が分かるようにするにはどう表現しようかなと考えることは楽しかったです。私は作家なので、標本のデザインや色、蝶のことも全て文字で描写しましたが、本の場合、文字だけでみんなが同じ画を思い浮かべてもらうのは不可能なんですよ。でも映像は、それをバンと突きつけたら全員が共通の認識で向き合えるという素晴らしさがあるので、私自身「あの標本を見てみたいな」という興味がありました。

 それだけでなく、西島さんが演じられた史朗を見て「このセリフはこんな表情で言っていたんだ」とか「あのシーンでは息子にこういう視線を送っていたんだ」というところを教えてもらったなと思っています。原作者としてはそこが映像化してよかったなと思うところですし、書いた私自身も見えていなかった行間を見せてもらえました。

(C) 2025 Amazon Content Services LLC or its Affiliates.

――蝶の研究者である史朗が、息子の至を含む6人の少年たちを「人間標本」にしたと告白することから展開していきますが、どのような過程を経て史朗の役を深めていったのでしょうか。

西島:まず、史朗の研究テーマである蝶のことを知ろうと思い、東京大学の矢後勝也先生にいろいろお聞きしました。蝶の博士ということで、どんな研究をされているのか、またフィールドワークもあるので研究者としての活動をしながら、家庭人としては普段どんな生活をされているのかということもうかがいながら、史朗の生活感の部分をつかんでいきました。

 同時に、本作のテーマである「親の子殺し」ということについても考えながら役を深めていきました。僕にはまだ小さい息子がいるので、自分にとっても本当に厳しい作品でした。もちろんフィクションではありますが、ある一線があって、史朗はそれを越えてしまう。その理由も書かれていますが、それでも本当にその一線を越えられるのだろうか、越えられないのではないか、という葛藤を常に感じる現場は、僕にとって大きな経験になりました。

原作者は一視聴者として楽しむのが一番

――至と史朗の旅行先がブラジルではなく台湾など、原作とドラマではいくつか異なっているところがありましたが、実写化にあたって、湊さんから意見を出したことはあったのでしょうか?

:私から「原作と全く同じにしてほしい」というリクエストはしていないんです。脚本の段階から「映像を作る方に一番いいと思う表現でお願いします」ということはお伝えしていたので、脚本も読ませていただき「こういう風に切り取られるんだ」と新鮮でした。

 大切なのは、物語がどこを向いていて、何を伝えたいかという共通認識が全員一緒ということなんです。そういう基本さえきちんと押さえられていたら、旅先がブラジルだろうと台湾であろうと大したことではないので、あとはお任せしています。映像に携わる方が、役者の方と話し合って一番いい見せ方でいいものを作っていこうと奮闘してくださっているので、私は楽しみにしている一視聴者でいるのが一番なんです。

不思議な距離感の親子関係を自然に

――息子の至を演じた市川染五郎さんとはどのように親子関係を築いたのでしょうか。

西島:お互い「親子だから」ということを意図的に意識していませんでした。染五郎くんは、元々とても大人な部分と、純粋な部分の両方を持っていて、思わず見守りたくなるようなところがありました。台湾での撮影では、リラックスして、一人で蝶を追ったりすることもあり、子どものように見えることもありました。

 また、彼が歌舞伎役者として舞台に立っている時は、周りに親戚の方や先輩たちがいる中で芝居をしていると思いますが、今作は彼にとって初めての現代劇ドラマということもあり、ある意味、全然違う場所にポンと来たような感じだったのかなと思って見ていました。スタッフの方にも「本当の親子に見えました」と言っていただけたので、お互いに「親子としてこうしよう」と考えなかったことが、結果的に良かったのだと思います。劇中の史朗と至の関係も、親子でありながら、どこか互いに助け合いながら一緒に生活を組み立てていく2人でもあるように感じていたので、その不思議な距離感の親子に自然とうまくなれたのではないかと思っています。 

ヘアメイク:Storm(LINX)

――湊さんは以前のインタビューで「親の子殺しというテーマは10年来、温めていた」と話していましたが、執筆中はどのような思いがありましたか?

: 実際にそういった痛ましい事件が起こる中で「何があったらそんなことが起きてしまうんだろう」「そうなる前にどうにか食い止めることはできなかったのか」と考えずにはいられませんでした。どれだけ想像しても、親が子を手にかけることを理解することはできなかったのですが「親にとって子どもは所有物なんだろうか」「どういう接し方をすればいいんだろう」といったことを考える中で、一番想像したくない結果に挑みました。

 もし自分が子どもに手をかけることがあったら、何が起きたらそうするのだろうと考えてみた時に、そこに至るまでにどうにか関係性を見直せるヒントがあるんじゃないかという、究極のものを見せられたように思いますし、改めて自分の子どもとの向き合い方も考えました。

僕も本当に分からなくなる時が

――体内に毒を持つミイロタテハや、翅の表が地味で裏が派手なアカネシロチョウなど、それぞれの蝶の表と裏の違いや特性が人間と重なる部分も興味深かったです。本作を通して「人間の二面性」についてどんなことを考えましたか? 

西島:実際に口に出すことと内面が違うということは、他の作品でもよくありますが、今回の作品は特にそれが究極の形で出ていると思います。しかも、誰の視点で見ているかによって、真実が全然違って見える時があるので、突き詰めて考えていくと、僕も本当に分からなくなりそうな時がありました。

 本の中では基本的に誰かの主観で書かれていますが、映像の場合、第三者の視点で撮ることになります。今作ではそれが史朗の供述にあたるので、史朗の主観で進む物語ではあるのですが、映像としては、ずっと史朗の視点で撮っているわけではないので、より複雑になっていくんです。一瞬、神の視点のようにも見えますが、それが実は史朗や至の視点だったという時は、その見え方も考えなければいけないので、とても複雑でしたが面白かったです。そうすることで、裏表がまた違う裏表に見えてくるという、本当に面白い構造のドラマをやらせていただいたなと思っています。

ヘアメイク:亀田雅 スタイリスト:オクトシヒロ

――物語の後半で、次第に明らかとなる、至の行動や心理描写にやるせない気持ちになりました。西島さんは至の一連の行動をどのように受け止めていますか?

西島:最後まで見ていただくことで、なぜこういうことになったのか、これはこういう話だったのか、ということがわかっていただけるのではないかと思っています。ラストに描かれる至の行動がなければ、この作品は成立しなかったでしょうし、きっと自分の演技もそこまで至らなかっただろうなと思いながら演じていました。

:(原作においても)史朗の感情や行動について、当初構想していたものから変化したところもありました。書いているうちに、至の父親に対する気持ちをきちんと描かないといけないなと思い始めたんです。

 子が親に求める気持ちと、親が子を思う気持ちがリンクしないと起きない結果だったんだなという風に話を持っていかなければいけないし、読む人が「どこか分かる」と気持ちを乗せてくれないと自分の物語にならないので、親だけが結論を決めたのではなく、子どももそれを求めていたんだというところを描かないと、現実とはリンクしない物語になってしまうなと思いました。

「日本人はこういうものを作れるんだぞ」

――今作が映像化されて、改めてどんなことを思いますか?

:特に海外作品に多いと思うのですが、残虐な殺人者が自分の求める世界を追求するために、物語の中で“猟奇的な人”という感じで史朗のパートだけで終わる作品はたくさんあるんですよね。そういう作品は割とヒットしているのですが、今作は、それでも一人の人間で、その裏にはまだ見えていないものや描ける世界があるということを見せたい気持ちがありました。

 私が本作を見て「映像だからこれができたんだ」と感心したところがあるんです。史朗のレポートの中で、私はそれぞれの蝶に当てはめた少年たちの表と裏を同じところに書いていたのですが、ドラマでは、史朗の視点では少年たちの「表」の姿を映していて、至の視点に切り替わると「裏」を見せているという見せ方が素晴らしいなと思いました。やっぱりお任せしてよかったと思っています。

西島:僕は今作を深くて濃密な人間ドラマであり、愛の物語だと思っているので、そこが本当に特別で、他にないストーリーだと思います。今回映像化されて各国にも配信されて、世界中の人が見られるようになりますが、ドラマを見た方にはぜひ湊先生の原作を手に取っていただきたいです。ドラマを見た後に原作を読んでいただくと、視点の変わり方にしても「こういうことだったんだ」と感動しますし、本でしかできない、活字だからこその表現が見えて本当に見事なんです。

――西島さんは海外作品の出演経験もありますが、海外の人たちが本作を見て、どんな反応があると想像しますか?

西島:僕には分かりかねますが、もしかしたら日本人独特の感覚や親子の関係性、その愛情表現というものがあって、理解されたり共感されたりするのが難しいところもあるかもしれませんね。でも、実際に各国で配信されて、それぞれの国でどんな感想を持たれるのかなというのは本当に楽しみです。

:私はぜひともこの作品を海外にも配信してほしいと思っていました。これまで何作か自著が英訳されて、海外のブックフェアなどに呼んでいただいたことがあるのですが「日本人はこういうものを作れるんだぞ」というものを見せたかったんです。ほかの国では、絶対に史朗の独白で終わっていると思うんですよ。でも、その続きがあるのが日本なんだというところを見てほしいし、デビュー以来、ミステリーという手法をとりながらも「人間」を書きたいと思い続けてきたので、人の心の複雑さも感じていただけたら嬉しいです。