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生成AIの民主化と新たな言語環境、2025年の文芸を振り返る 朝日×毎日「文芸時評」筆者対談

朝日新聞文芸時評筆者の都甲幸治さん(右)と毎日新聞文芸時評筆者の大澤聡さん

都甲幸治さんの5選

  • 市川沙央「女の子の背骨」(文芸春秋)
  • リチャード・フラナガン「第七問」(渡辺佐智江訳、白水社)
  • 柴崎友香「帰れない探偵」(講談社)
  • 小川洋子「サイレントシンガー」(文芸春秋)
  • 多和田葉子「研修生」(中央公論新社)

大澤聡さんの5選

  • 鳥山まこと「時の家」(講談社)
  • 島口大樹「ソロ・エコー」(講談社)
  • 中西智佐乃「橘の家」(新潮社)
  • 朝井リョウ「イン・ザ・メガチャーチ」(日本経済新聞出版)
  • 古川真人「港たち」(集英社)

語りの次元に「手入れ」

 都甲 今年は日本の女性の書き手が海外で活躍しました。柚木麻子さんの「BUTTER」が世界的なベストセラーになったり、王谷晶さんの「ババヤガの夜」が英国推理作家協会賞を受けたり。職業柄、普段は外国語を読んでいて、その感覚で日本語の文学を読む。すると、国際的な文学賞の候補になる人や、ノーベル文学賞を取るとしたらって話が出るときに名前が挙がるような作家が残って。狙ったわけではないんですが。

 大澤 外国文学や翻訳のテイストが日本文学に流れ込んでもいますね。

 都甲 多和田葉子さんの「研修生」は舞台が1980年代のドイツ。柴崎友香さんの「帰れない探偵」は日本に帰ってこられない探偵が世界中をさまよう。小川洋子さんの「サイレントシンガー」の舞台は日本だろうけど、外国っぽい。

 大澤 生成AIが急速に民主化して言語を取り巻く環境が本格的に変わった年でした。そんな中、作家たちからどんな言葉が飛び出すのかに細かく注目しつつ時評を担当しました。語りの次元に手入れをするような作家が多かった印象です。特に若い作家がそう。

 都甲 「手入れ」とは。

 大澤 近代的な主体を前提とした語りではなく、場に共鳴する声や音そのものを捉える語りが増えている。島口大樹さんの「ソロ・エコー」は横浜の街に響く、文字どおりエコーのような語りが特徴的だし、鳥山まことさんの「時の家」は住人を入れ替えながら持続する家に焦点を設定します。視点や時制が文単位で切り替わるのはAIにしてみれば文法的な逸脱でしょうけれど、リアルな人間にはこんなことだってできてしまう。

「家」への反撃と再起 問い直す「私」

 都甲 家といえば、市川沙央さんの表題作に併録されている「オフィーリア23号」は家庭内カルトのような話です。家父長制の象徴みたいな父親のDVに対抗するために、娘がオーストリアの狂気のミソジニー哲学者にのめり込んでいく。日本と外国が変な感じでミックスしていて、娘が父親にどんな言葉で反撃していくかを探る感じのリアリティーがかっこいい。

 大澤 家父長制に絡めると、中西智佐乃さんの「橘の家」はポスト家父長制を模索しています。庭にある橘の木の霊力を媒介することで妊娠を望む女性の願いを受け止める特殊能力を持つ女性の半世紀にわたる話です。本人も苦悩するし、家庭も崩壊ぎみ。宗教2世の問題を想起させる小説を近年いろんな人が書きましたが、その中でも卓越した一作です。

 都甲 絶対に変な家庭なのに、ずっとその状態が続く。

 大澤 〈子孫繁栄をどうして人間は願うのでしょうね〉というフレーズが出てきますが、子作りという物語に私たちがはまり続けること自体がテーマ化されています。しかも橘の家に男は来ない。妊娠をめぐる非対称性がそこにあります。

 都甲 多様性と言われる時代に、なぜ「子孫繁栄」という古くさいテーマを書くのかと思いながら読みました。逆なんですね。近代以降の富国強兵や高度経済成長といった大きな物語がなくなった時、採用可能な小さな物語として、カルト家族が信じる子孫繁栄の神秘の木を取り上げる。小さな物語が林立するなかで、古いテーマを再帰的に採用してもいいのではないか。こういう風に、信仰や家族のあり方を書くこと自体が今っぽいんですね。

 大澤 その一方で、「サイレントシンガー」は男性だけのコミューンが描かれています。

 都甲 しゃべることを望まない、極めて内気な人たちの共同体。彼らが使う手話のような〈指言葉〉がわかる通訳みたいな少女がいて、外界との間を取り持っている。

 大澤 男たちの暴力から離れて身を寄せ合う女性のコミューンは作品として多いのですが、逆のパターンは珍しい。

 都甲 たぶん、社会による男らしさの強要から逃げてきたんでしょうね。しゃべりたくないとか言っている人は現代社会に生きるのは無理じゃないですか。

 大澤 現代社会だと「沈黙は金」にならない。SNSでも、自分がいかに正しいか、いかに優しいかを自己表明してそれが事実になる。そんな状況に耐えられない人たちのそばで、自己主張しない少女の声が響きます。

視点や時制を移動 探す「トリガー」

 都甲 声が響くといえば、古川真人さんの「港たち」は言葉のうねり感がすごくて。里帰りして親戚が集まって、みんながワーワーしゃべってた時の感じがよみがえります。知らない家の法事に上がり込んで、なんとなくなじんで泊まっちゃった、みたいな感じで読める。

 大澤 自分が体験してない疑似ノスタルジーを喚起する力が強い作品です。親族が集まった喧噪と耳の遠くなった老婆の内省的な静けさとが、一つの空間を作る。それを文体で表現します。そのような空間に焦点を合わせた作品が多く見られるわけですが、「時の家」も、一つの家の三代の〈住まい手〉たちの記憶を、家が壊される直前に潜り込んだ青年を軸に語る形式です。

 都甲 壁の漆喰やフローリングの傷がきっかけになって、過去の記憶が呼び覚まされる。

 大澤 自分たちの足元がグズグズになっている中で、作家たちはこぞって歴史と現在をつなぐトリガーを探しているように私には見えます。時制を往還したり人称をこまめに移動したりするのは、その過程で切実に要請されるものであって、単なる文章遊びの実験ではないはず。

 都甲 歴史と関わるために、我々や私について常に考え直す必要があるってことですね。「研修生」は〈作家多和田葉子の作り方〉のような小説で、大学を出て急に外国で就職することになって、ドイツ語圏で何にも分からない状態から、だんだんと分かっていくという、赤ちゃんしか経験しないような言語体験を成人してから経験する。

 大澤 多言語を使うことの泥臭い部分を描いていますね。多和田さんとしては珍しく長い小説ですが、これだけの長さがないと生活や言語習得のプロセスは表現できない。短くインスタントに大量の言葉を吐き出すことが求められる時代に、小説の散文的な時間性が人間のリズムとマッチするようです。

 都甲 小説は生活環境になるんですよね。毎日少しずつ読んで、日々40年前のドイツに帰っているようで楽しかった。環境としての長編小説っていいなと思います。=朝日新聞2025年12月17日掲載