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宮島未奈「成瀬は都を駆け抜ける」 最強の短篇作家の技巧を味わう(第33回)

©GettyImages

森見登美彦ファンなら……

 なあ、成瀬あかりには直木賞をあげないつもりなのか。
 と、全国に100万人はいると思われるファンの気持ちを代弁するつもりで書いてみた。
 言うまでもなく成瀬あかりは実在の人間ではなく、宮島未奈の第20回「女による女のためのR-18文学賞」大賞受賞作「ありがとう西武大津店」で主役を務めた、作中人物である。宮島は『小説新潮』に成瀬を主人公とする連作を発表し、11月末に第3短篇集『成瀬は都を駆け抜ける』(新潮社)が刊行された。
 第1短篇集『成瀬は天下を取りにいく』(新潮文庫)は第39回坪田譲治文学賞、第21回本屋大賞ほか多くの栄誉に輝いており、最新刊の帯によれば、シリーズ累計部数は180万部を突破したそうだ。
 だから全国100万人の成瀬ファンというのは大袈裟な数字ではないのである。『成瀬は都を駆け抜ける』発売日に都内某所の大型書店に行ったところ、店内複数にコーナーが設置されていたほか、レジ前にも成瀬が山積みになっていた。こんな扱いを受けるのは、村上春樹か最盛期の『少年ジャンプ』くらいだろう。いかに待ち望まれているかよくわかる。

 私も単行本化をずっと待っていた。『成瀬は都を駆け抜ける』の2番目に収録されている「実家が北白川」を『小説新潮』2025年1月号で読んで、あまりの上手さに卒倒しそうになったからである。単行本でぜひ再読してみたいと思っていた。
「実家が北白川」の視点人物は、京都大学農学部新入生の梅谷誠である。入学式前の健康診断で大学を訪れた彼は、木陰でこたつを囲む3人の男たちに気づく。梅谷の足元に、どこからもなくりんごサイズの達磨が転がってきた。それを手にして男たちに近づくと、彼らは達磨研究会だと自己紹介する。そして会長を名乗る人物から梅谷は、こんな言葉を掛けられるのである。
「こうして出逢ったのも、何かの御縁。よろしければ一緒に鍋を食べませんか」
 森見登美彦ファンなら瞬時にわかるだろう。これは森見の『夜は短し歩けよ乙女』(角川文庫)に出てくる有名な台詞だ。達磨研究会の3人は森見登美彦愛読者で、作品に影響を受けてそのような真似をしていたのである。実は梅谷も森見の熱烈な支持者であった。彼がそうなったのは同じく森見作品を愛する父親の影響が大きい。父親も京都大学出身者であり、北白川の地が気に入って、卒業後もそこに住みついてしまったという人物なのだ。梅谷が実家が北白川だと伝えると、達磨研究会の3人からは羨望の眼差しを向けられる。
 あらすじの冒頭部分を書いてみたのだが、あれあれ、ちょっと待って、と多くの読者は思ったはずである。今は成瀬あかりの話をしているんじゃなかったのか。そうなのである。森見登美彦トリビュートだとしか思えない短篇なのだが、この話は途中から成瀬あかりシリーズであることが明かされる。彼女がどんな形で登場するかは実際に読んでのお楽しみだ。
『小説新潮』掲載時、私はこれがシリーズ外の単発作品だと思って読み始めた。そして成瀬が出てきてびっくりしたのである。これは敵わないな、と思った。宮島という作者は、どんなところからでも物語を始めることができ、どういうプロットでも書くことができる。それで読者を納得させられる。最強の短篇作家ではないか。残念ながら私が『小説新潮』で受けた衝撃を単行本で味わうことはできないと思うが、それでも読むと驚くはずである。ぜひお試しいただきたい。

おもしろさはキャラクターの使用法にある

 ここまで成瀬あかりをみなさんが知っている前提で書いてきてしまった。改めてご紹介する。『成瀬は天下を取りにいく』所収の「ありがとう西武大津店」で初登場したとき、彼女は中学2年生だった。ふるさとを愛してやまない成瀬は地元唯一のデパートである西武百貨店が8月末で閉店すると知り、地元ローカル局放送の「ぐるりんワイド」が大津店から毎日生中継している現場に出かけ、映りこむことをこの夏の課題とすると親友の島崎みゆきに宣言した。成瀬は埼玉西武ライオンズのユニフォームを着て、言葉通り毎日それを実行する。島崎は彼女を見守り続ける、というのが内容だ。
 成瀬は200歳まで生きることを目標としていて、生活の局面すべてにおいてそのための努力を怠らない。時として妄想としか思えないことを言うので、周囲からは変人扱いされている。だが真意は、筋の通ったものである。前出の「実家が北白川」でもそれに関するやり取りがある。
「わたしは大きなことを百個言って、ひとつ叶えばいいと思っているんだ」
──街灯に照らされた成瀬氏の横顔からは確固たる意志が感じられて、私たちには到底届かない場所にいるように見える。
「みんなは『極める』という到達点に注目するのだが、わたしはそこに至る道が重要だと思っている。ゴールにたどり着かなくても、歩いた経験は無駄じゃない」
 成瀬がこうした人間であるということを最もよく理解しているのが島崎みゆきである。大学進学と同時に一家で東京に引っ越したため、『成瀬は信じた道をいく』以降は不在となるのだが、第2巻、第3巻の最終話には戻ってきて成瀬を語る視点人物を務める。シリーズにおいては特別な位置にいる登場人物として描かれているのである。
『成瀬は信じた道をいく』で京都大学に入学した成瀬は、同時にびわ湖大津観光大使に就任する。彼女の大学初年度は、観光大使の任期と重なったのだ。大学を中心にさまざまな人と接触することになり、第2巻以降では島崎という最大の理解者ではない、さまざまな人の視点から成瀬が語られるようになった。最初は誰もが、ちょっと変わった人物として成瀬を見るのだが、そのまっすぐさを理解すると、彼女にたまらなく魅了されるようになる、というのが物語の定型だ。『成瀬は都を駆け抜ける』は特に視点人物選択の遊びがおもしろく、「そういう子なので」では成瀬の母・美貴子がその役を務める。題名の意味がわかると胸にこみ上げるものがあるという短篇で、そういう仕掛けがずるいほど利いている。

 一応書いておくと、巻頭の「やすらぎハムエッグ」は成瀬と同期で入学したが、実は訳ありで京大合格がそれほど嬉しくない女性が主人公である。悩みを抱えた人が美味しいものを食べて心がほっこり、という小説が私は苦手なのだが、この短篇は別格だ。料理小説短篇の傑作だと思う。「ぼきののか」では簿記1級合格を目指すという触れ込みのYouTuberが主人公である。夏期休暇の限られた時間が青春の思い出となる「夏休み小説」というジャンルがある。「ありがとう西武大津店」がまずそうだし、たとえば恩田陸がその名手だ。「ぼきののか」もそうした一面がある。この前に入っているのが「実家は北白川」で、成瀬を媒介にして人と人のつながりが広がっていく、関係性の短篇集という性格が本書には備わっている。前出の「そういう子なので」を挟み「親愛なるあなたへ」では第1巻からの読者には懐かしい人物が再登場し、島崎みゆきが締めの役割を務める「琵琶湖の水は絶えずして」につながっていく。
 成瀬シリーズのおもしろさは、キャラクターの使用法にある。超人的な能力の持ち主である成瀬は、いわゆる「ご存じ」の主人公だ。水戸黄門などと意味合いは同じで、その人が出てきたらハッピーエンドが約束されている、ように見える。そうした意味では役割のみで作られた登場人物、いわゆるフラット・キャラクターなのだ。ところが成瀬あかりという人はそうではない。他人から見れば一面的な天才なのだが、実は内面には他人から窺い知ることのできない思いがあるのかもしれない、と接する時間が長くなるうちに感じるようになっていくのである。平面から立体へと見え方が変わる。この意外性こそが成瀬あかりの魅力である。作者は読者それぞれに、成瀬あかりを発見させようとする。
 とても感心したことがある。あえて題名は出さないのだが、本書収録のある短篇で、視点人物は初め成瀬をさん付けで呼んでいる。ところが最後の4行に出てくる2ヶ所だけ、尊称抜きの成瀬なのである。そこまでのやり取りで視点人物から見た成瀬との距離が縮まり、呼び捨てにできる関係性に変わったのだということを作者は示している。こういう技巧が、さりげなくいくつも駆使されているのである。

次回の直木賞候補にするべきだ

 最初に部数のことを書いたが、たくさん売れているから、人気があるから、直木賞を進呈すべきだと言っているわけではない。成瀬あかりシリーズは技巧の塊である。キャラクターを突飛にするだけではこれほどの人気は得られなかったはずだ。その描き方が素晴らしいのである。これは候補にすべきだろう、直木賞。
 12月11日に発表された第174回の候補作に上がっていなかったことで落胆している読者も多いと思うが、ご安心を。第174回の対象期間からは奥付12月1日刊行の『成瀬は都を駆け抜ける』は外れるのだ。候補になるとしたら第175回である。
 ここからは関係者に向けて言うが、次が最後のチャンスである。なぜならば、『成瀬は都を駆け抜ける』はシリーズ完結編と銘打たれているからだ。今回を逃すと永久に、成瀬あかりに直木賞は貰ってもらえないことになる。宮島未奈の他の作品には授与できても。いいのかそれで。成瀬にあげなかった直木賞ってずっと言われるぞ。20年、30年経っても言われるぞ。少なくとも私は言うぞ。せめて候補にはすべきではないか。