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坂口安吾「堕落論」めぐり「さしせまって金が入要」恋人の入院費のため? 没後70年展で初公開

「坂口安吾展」から。初公開の小瀧穆あて書簡

 昭和の無頼派作家、坂口安吾(1906~55)の没後70年に合わせ、横浜市の神奈川近代文学館で「坂口安吾展 あちらこちら命がけ」が開かれている。波瀾(はらん)万丈の人生を伝説的なエピソードと共に丸ごと詰め込んだ企画だ。

 展示は二部構成。「世に出るまで」と題した第一部は、新潟の名家に生まれ、中学生のころから文学を志し、いったん文壇で認められたものの、しばらく不遇の時期を送った半生をたどる。スポーツ万能少年だったことを示すメダルなど、ほほえましい展示もあるが、印象に残るのは作家仲間の矢田津世子への胸を焦がすような恋にまつわる資料。彼女との書簡は「二十七歳」「吹雪物語」などの小説と併せて読むと、より切ない。

 第二部は「時代の寵児(ちょうじ)」と題し、価値観の一転した戦後に流行作家となった姿を追う。「生きよ堕(お)ちよ」のフレーズで知られる随想「堕落論」を皮切りに、説話風幻想譚(たん)「桜の森の満開の下」、探偵小説「不連続殺人事件」、歴史小説「信長」など純文学に限らない八面六臂(ろっぴ)の執筆ぶりを発揮。私生活では、後に妻となる三千代と出会い、死の2年前に長男を授かる。命名書などの資料に、意外な子煩悩ぶりがうかがえる。

 「堕落論」に関しては初公開資料も。中央公論社の編集者、小瀧穆(あつし)にあてた1947年と思われる書簡には〈小生目下さしせまつて金が入要にて(中略)日本文化私観が一千部では困りますので、他社から出版させて下さい〉とある。

 金策の理由は明示されていないものの、単行本「堕落論」の「後記」などからの推察で、当時つきあい始めた三千代が腹膜炎にかかり、入院費用を工面するためだとわかった。約1カ月に及んだ入院期間中、安吾はつきっきりで看病し、後に三千代をモチーフにした「青鬼の褌(ふんどし)を洗う女」を執筆する。

 会場では約400点の資料を展示。11月30日まで。(野波健祐)=朝日新聞2025年11月5日掲載