漢字の形の成り立ちを絵本に
――『かんじ こびとがつくるもじとことば』の舞台は、とある書斎。老師と思しき人物がむにゃむにゃと居眠りを始めると、物陰から小人たちが現れ、先生の代わりにせっせと漢字を組み立て書を記す、というストーリーです。初めての絵本で漢字を題材に選んだのはなぜですか。
漢字には子どもの頃から興味がありました。漢学者の諸橋轍次(もろはし・てつじ)が編さんした『新漢和辞典』(大修館書店)が家にあって、小学生のときに意味もなくぱらぱらと見るようになったんです。まだ習っていない漢字ばかりでしたが、漢字の形を眺めているだけで面白かったんですよね。古い青銅器や神話の動物が描かれた図版とか、巻末に載っていた中国歴代王朝の服飾にまつわる資料などにも興味を惹かれました。
小学生の頃はお絵描きの一環みたいな感じで、ノートによく意匠文字を描いていました。両親がグラフィックデザイナーだったこともあって、僕もグラフィックデザイナーの道に進みましたが、中高生くらいから、自分は文字に特化したデザイナーになるんだろうな、と思っていて。大学卒業後にオランダのハーグ王立美術アカデミーに留学してタイプデザインを学んだのも、文字への興味からです。今は、レタリングと書体デザインが得意なグラフィックデザイナーとして活動しています。
そんな僕が絵本を作るとしたら、やはり文字にまつわる絵本だろうと思ったのですが、コミュニケーションツールとしての文字や、世界の文字といった方向には興味がわかなくて。子どもに複雑なものへの憧れを持ってほしい、という思いもあったので、漢字の形やデザインをメインテーマにしようと決めました。
参考になったのは、李朝の民画の一種「文字図」。文字を絵として描いているのですが、文字と具体的なモチーフが区別なく扱われているのが面白いなと思いました。浮世絵でも七福神が文字を組み立てる様子を描いたものがあったりするので、そのあたりをインスピレーションの源として、漢字の形がいかに複雑で面白いかということが素直に伝わるような絵本を作ってみたいなと。2019年の春頃にその方向でアイデアラフを作って、制作がスタートしました。
―― 最初のアイデアラフの段階で、すでにかなり方向性が定まっていますね。SNSで「構想・制作6年半」と書かれていましたが、もしかすると単純に制作のための時間がなかったのでは?
完全にそうですね。グラフィックデザインの仕事は締め切りまでのスパンが短いので、そちらに集中していると、なかなか絵本に取りかかることができなくて。半年に3ページ進むか進まないかみたいなペースだったので、出版までかなり時間がかかってしまいました。ただ、3年ほど前に今のアトリエに引っ越してからは、編集者さんに定期的に進捗を見に来てもらうようなったので、何かしら成果を見せねばと思って一気に進められるようになりました。
絵本の中に広がる奥深い世界に惹かれて
―― グリム童話の「こびとのくつや」を、漢字を題材に書き換えたようなストーリーです。どのようにしてできあがったのでしょうか。
漢字の形の成り立ちをストーリーに盛り込もうと考えたとき、必然的に取り上げることになるのが、後漢時代の学者・許慎が著した書物「説文解字」などに見られる「六書(りくしょ)」です。漢字の構造原理を6つに分類した理論で、「指事」「象形」「形声」「会意」「転注」「仮借」に分けられます。
たとえば「指示」は、一本の線を引いて、その上にしるしをつけて「上」、下にしるしをつけて「下」とするなど、ものの考え方や状態などを線や点を使って表す方法です。2つ目の「象形」は、「日」「月」「木」など、ものの形を線で描いてそのまま文字にしたもの。3つ目の「形声」は、意味を表す部分と音を表す部分を組み合わせて、新しい漢字を作る方法で、「川」を表す「江」「河」などがこれに当たります。詳しくは、絵本の巻末に解説を載せています。
先生が眠っている間に小人たちが作っているのは、まさにこの六書にまつわる文面。絵本では、小人たちが6つの理論に則ってせっせと漢字を組み立て、文章にして、紙に刷り上げるところまでを描いています。
「こびとのくつや」的な物語にしたのは、最後まで飽きずに楽しく制作したかったから、というのが大きいですね。学説的な整合性を追求しだすとがんじがらめになってしまうので、六書をモチーフとしながらも、ファンタジーっぽさを遊びとして残して、自分が描きたいと思う絵柄に合うストーリーを作っていきました。絵本としては、たむらしげるさんの『ありとすいか』(ポプラ社)や、いわむらかずおさんの「14ひきのシリーズ」(童心社)など、小さい者が働く絵本の最先端を狙いたい、といった思いもありました。
―― 小人たちがあちこちでちょこまかと動き回る姿が楽しく、素材や文字を運ぶ仕組みにはピタゴラ装置的な雰囲気もあって、隅々までじっくり見ていたくなるような絵本になりましたね。
昔から情報量の多い絵本が好きだったんですよね。子どもの頃、福音館書店の月刊絵本「こどものとも」や「かがくのとも」、「たくさんのふしぎ」が毎月家に届いていたので、いろんな絵本を読んでいましたが、中でも気に入っていたのは、自分の知らない生活や文化を感じさせてくれる絵本でした。
たとえば『まほうつかいのでし』(こどものとも1992年6月号、福音館書店)は、話の筋よりも、背景に描かれた調度品や実験器具、机の上の不思議な書物に興味をそそられて、じっくり眺めていましたし、ウクライナ民話の『かものむすめ』(福音館書店)は、絵も話も好みではないのですが、「ボルシチ」「ワレーニキ」といった馴染みのない響きの料理が気になったり、民族衣装に施された刺繍に見入ったりしていました。
絵本を読まなくなってからは、家にあった「世界大百科事典」や、図書館で見つけた「イメージの博物誌」(いずれも平凡社)をよく眺めていましたね。何やら奥深い、複雑な大人の世界の気配に憧れていたんだと思います。
『かんじ』はそんな僕の子ども時代からの好みがベースとなって生まれました。子どもの頃の自分のような読者にじっくりと見られることを意識して、書物や器、箱なども細かく描き込んでいます。
色や線、刷り上がりまでこだわる
―― 絵はどのように描かれたのですか。
鉛筆で下書きを描いたあと、線画と塗りとで原画を分けて描きました。僕は昔の絵本の、一色ずつ版を重ねた素朴な風合いが好きなんですね。 たとえば瀬川康男さんの描いた『こしおれすずめ』(こどものとも年中向き1995年1月号、福音館書店)のような作品こそ、オーセンティックな絵本だと思っていて。紙の原画をそのままデータ化して色を作っていくと、どうしても線が少しにじんで見えて、いかにも現代の技法で作った本という印象になってしまうので、少しでも素朴に見えるよう線を別データにしました。
線については、上田トシコさんの『フイチンさん』(復刻愛蔵版、小学館)という昔の漫画の絵がすばらしくて、こういう絵が描けたらと憧れているんです。おそらくつけペンで描かれているのですが、相当手練れな方なので、ささっと描いても線が流麗なんですね。『かんじ』では、圧のかけ方で線の太さが変わるような弾力のあるサインペンを使っていますが、素早くペンを運ぶと曲線がうまく描けなくて、でもゆっくり描くとどうしても太さが均一になってしまいがちで。線の描き方ひとつで絵の国籍というか、ジャンルや時代感みたいなものも変わってくるので、本当はもっとスピード感をもって描けたらよかったなと思っています。
―― ポップな色使いも魅力の一つです。
彩色は主にコピックというアルコールマーカーを使っています。できるだけ思い通りの色に刷り上がるように、最初にコピックで色見本を作って、それを印刷用のデータにするとどう見えるのか、パソコン上で確かめました。そのイメージで仮塗りの指示書を作り、アシスタントの中村くんに一枚ずつ手塗りしてもらっています。
中国的な華やかな色使いにしたかったので、清代の器や服飾などの資料を参考に色を決めていきました。木、土、水のような、ある程度色が決まったモチーフが話の流れで出てくるので、色数がかなり多くなってしまいましたが、もう少しうまく色を制御できていたら、もっと趣のある感じにできたのかもしれないなと思っています。
―― 今後も絵本を作ってみたいですか。
この絵本が読者の方々の手に届いて、子どもたちにちゃんと読まれているんだということがわかれば、無駄骨でもなかったなと思えるので、また作ってみたいですね。子ども時代に大人の世界に憧れた僕みたいな子が、この絵本の中に広がる世界に興味を持ってくれたらいいなと思っています。