映画「木挽町のあだ討ち」渡辺謙さんインタビュー 分断と不寛容の時代「解決方法、この作品が見本になる」
――渡辺さんは映画化が決まる前から原作ファンだったそうですが、どんなところに魅力や面白さを感じましたか。
時代背景や話の舞台が芝居小屋であることはもちろん、ある種、黒澤明監督の「羅生門」のように何が本当かがわからない。それぞれのキャラクター設定も非常に面白く、様々な人を介して薄紙がどんどんはがれるように謎が暴かれていくという展開はミステリー小説として面白かったので「さもありなん」という感じでスイスイと読めました。
――実際に本作を実写化するというお話を聞いた時は、どんな思いがありましたか?
以前、本作の監督の源さんと別作品の打ち合わせをしている時に「この『木挽町のあだ討ち』って面白いんだよ。どこかで映画にしないかな」なんて言ったら、実はもう話が進んでいて(笑)。ただ、実際に2時間弱の映像で見せていくためには、原作通りには絶対いかないと思っていたので「映画になったらどんな風になるかな」という別の期待はありました。
――原作ではなかなかその姿が見えなかった加瀬総一郎を映画では主軸とし、仇討ち事件の真相を追うという、映画ならではの展開についてはいかがでしょうか。
原作では、読者の目線で事件を追いかけていくという感じだったけど、映画の設定では彼(総一郎)がそれを担う。実際「仇討ちの真相は何だったのか」ということを総一郎が芝居小屋の面々に当たっていくにつれて「菊之助はこういう人たちに守られていたんだ」ということが分かっていく。
そこから話が進み、ミステリーが解明されていくという筋立てや、木戸芸者の一八や、女形をしていた森田座の衣裳方・ほたるなど、芝居小屋に関わるキャラクターも映画ならではの描かれ方をしていたので、そういう意味ではとてもうまく出来た作品だなと思います。
――本作で演じた森田座の立作者・篠田金治の印象を教えてください。
当時の芝居小屋の人たちって、社会から阻害されたりはじかれたりして、ある意味、ちょっと「あぶれ者」なんだよね。金治自身も「侍」という立場を捨てて芝居の世界に飛び込んだ人だけど、優しさがベースにあるので、みんなを包み込みながら「なんか面白いことやろうぜ」という人なんです。プロデューサーでもあり、ディレクターでもあるような感じがして、僕たちの世界と似ているなという印象を受けました。
――金治を演じる上で心がけたことはありますか?
基本的に「仇討ちの真相は何だったのか」というところをなかなか明かさないまま物語を引っ張っていかなければいけないので、ちょっとミステリアスな部分と、何となく奥歯にものが挟まっているような感じでいきたいなと思っていました。
後は先ほどお話した「包み込むような感じ」というのも、菊之助に対しても他の座員や芝居小屋の連中に対してもあって、割と温かい目でみんなを見ていたと思います。ただ、その奥にある「なぜ菊之助は仇討ちをしなければならなかったか」ということについては、金治は菊之助の母親から話を聞いているので、そこはあやふやにせず、亡くなった菊之助の父親の精神もちゃんと受け止めながら「じゃあどうしていくか」と考えていったのだと思います。
――金治は武士の家系に生まれながらも、刀を捨て、芝居の世界を選びましたが「何か選ばなかった人生」を背負う覚悟みたいなものは、演じていてどのように感じましたか?
きっと、武家のルールや縛られるものに嫌気が差したような気はするんですよね。だからこそ、菊之助や、職責に耐えかね乱心した末、命を落とすことになった彼の父親が背負わざるを得なかった、ある意味、馬鹿馬鹿しいものを受け流していく感覚になったんだろうなと思います。その覚悟はよく分かるんだけど「でも、そんなことじゃないだろう」という思いも多分あったんじゃないかなと思うんですよ。
僕もあまり“切った張った”の世界は好きではないので、この作品のメインテーマにもつながる「傷つけ合うのはやめようよ。傷つけなくても解決する道はいくらでもあるんじゃないの?」ということを多分、金治も感じたし、考えたと思うんです。武士の家に生まれて、ある程度、侍としてもちゃんとしていたはずなんだけど、そこからドロップアウトして投げ捨てることに、躊躇はなかったような気がします。
――「仇討ち」と銘打っているものの、義理人情や人が人を思う気持ちなども描かれていましたが、渡辺さんが今の時代にこの作品を届ける意義をどんなところに感じていますか。
今は社会が真っ二つに割れてしまったり、自分とは違う考え方をあまり寛容できなかったりするような時代だと思うんですよね。でもそれを論破するのではなく、理解し合いながら、ソフトランディングしていくような解決方法は必ずあるんじゃないかという気がするんです。この作品が導くものが、その一つの見本になるんじゃないかなと思っています。
――昨今の出演作で言いますと、映画「国宝」「盤上の向日葵」、そして本作と、実写化作品の出演が続いていますが、原作がある作品に出る時に、ご自身で大切にしていることはありますか?
映像化するには、原作からの飛躍が必要だと思うんですよね。筋立てやストーリーテリングにしてもそうだし、特に「国宝」は長尺の原作ですから、全てを拾い上げることはできない。なので、いろいろな要素を埋め込もうとすると、かえってそれが邪魔になったりもするので、あるキーワードだったり「これがこの作品の核、この人物の核だよね」というものを原作の中から自分の中に落とし込んで、映像の中で流れていく時間みたいなものにうまく身を任せていこうかなと思っています。あまりそれに抗ってしまうと、変に突出したり流れを阻害したりしてしまうのでね。
――例えば今回の原作ですと、金治は第5章をメインに登場しますが、ここから何か抜き出して演じる参考にしたところはありますか?
その作品の「核」みたいなものをまず自分の中から拾い上げていくというやり方ですね。金治の場合、元武士で今は立作者という人生の筋立てを変えた人間ということだけピックアップして、あとは映像の中の流れみたいなものを考えました。例えば、金治が菊之助の母親と会ってからは謎解きがガッと進んでいくので、それまでは割と淡々と、あまり感情や思惑などは見せない感じにはしていました。
――役と作品全体の序破急のような構造を意識されたということでしょうか?
大きく言うと、映画の中にはそれはあると思うんですよ。その流れの中で、どこに自分が出るんだというところは意識しました。
――お仕事柄、原作本を読むことも多いと思いますが、普段はどんな本を手にすることが多いですか?
僕はミーハーなので、芥川賞や直木賞を受賞した作品や、話題になっている本はすぐに買っちゃいますね。最近は目が退化してきたので、電子書籍で買って、画面を明るくして読むこともあります。特に時代小説は好きで、片っ端から読んでいますね。この年齢になってくると、人間の機微に触れるようなお話の方が読んでいて落ち着くんですよ。若い頃は切った張ったみたいなものを面白がって読んでいたけど、最近は壮年の人が主人公の作品をよく読んでいます。
――映画「国宝」をはじめ、「SHOGUN 将軍」など、日本の文化や歴史を扱った作品が海外でもより注目されているという状況をどうとらえていますか。
時代劇だから受けるということでは全くないと思います。ちょんまげをしていようが、刀で切った張ったをしようが、心に何か引っかかるような、残っていくようなお話がないと、箸にも棒にもかからないと思うんですよね。結果的に人に面白がってもらえるものって、お話が面白いとか、どこか現代にも通じるようなエッセンスが入っていないと伝わらないんです。それは日本でも海外でも一緒だと思っています。
――本作のストーリーを含め「芝居だからこそできること」があるのだと改めて思いました。渡辺さんはここまで役者として生きてこられて、お芝居の力をどんなところに感じていますか?
コロナの時「僕たちは何を生み出しているのか」ということをとても考えたことがあります。僕らの仕事は実業ではないので、人の役に立ったり、暮らしが便利になったりするものを作っているわけじゃないんですよね。なおかつ、変な話「僕たちが作った作品はこういうことなんです。分かったでしょう?」と言うこともできないわけですよ。なので、非常にあやふやだし、目には見えているけど、そこに映っているものをどう受け止めてもらえるかは、それぞれのジェネレーションや、ある意味インテリジェンスもあるので、思った通りには全くいかないわけです。
ただ、僕らがそれを強く思っていないと、やっぱり伝わらないよねということはすごく感じています。さきほどお話したように、対立したり、力ずくで何かを勝ち取ったりしようとすれば、そこで人は傷ついたり傷つけ合ったりしてしまうし、それで解決する問題ではない。だけど、もしかしたらエンターテイメントの力でその角を取ったり、包み込んだりすることができるのかなと思っているし、そんなことができるんじゃないかという思いが、僕はこの映画に込められているような気がしています。
――先日出演されたラジオ番組の中で「役になりきることはない」といったお話をしていましたが、その真意とは?
もちろんその役を生きるということはとても大事なことだけど、もう一個、俯瞰的に「今はこういう状況のシーンだから、これくらいのゲージでやらないとダメだよね」という意識を持たないといけないと思っています。 役になりきっているとそうはいかないし、その役の人生のスパンで生きてしまうんです。なので、自分でちゃんとその人の人生の目盛りを操作できるようなスタンスを保ちつつ、自分の体を貸すような感覚ですね。
――これまで様々な役を演じてきましたが、今後やってみたい役や作品はありますか?
50歳を過ぎたあたりから、ゴールや目標はないですね。それに、僕のつたない頭で考えるよりも、才能ある人が「渡辺謙にこういう役や作品をやらせたいな」と思ってもらえることの方が、僕が思いもつかなかったようなことがあったり、思いもよらぬオファーがあったりするので面白いんです。そうやって面白がれる仕事が来た時に、ちゃんと自分が挑戦できるようなスタンスでいたいなと思います。
――何があるかわからないのが人生ですが、それを面白がれるのは素敵ですね。
僕も30代で急性骨髄性白血病を発症し、その後再発も経験するなど、今まで何が起こるかわからないことばっかりでした。でもその分、許容量が増えて底が厚くなった気がするんです。簡単に沈まなくなったというか、何回落ちることがあっても、またグッと浮上できる感覚はあるので、怖がらないわけじゃないけど、先の見えない不安だけに縛られないところはあると思います。