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「山人が語る不思議な話 山怪朱」 (第6回) 山の怪は山の恵みと同様にバリエーション豊かだ

©田中康弘(山と溪谷社)・水谷 緑/小学館

「熊」という漢字の成り立ちは、「能」がすでに尾を振り上げて口を開けたクマを表し、その下に燃える火を置いたのだという。これはクマが火の精霊とされていたからだとか、諸説あるらしい。新聞の一面下にあるコラムみたいな書き出しで恐縮です。まじでどこかの新聞とかぶっていたらすみません。
 昨今のクマ被害の深刻さを考えるにつけ、「熊」という字面のただならぬ物々しさもいっそう深まって見える。火を手懐けたサルとして地球を我が物顔で闊歩しているわたしたち人類は、手ぶらになるとめっぽう弱い。相手が小型犬や猫でも、本気で立ち向かってこられたら無傷で制圧するのは至難の業だろう。それが、山の生態系の頂点に君臨するクマと不用意に遭遇してしまった日にはもうひとたまりもない。登別のクマ牧場で飼育されているクマたちはかわいらしくおやつをねだってみせるが、こちらが投げたにんじんを器用にキャッチする前脚には凶器としか言いようのないえげつない爪がついていた。クマという圧倒的な存在への恐怖は、わたしたちが山や自然そのものに対して抱く畏れと似ている。アイヌの人々がクマを「キムンカムイ(山の神)」と呼んだ気持ちがよくわかる。

©田中康弘(山と溪谷社)・水谷緑/小学館

 畏れつつも、人は山に惹かれる。さまざまな目的で山に入り、山で暮らし、山の恵みをいただく。山がそうした人々に気まぐれに見せる怪異を収めたのが「山人が語る不思議な話 山怪朱」①②(原作・田中康弘、漫画・水谷緑/小学館)。田中康弘が収集した数々の「山怪」を収めた同名の書籍(こちらは山と渓谷社発行)のコミカライズ版で、どちらを読んでも面白い。
 クマをも恐れぬ猟師が体験した身の毛もよだつ一夜、観光客でにぎわう高尾山のもうひとつの顔など、「遠野物語」の世界が現代にもちゃんと生き残っていて喜ばしい。狐狸妖怪のたぐいから心霊、神仏、そして分類不可能な、奇妙としか言いようのない現象まで、山の怪は山の恵みと同様にバリエーション豊かだ。怪異の原因や正体の見当がつく話もあれば、単なる笑い話でオチる話もあり、不可解なままの話もある。そこに採話者の考察や予断は入らない。「聞き書き」怪談は、いわば素材勝負のシンプルな料理だと思う。足と人脈でとにかくたくさんの人に出会い、話を聞き集める。産地でしか流通していない、珍しい茸や山菜をいただくような気持ちで読んだ。

 で、何が怖いと思ったかって、人間です。人間の欲深さとか悪どさとかいう話ではなく、「そこにいるはずのない人間がしれっと存在している」気持ち悪さと違和感が強烈な1巻の「闇女」と「あなたはどなた?(前編)」はぜひ読んでいただきたい。
 12月には3巻が発売予定なので、このエッセイを読まれた方と一緒にわくわくと待ちたい。2巻のラストがまた、とんでもない場面で「続く」になっている!

 アイヌの言葉に戻ると、人を食べたクマは「ウェンカムイ(悪い神)」と呼ばれ、畏敬の対象ではなくなってしまう。もちろん、ヒトが勝手に決めたルールに過ぎない。お互いにとっての不幸がこれ以上広がらないことを願うばかり。