清野とおる「壇密」(第8回) 壇蜜っぽい怪異、壇蜜だもんねと納得
もう20年以上前になるだろうか。作家の中島らものドキュメンタリー番組を見た。内容は忘れてしまったけれど、スタッフロールが流れるエンディングのシーンだけは今も覚えている。中島らもが瓶牛乳を飲みながら妻に「牛乳、つめたいほうが好き?」と尋ねる。妻が「ぬるいほうが好き」と答える。ただそれだけのやり取りに「長年連れ添った夫婦でも、まだこんな素朴な会話をするんだなあ」と何とも言えない味わいを感じた。
他者は謎に満ちている。誕生日、血液型、星座、趣味や食べ物の好み、鍵つきSNSの投稿。お風呂ではどこから洗うのか、犬派か猫派か。どんなに気心の知れた相手でも、ふとした折に「えっ、そうなの?」と驚かされる瞬間が誰にでもあると思う。「言ってなかったけどバツイチでさ」とか、「今まで我慢して食べてたけど椎茸は嫌いなの」とか。「実は小説書いてて直木賞の候補になったからあしたの朝刊に載る」、これは親に作家業を打ち明けた2021年のわたしです。よく信じてもらえたなと思う。
さて、『「壇蜜」』(①②清野とおる/講談社)の話でも。カギカッコもタイトルに含まれる『【推しの子】』的スタイル。
壇蜜といえばミステリアス、ミステリアスといえば壇蜜、芸能人の中でも謎指数はかなり高いと言えるだろう。アルカイックな微笑と、角のないまろやかな話し方には唯一無二の魔力がある。「私生活の全てが謎のベールに包まれている」タイプでは決してなく、むしろさまざまなメディアを通じて気前よくベールをめくってくれているのに、そこに佇む壇蜜は霞がかって全貌が見えない。思わず伸ばした手はすかっと宙を切り、数メートル先にはさっきと変わらず微笑む、逃げ水のような彼女がいる。
そんな壇蜜(個人の妄想です)が、清野とおると結婚したというニュースを見た時は「なるほどね!」とひとりで勝手に膝を打った。『ウヒョッ! 東京都北区赤羽』で描かれている、UMA(未確認生物)みたいな濃ゆい人々を次々に引き寄せる清野とおるの磁界がついに壇蜜をも捕らえたのかと深く納得した。そして、清野とおる目線での壇蜜を見てみたい、とかねがね思っていたので、夢が叶って嬉しい。
読んでみると、壇蜜の謎はますます深まるばかりだった。ユニークなキャラクター(かなり表現をマイルドにしております)には相当の免疫と耐性を持つはずの清野とおるが、「初対面→即プロポーズ」からどんどん壇蜜の謎沼に呑まれていく。庶民的な2LDKに住み、S字フックを愛用し、ペットをかわいがる彼女、とだけ聞くとほっこりした話なのに、その2LDKでは夜な夜な怪奇現象が起き、飼っている蛇はなぜか双頭の抜け殻を残す。いったい何なの⁉︎ と読者は慄く。作者も「この家に怪異を呼び寄せているのは壇蜜自身なのでは…?」と慄く。壇蜜だけが何も恐れていない。壇蜜っぽいなあ。壇蜜だもんね。納得する。
作中に「夫だけが知る壇蜜の意外な一面」というエピソードは、実はなかったりする。互いの親に紹介する時も、早歩きで散歩する時も、富士そばを食べる時も、This is me.壇蜜is壇蜜。揺るぎなき壇蜜。それが面白い。呪術廻戦でいうと壇蜜の領域展開のほうが強力だったということか。清野とおるもまた壇蜜に呼び寄せられた怪異のひとつだという気がしてきた。
もっとも、本当に「意外な一面」なんて、もったいなくて秘密にしているだけかもしれない。清野とおる画の壇蜜は本当に美しくキュートで、愛情が伝わってくる。恋は世界で一番美しい病気だと、中島らもが書いていたっけ。