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絵本「ある星の汽車」森洋子さんインタビュー 同じ星に生まれた隣人たちの絶望的な不在を描く

『ある星の汽車』(福音館書店)

「生存にかかわる事情」を抱えた動物たちの時空旅行

――今作の構想はどのようなところから生まれたのですか。

 はじめは、それぞれに事情を抱えた動物や人が、ひとつの夜行列車に乗り合わせるお話でした。もともと私は、心情を動物の姿になぞらえて描くのが好きなんです。古本屋のヤギの店主が良書を選別するため悪書をむしゃむしゃ食べてしまうとか、都会暮らしに嫌気がさしてハイヒールを片方脱いだシロクマのお嬢さん、ツノがぐるぐるねじれてしまうほど思索をめぐらす鹿の書生とか……。

 汽車の座席にはどんな生き物が座っているのか、汽車はどこへ向かって走っているのかと考える中で、乗客は「生存に関わる事情」を抱えた動物そのものになり、汽車は過去から未来へ地球の時空を走ることになりました。

旅人同士のあたたかな一体感を表現

――乗客はドードーの紳士、卵を大事に抱えたオオウミガラスの夫婦、リョコウバトの団体客など。人間の男の子もいますね。

 ストーリーを練っていく中で、登場する動物の種や、人間の数が絞られていきました。男の子はお父さんと旅をしていますが、お父さんが眠っているので、ひとりで車内を歩き回ります。近くの席の、植木鉢を膝に抱くドードーのおじさんと話したり、カエルのお母さんにたのまれて子どものカエルを追いかけたり、オオカミたちの歌声を聴いたりしています。

 同じ汽車に乗り合わせた者同士は、たわいのないおしゃべりをしたり、互いの気配を感じたりしながら過ごしています。旅人としての一体感を、乗客たちの表情や仕草で醸し出せたらと思いました。

 

『ある星の汽車』(福音館書店)より

――鉛筆画のやわらかな陰影が美しく、わずかに使われている赤や黄(金)色が目を引きます。

 夜のいちばん暗い黒から、白く輝く満月、満天の星まで、モノクロ鉛筆でどのように表現できるかを考えました。汽車の外はほぼ空と大地だけなので、雪、風、雨、雷、流星、銀河などを登場人物の心情と呼応させるように工夫しました。水彩絵具は白色と黄(金)色のみで、そのほかの赤や緑などは色鉛筆です。

精緻なディティールにこだわり

――汽車の内装やシルエットも魅力的です。

 汽車については機関車らしいシルエットを探し、C11型蒸気機関車を参考にしました。内装は、私が幼い頃に乗っていた東急玉川線、通称「玉電」の床や壁が木製だったことを思い出し、また鉄部分は少しおしゃれに曲線にしました。座席はビロード張りのイメージです。

――動物を描く際、心がけたことはありますか。

 野生動物を描くときには、まず生態的な特徴をちゃんと描かなければいけないので、いちばんそれを心がけました。たとえば、イリオモテヤマネコとツシマヤマネコは、模様がちょっとだけ違って、目のふちの白いところで見分けます。

 イブクロコモリガエルは、胃の中で子どもを育てて口から出産しますが、いっぺんに産む子どもの数が多すぎても少なすぎてもいけないと、動物学者の今泉忠明先生に、絵を確認していただきました。振袖姿のトキを描いたあと、ハッと気づいて最後の日本産トキ(地域個体群)の一羽はメスでよかったのかと今泉先生に伺ったときは、間違えていたら描き直しだとドキドキしました。

『ある星の汽車』(福音館書店)より

 ドードーは『不思議の国のアリス』でおなじみの飛べない鳥で、かつてインド洋のモーリシャス島に生息し、17世紀後半に人間の手によって絶滅したと言われます。300年以上昔なので剥製も写真も残っていなくて。わずかに残っていた骨の断片などから復元された標本やレプリカなどを参考にしながら、頭の形状や羽毛を描きました。

 衣装・持ち物のディティールは、なるべくそれぞれの生息地の民族衣装やゆかりのものにしました。アマミノクロウサギは大島紬のバッグ、ベンガルトラはネパールのトピ帽子などです。

減っていく乗客たち

――駅に汽車がとまるたびに、動物たちが降りていきます。

 ドードーの紳士は、好物だというカルバリアの種が埋まった植木鉢をもっています。カルバリアという植物は、ドードーが実を食べ、排泄することで、発芽できる共生関係にあったとか。ドードーが地球上から消えた後、発芽しなくなったとも言われているそうです。車掌に何かを告げられた紳士は、植木鉢と一緒に汽車を降りていきました。「私はモーリシャスドードー、どうかお元気で」と男の子に言って。

 

『ある星の汽車』(福音館書店)より

――車内の乗客はどんどん減っていきます。窓から飛んでいってしまう鳥もいましたね。

 アホウドリ(アルバトロスの一種)をどのように描くかが、いちばん苦労したかもしれません。アホウドリは1949年に一度絶滅宣言されましたが、その後に約10羽が再発見されました。汽車から駅に降り立つことは絶滅を意味します。ですから下車させることはできない。どうしたらいいかと散々悩んで、一度窓から飛び立たせることにしました。アホウドリはその後の地道な保全活動の結果、2016年についに新たな繁殖地で人口飼育の次世代になるヒナの誕生が確認されました。これは希望の流れ星とともに描きました。

 研究者の先生にその生態についても伺いました。広げると2メートル以上になる翼で滑空飛行し、北太平洋の空を3000キロ以上移動して、一生のほとんどを洋上で暮らすそうです。人間からははかりしれない能力で、広大な空と海で生きている生き物です。

「竹内レッスン」とバレエ作品「ペンギン・カフェ」に導かれて

――本書を読み、私たちも動物たちも互いに身近にいる生き物なのだとハッとさせられました。

 私が本書を描くもうひとつの導きになったのが、演出家・竹内敏晴さんの主宰される、からだとことばのレッスン「竹内レッスン」と、2010年から新国立劇場で公演されているバレエ作品「ペンギン・カフェ」(デヴィッド・ビントレー振付)。ウェイター姿で登場するペンギンをはじめ、ヒツジやモンキーが次々に踊りだします。でもこの陽気なダンスを披露している動物は実は絶滅、あるいは絶滅危惧種ばかりというバレエ作品です。

 新国立劇場バレエ団のプリンシパルである米沢唯さんは、実は私にとって恩師となる竹内さんのお嬢さんです。私は「竹内レッスン」に2004年、45歳の時に出会いました。ある美術大学で学生さんと一緒にレッスンを受ける機会があったんです。その折、自分の周りの狭い世界に風穴が空いたように感じて、そのおもしろさにのめりこみました。竹内さんが亡くなられるまでの5年間、レッスンに通うことで、自分を繕うために高くなりがちだった声が低く、楽に出せるようになって、舞踏家の友人もでき、生き方が変わったように思います。竹内さんが亡くなられた後は、お嬢さんの米沢唯さんの舞台を観ることが、私の「竹内レッスン」になりました。

「ペンギン・カフェ」は上演されるごとに観てきたのですが、ちょうど本書の構想段階であった2022年、ふっと楽しげに踊っているのが絶滅危惧種ばかりであることが気になり出して。生存にかかわるそれぞれの事情をもつ動物たちを絵本で描く、というインスピレーションに具体的につながっていったのです。

鉛筆画への思い、絵本を描く理由

――精緻な鉛筆画は制作に時間がかかると思いますが、鉛筆で絵本を描くのはなぜですか。

 鉛筆で描くのが好きなんです。小学生の頃、近所に日本画家の先生がいらっしゃって、水墨画を習っていました。先生の運筆をよく見てひたすらお手本を模写する古風な指導方法で、友達と通いはじめてすぐに生徒は私一人に(笑)。高校3年生のとき、はじめて美術予備校の夏期講習に行って本格的なデッサンに出合いました。先生のもとで学んだことも下地になったのか、コツをつかんでからはモノクロ鉛筆デッサンが楽しくてたまらなかったです。

 大学では日本画を学び、岩絵具を使っていました。卒業後、公募展に出品しても結果が出ず、長く苦しい年月を過ごしました。30代半ばのあるとき日本画を描くのはもうやめようと。使いこなせない岩絵具ではなく、好きな鉛筆で、馴染みのある世界を描こうと決めて、絵本を作りはじめました。はじめて書店に並んだ絵本が『かえりみち』(トランスビュー)。幼少期に遊んだ60年代の東京・世田谷の路地裏や、井戸や縁側がある家が舞台です。それからずっと鉛筆画で絵本を制作しています。

――森さんにとって、子どもの絵本を描くこととは?

 私は絵を描くことで空間を自ら作り、そこに入って安らぎたいのだと思います。でもそれが一筋縄ではいかず、何かが違う、何かが違うと藪をかき分けていくようです。その藪の中が居場所なのかもしれません。

 読者が子どもであることで表現が甘くなることは決してありません。むしろ、子どもの鋭い洞察力がおそろしいです。今作でも、座席順や網棚の荷物がそれぞれ誰のものであるか、車両の進行方向や造作の細部が間違っていないかなど、もしも子どもたちがページを見比べて間違いを見つけたらたちまち世界が破綻し「あーあ、なーんだ」と幻滅されてしまうと思い、編集者さんと目を皿のようにして確認しました。

『ある星の汽車』(福音館書店)より

二度と戻ってこない、この星の隣人たち

――最後にあらためて本書で描きたかったことを教えてください。

 本書には絶滅した動物がたくさん登場しますが、私自身がその生態にもともと詳しかったわけでは全くありません。描きたかったのは「いるのが当たり前だった隣人の、永遠の不在」です。刊行後、絵本を読んだ方から『銀河鉄道の夜』の世界のようだと感想をいただくことがあります。私が『銀河鉄道の夜』の世界に触れることができたのもまた「竹内レッスン」がきっかけでした。

「『カムパネルラ、僕たち一緒に行こうねえ。』ジョバンニが斯(こ)う云いながらふりかえって見ましたらそのいままでカムパネルラの座っていた席にもうカムパネルラの形は見えずただ黒いびろうどばかりひかっていました」という文章を読んだとき、内臓を冷たい手でぎゅっとつかまれたような気がしました。それから何度も読み、朗読も聴きました。亡くなる母の病室でも手元に『銀河鉄道の夜』を持っていました。だから『銀河鉄道の夜』は私の中に染み込んでいる作品なのだと思います。

 いなくなるなんて思いもしなかった存在がふいにいなくなる。そして、いなくなったらもう取り返しがつかない。絶滅していく動物たちは音もたてずにいなくなります。私はその絶望的な不在をくっきりさせたくて、カムパネルラのびろうどの座席をイメージしながら、冒頭の賑やかな満員の車内と全く同じ構図で、乗客が次々と降りていった後の車内を描きました。

 それぞれの事情を抱えながらも、同じ汽車に乗っている乗客は、知らない者同士、車両の同じ揺れに身を任せて、おしゃべりや寝息が混ざり合う中で、うとうとするような一体感に包まれます。よくある車内の風景だけれど、その中の誰かがふっといなくなる……。もう二度と会えない種との別れです。この本を読んだ友人が「動物たち、みんな目がきらきらしているね」と感想をくれたとき、確かにその通りだなと思いました。動物たちは誰を恨むでもなく、ただ一日一日を精一杯生き抜いているからかもしれません。

 今作で、隣人がいるあたたかさ、その隣人がふいに黙って消え去り、永遠の不在になってしまう気持ちを表現できたら、と。私自身、制作を通じて、生き物たちは皆、事情を抱えながらも、知られざる能力を発揮して、それぞれの生を精一杯全うする存在なのだと気づかされました。そして隣人たちの絶滅の原因が人類であることも。人類と動物を保護する側、保護される側と分けて考えつづけることはできません。人類だって、この星の一つの種に他なりませんね。