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いとうせいこうさん「日日是植物」インタビュー 園芸生活30年でたどり着いた「生きているだけで御の字」

いとうせいこうさん=有村蓮撮影

植物を育てることと書くことは「同時進行」で始まった

――『ボタニカル・ライフ』から数えると、植物エッセイは3冊目です。園芸家生活も四半世紀以上となりますが、そもそも、いとうさんが植物に魅せられたきっかけは何だったのでしょうか。

 はじまりは、僕が前妻と離婚して一人暮らしを始めたとき。植物を育てるのが好きな母親が「寂しいんじゃないか」って、オリヅルランと金のなる木、笹を送ってくれたんです。後から考えると世話がかんたんな植物を選んでくれたんでしょうけど、それでも枯らしちゃいました。特にオリヅルランは、上の葉がまったくなくなって、根っこが少し膨らんでいるくらいになってしまって。申し訳ないなと思って、根の部分に飲み残しの水をかけていたら、数日後に小さな芽が出たんです。これがもう、本当に原点ですね。まず感激したし、生命のシステムが人間とまったく違うことに驚きました。一度死んだとしか思えない根っこだけの状態でも、生命が絶えない。これは一体何なんだろうって、ものすごく興味が湧いたんです。

 それで、花屋に行くと目についた面白そうな鉢を買う生活が始まって。チャペックの『園芸家12カ月』を読んでいたこともあって、あんなふうにユーモラスに生命を描くことができるのは素晴らしいと憧れて、誰に頼まれたわけでもなく、自分のホームページで観察日記的に植物のことを書き始めて。

――植物を育てることと、植物について書くことは、ほぼ同時に始まったんですね。

 そう。園芸を始めると、次々に面白いことが起きるし、知らなかったことがたくさん出てくる。だから、それを書きたくなるわけです。育てることと書くことが両立していたというか、書くことがなければ、こんなに園芸は続かなかったかもしれない。

ベランダから追い出され、「ルーマー」に

――新作『日日是植物』の冒頭では、ベランダ園芸を主戦場とする「ベランダー」から、室内園芸家「ルーマー」への転身を宣言されています。いとうさんの長い園芸家生活の中でも、大きなターニングポイントです。

 以前は住む場所を選ぶとき、園芸生活を考えて、ベランダが南西向きで、ある程度の広さがあってほしい、なんて考えていました。でも、今はもうそんな場所は植物にとって地獄なんです。夏はサウナみたいになってしまう。

 もともとは自分や家族の生活を優先して物件選びをするようになったから「ルーマー」になったものの、気候変動のせいで、ベランダから完全に追い出されちゃったんですよ。それで、家の中にビニールハウスをつくったり、ハンギングで吊るしたりして、なんとか植物たちが生き延びられる場所を作っている。彼らを夏の暑さから逃がすための、苦肉の策でもあるんです。

 ここ数年は、気候変動にどう対応するかを常に考えているような状態です。この厳しい状況で、いまだに見事に花を咲かせている人たちを見ると、尊敬の念しかありません。公園のひまわりでさえカリカリになっている時代ですから。

――環境が厳しくなる中で、他の方が育てている植物を愛でるのも好きになってきたと書かれていますね。

 先輩方の腕前を見る、前座の落語家みたいな気持ちですよ。「やっぱり師匠はうまいな、芸を盗まなきゃな」って。一方で、植物たちはこれからどうやって生きていくんだろう、と心配にもなります。

夏の「地獄」が生む、春の「躁」

――植物にとっても園芸家にとってもハードモードな時代です。夏の暑さとの闘いは、エッセイにも幾度となく登場します。

 夏が昔よりもずっと長くて、6月から暑くなって、9月になっても残暑、10月でも「秋はまだか」と言っているような状態。日本はもはや1年の半分近くがほとんど夏みたいな国ですよね。そこで植物を育てるのは、本当に大変なこと。そんな中で上手に育てている方々には無条件に尊敬の念を抱きます。きっと早起きしているだろうし、太陽とうまく共存しているんだな、と。僕は同じ失敗を繰り返しがちなので、また枯らすだろうなって思いつつ、ほんとよく植物は僕についてきてくれていますよね。

――夏の過酷さの反動もあって、春の「躁」が年々ひどくなっているそうですね。

 きつい夏を経て冬の間じーっと待っているから、その反動で春が来たら、「うわー、もう何でもやれるんだ!」と思っちゃうんですよ。

 でも実際に、春の喜びはなんとも言えないもの。自分が育てている全ての植物から、小さい緑の物質が吹き出してきますから。今話しているだけでも、すでに躁状態になっています(笑)。そんなものを一つでも目撃したら「うわー、いたー!」って感じ。でも、そのときには、すでにうちの植物全員がそういう、芽吹き状態になっているんですよ。小さかった子どもたちが、いつの間にか小学校に全員入学していたんだ、みたいな気持ちになって、不思議とテンションが上がります。まあ、でも、そこから枯らしていく殺戮の日々が始まるわけだけど(苦笑)。

小さな「監視員」の登場で生まれた新しい視点

――いとうさんの園芸生活の中でもう一つのターニングポイントだなと感じたのが、お子さんが生まれたことです。植物との向き合い方にどんな変化がありましたか。

 それはもう、劇的に変わりました。一番大きいのは、「僕を見ている人がいる」ということです。水をやるにしても、枯れた花や葉を切るにしても、今までは自分勝手にやってきた。でも今は、それをじーっと見ている存在がいる。おそらく不思議に思ったり、疑問に思ったり、あれでいいんだろうかって思ったりしているんだと思うんですよね。そういう視線を感じます。

 いうならば、スーパーで自由自在にスリをしていたのに、急にお巡りさんが常駐するようになって見回っている、みたいな状態(笑)。時には「あれは何で切ったの?」って尋問が始まるわけです。「もう花が終わっていたからだよ」って言っても、「終わっていたかなあ」なんて言われると、答えようがないですよね。

 でも、その視線があることで、僕の書き物にも新しい角度が生まれました。うちの子も植物がやっぱり好きみたいで、種類のことなどもよく研究しているんですよね。「この花には毒があるから気をつけろ」なんて言ってくることもあります(笑)。そうやって他の人がどう目の前の植物を見ているかが分かると、全然違っていておもしろいですね。

――お子さんとの園芸エピソードで思い出に残っていることは?

 シイタケの原木を買って何回か育てているんですが、収穫のタイミングで真剣な言い合いになります。図鑑やYouTubeで知識を得ていて、「これは幼菌が出てきているところだから今がいいはずだ」とか、わが家の農家同士で意見がぶつかるんです。新しい農家のメンバー、ほんとうに強い主張があるんだよね。で、僕が「めんどくさい」なんて言おうものなら、“めんどく”っていう妖怪が出たって思っているらしい。「今は、“めんどく”よりもシイタケなんだ」って言ってきます(笑)。でも、さすがに「幼菌」って言葉が出てきたのにはびっくりしたけどね。

たどり着いたのは「生きているだけで御の字」の園芸スタイル

――はじめのころは花を咲かせることを楽しみにされていましたが、今では観葉植物などの葉ものにまで広がっています。その心境の変化は?

 昔は花を咲かせるのが大好きでした。でも今は、もう「生きているだけで御の字」という境地に至りましたね。この厳しい夏を乗り越えて、ただそこにいてくれるだけでありがたい。

 でも最近は、スーパーアマリリスみたいな、球根だけで水も土もいらずに花が咲く植物がすごく楽でいいな、なんて思っています。置いておくだけですから。ただ、咲き終わった後、このガリガリになった球根をどうすればいいのか、という次の問題にぶち当たっている最中ですが(笑)。その後どうするか問題は……僕がきっと失敗しますから、また連載で報告しますので、楽しみにしていてください。