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「昭和五十年代をさがして」書評 かすむ時代の記憶を呼び覚ます

評者: 御厨貴 / 朝⽇新聞掲載:2026年05月23日
昭和五十年代をさがして: デジタル前夜の暮らしと文化 著者:高野 光平 出版社:皓星社 ジャンル:文学・評論

ISBN: 9784774408774
発売⽇: 2026/03/06
サイズ: 12.8×18.8cm/320p

「昭和五十年代をさがして」 [著]高野光平

 昔語りはなつかしい。他人の思い出に自分の思い出が重なるときは、目の前がパノラマ状に広がるような気分になってとても開放的だ。だが、細部が違うと夢醒(さ)めたりとばかりに、何だ何だこれは!とがっかりもする。昭和50年代、キミと20年の年齢差があることで、時代のとらえ方が重なるときがあり、えっこれは知らんぞとつぶやくときがあり、ついついボクはページを繰ってしまう。
 昭和50年代、キミの指摘するごとく、この時代のくくり方は一般的ではない。もっとも昭和40年代までははっきりしている。それからは国際標準に日本が達したか否か、1970年代、80年代という区切りが普通になった。そんな中で昭和50年代とキミに言われて、正直、時代像はスッと浮かばなかった。だからまず戦後・昭和イメージの昭和末年へのかたよりからキミは言挙げしていく。昭和も戦後20年と昭和末年との中間期が、人々の記憶の中で茫々(ぼうぼう)たりなのだ。
 たばことシャンプーと紅茶キノコから入る最初の章はいい。忘れてたよ、アイテムがすべてというボクらの暮らしと人生。ここで50年代に覚醒させられたボクらに、次いでテレビ、カセットテープ、CD、ワープロが示される。とりわけテレビの番組や土・日放送のディテールは、ボクらにテレビっ子世代を思いださせる。音楽とスポーツの章は、ボクらの個としての体験をはっきりと呼び覚ましてイケル。そうか、管理野球の最初の時代かと思わず手を打つ。
 子どもの章に至って、ちょいと泣かせる。児童文学の悲しみは、ボクが長く感じていたことと同じ。「具体的にはわからなくても、なんとなく悲しい、なんとなく苦しい」はまさにキミの言う通り。図書室で一人割り切れぬ思いにとらわれていたボクは、20年後のキミの似姿に他ならぬ。フジ三太郎とセクハラの小話をはじめ、思わぬ論点が昭和50年代を彩るキミの本には詰まっている!
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こうの・こうへい 1972年生まれ。茨城大教授。著書に『昭和ノスタルジー解体』『発掘! 歴史に埋もれたテレビCM』。