- 吉川永青『徳川か、豊臣か。』(中央公論新社)
- 住田祐『誰が首』(文芸春秋)
- 麻宮好『四十年目の春』(祥伝社)
徳川家康が幼い頃から常にそばで支えてきた股肱(ここう)の重臣・石川数正が、小牧・長久手の戦いの後で出奔し、豊臣に寝返ったことは広く知られている。だがその理由は今に至っても不明だ。
吉川永青『徳川か、豊臣か。』は、家康の命により数正が間者として豊臣に送り込まれたという設定で進む。それを知っているのは家康と数正の他に忍びがひとりだけ。数正の孤独な戦いが始まる。
豊臣に膝(ひざ)を折るにせよ、徳川をできるだけ高く売りつけるにはどうするか。その上で最終的に徳川が天下を統べるにはどうするか。知の黒田官兵衛、和の豊臣秀長らタイプの異なる好敵手との頭脳戦は実にエキサイティングだ。
特に終盤、有名な史実の背後に数正が絡んでいたとする展開には感心した。最後まで徳川の忠臣であり続けた数正。大河ドラマのファンにもお薦めの一冊である。
戦国の〈裏切り者〉の話をもうひとつ。住田祐(さち)『誰が首』の主人公は明智光秀だ。
信長軍が浅井・朝倉との戦いを制した後、朝倉義景、浅井久政、浅井長政の首が六条河原に晒(さら)された。だがある夜、その三つの首が何者かに盗まれてしまう。京の治安を預かる明智光秀は、この失態を隠すため他者の首とすげ替えることを決意。髑髏(しゃれこうべ)になってしまえばばれないと踏んだが……。
この〈首〉の使い方が上手(うま)い。有名な逸話の活(い)かし方も見事で、読者は光秀とともに、いつすげ替えがばれるかとハラハラすること請け合いだ。この〈首〉の一件が思わぬ形で別の〈首〉の話につながっていく構成にも唸(うな)った。
と書くとエンタメ度が高い話のように思えるが、本書の大きな読みどころは、光秀・信長・秀吉の心理戦にある。信長の凶暴さと秀吉の謀略の間で、次第にすり潰されていく光秀。自分が守るもの、目指すものは何かと苦悩する光秀と、それをそばで見守る明智左馬助の思いにも注目だ。
最後に江戸の武家ものから、麻宮好『四十年目の春』を。三十石取りの平侍の四男・清四郎に二百石の郡奉行の家から婿養子の話がきた。清四郎がまだ十歳で、体も小さくひ弱なのに対し、相手の娘・佳乃は年上で体格も良く、薙刀(なぎなた)の鍛錬も欠かさないしっかり者。なぜ自分なのか、こんな家は嫌だ……というところから始まる夫婦の、四十年にわたる物語である。
幼いながら、少しずつ心を通わせる。子が生まれ、育ってゆく。職場で起きる問題。息子たちを襲う試練。夫婦の情、親子の慈愛、兄弟の絆。巡る季節の中で、さまざまな困難に家族で立ち向かう姿に、何度も目頭が熱くなった。
いい物語だ。人が生きていく上で本当に大切なものは何なのかをあらためて思い出させてくれるような、心洗われる一冊である。=朝日新聞2026年9月30日掲載