1. HOME
  2. コラム
  3. ひもとく
  4. 歩くことの哲学 世界とつながる本源的な営み 湯澤規子

歩くことの哲学 世界とつながる本源的な営み 湯澤規子

小田原市(神奈川県)から東京までの100キロを丸一日かけて歩く「東京エクストリームウォーク100」(朝日新聞社主催)で東京タワーに向かう参加者=2025年5月、東京都内

 朝起きて台所に立つまでのあいだ、何もかも忘れて10分歩いて10分原稿を書く。頭を空っぽにすると、風や光、音や匂いを通して世界が心と体に流れ込んでくる。自分の内なる声が聞こえ、記憶が蘇(よみがえ)り、思いがけない思考が生まれて筆が進むこともある。

 歩くことはシンプルだが、とても奥深い日常的な行為のひとつだ。

移動が生む小道

 それゆえ、多くの学者や詩人が歩くことについて思索し、論じてきた。最近では北欧のジャーナリスト、トルビョーン・エーケルンが、病を機に車を降りて歩き始めた経験を『歩くことの人類史』(枇谷玲子訳、平凡社・2750円)に綴(つづ)っている。人類が二足歩行を始め、「意志による移動」が大地に数多(あまた)の小道を生み出してきたこと、人類はハイキング、旅、巡礼など、歩くことそのものを目的とする唯一の生きものであること、歩くことは人生そのものでもあり、二つとして同じ一歩はないということ。詩情豊かにエーケルンは言う、「思考は歩いている時に生まれるもの」なのだと。

 歩いては立ち止まり、方向転換して引き返し、休んで再び歩き出す。歩くことならではの知覚と感覚によって世界を感受する魅力は、ヴァルター・ベンヤミンがパリの街路を論じる時に提唱した「遊歩者」という視点とも共鳴する。

 歩くことには多くの意味が内包されている。とはいえ交通技術が発達し、小道ではなくアスファルトの道路が張り巡らされたモータリゼーション社会を生きる私たちは、歩くことの意味を見失いがちだ。ところが昨今、「街歩き」に魅力を感じる人が増えているという。歩きやすく、歩きたくなる環境を示す「ウォーカビリティ」という概念も都市計画の重要な要素に加わった。

街づくりを開く

 ではなぜ今、「歩く」なのか。その問いに答える北雄介『街歩きと都市の様相』(京都大学学術出版会、3520円)は、建築、環境デザインの分野からユニークな街歩き論を展開した快著である。

 大型バスやマイカーによる大衆観光が興隆した前世紀から、じっくり歩くという観光スタイルが選ばれる新しい時代への移行。その背景には雰囲気や印象という曖昧(あいまい)さを孕(はら)む「感情的な価値」の再認識と再評価があると北は分析する。

 数値化されにくい曖昧な要素を論じる研究は困難とされてきたが、北は世界の集落を訪ね歩いた建築家、原広司が提唱した「様相」という概念を用いて曖昧な街の魅力を可視化する方法を編み出した。

 様相とは、私たちの意識が形成している雰囲気や印象のことであり、この概念を用いれば、「機能(用途や役割)」に偏重するモダニズムが疎外してきた人の感性や経験を掬(すく)い上げることができる。

 北が提唱する探索型フィールドワーク「Walk and Write Method」は、歩いて感じたことを地図に記録するというシンプルな方法ながら、世界の捉え方の根本的な転換を促す。多主体によって可視化された様相を重ね合わせれば、その共通点と相違点を見出(みいだ)す議論ができる。だから専門家に限らず、誰もが参加できる街づくりの民主化と透明化を実現するツールにもなる。

 ならば、学生たちと実践してみたい。そんなことを考えていた時に手に取った胡原おみ『ふたり街あるき』(KADOKAWA、第1巻913円、以降続刊)は、歩くことで世界の見え方がガラリと変わる具体的なスキルを描いた異色のコミックだ。大学生のヒナは偶然出会った街歩きに長(た)けた青年カゲと歩き、視点を共有することで新しい世界に開眼する。圧巻の風景描写を背景に、異なる「ふたり」の感性が響き合う。そんな街歩きの疑似体験をした読後、寺山修司の「書を捨てよ、町へ出よう」という一節が想起され、「歩こう、そして感性を解き放とう」という言葉が思い浮かんだ。ちょうど今は秋。歩くには絶好の季節だ。=朝日新聞2026年10月17日掲載