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映画「すべて真夜中の恋人たち」監督・岨手由貴子さんインタビュー 誰もが抱えるそれぞれの孤独と、孤独の中に宿る光

岨手由貴子さん=有村蓮撮影

©2026『すべて真夜中の恋人たち』製作委員会

「光の映画」を撮るという思い

――まず、原作を読んでの印象はいかがでしたか。

 川上未映子さんの小説には常に覚える印象ではあるのですが、「詩性」を至るところに感じる作品でした。言葉の選び方もそうですが、大きくは「光」というモチーフの扱い方ですね。三束が教師という設定もあり、物理的な存在としての光も語られますが、哲学的な意味で「光」の存在をどう証明するのか、作中の人間関係を照射する暗喩としての光についても語られていて、たくさんのレイヤーがある物語だと感じました。それだけに、映像化することはチャレンジしがいがあると感じました。

―― いま口にされた「光」についてお聞きできればと思います。本作にはさまざまな光があります。海面に反射する光など、眩しめの光もありますが、作品の中核になるのは、基本的には少し薄暗い空間における淡い光ですね。たとえば、冬子の部屋に差し込む光や、レトロな喫茶店における光、もしくは冬子と三束が、ふたりで食事をするレストランの光などが心に残ったのですが、作中で「光」を描く上での意識について、お話しいただけますか。

 本作は、16ミリフィルムで撮影をしています。フィルムで撮るということは、光が過剰に当たっているところが白飛びするのではなく、光としてフィルムに焼き付くということです。通常、撮影後に色を調整する工程があるのですが、本作では基本的にほとんど撮ったままの素材を使って、夜のシーンの暗部もそのままにしています。

 「光の映画」というと、淡い画面や、白っぽい画面を連想する方が多いと思いますが、光を撮るということは、影を撮るということでもあります。ですから、暗部をちゃんと撮るということを、物理的な意味でも、あるいは比喩的な意味でも心がけていました。

岸井ゆきのさんと浅野忠信さんは対照的

―― なるほど。本作の光と影のコントラストは本当に印象的で、「すべて真夜中の恋人たち」を思い出す際には、自然と頭に浮かんできます。そして、光と影のあわいに生きるように思えるのが、本作の主人公となる岸井ゆきのさん演じる冬子と、浅野忠信さん演じる三束ですね。監督として、二人の演技をどのように引き出したのでしょうか。

 岸井さんは原作の大ファンで、それだけに映画化については読者として「やめてほしい」という気持ちもあったようです。しかし、映画化をするのであれば自分が主人公である冬子を体現したいという思いもあり、オファーを受けてくれました。

 原作に強い思い入れがある分、映画のクランクインの前は、かなりナーバスになっていました。読者として育んだ「冬子像」から離れて、映画チームとして目指す「冬子像」をつかむまでは、相当悩んだようです。

 冬子という人間は、単に内向的な人間ではなく、口数は少なくともすごく頑固だし、また自分のスタイルを変えようとしなかったり、はた目からは分からない複雑さも抱えています。私は、そんな冬子の取り乱した部分も含めて表現したいという話をしたのですが、そこでお互いの「冬子像」のすり合わせができたように思います。そこからは、割とスムーズに演出へと移行していけました。

 浅野さんについては、岸井さんとはアプローチが対照的で、原作を読まずに撮影に入られました。

―― そうなんですか。それは撮影の終了まで原作を読まなかった、ということでしょうか。

 俳優によっては原作のある映画に出演する際も原作は読まないという方も多く、浅野さんもそのようです。ですから、ある意味ではフラットに、脚本に書かれている三束という存在を演じていただきました。

 普段の浅野さんは周囲の目を引くかっこいい方ですが、三束はさえない中年男性という設定で、誰も目に留めないような人物です。浅野さんは私が求めていることを理解してくださって、三束のさえなさの理由、そのありようを追求して役作りをされていました。それは冬子も同様で、いわば彼らは、日陰で生きるような男女の組み合わせと言えるでしょう。

それぞれの関係性、それぞれの孤独

―― 本作のタイトルには「恋人たち」とありますが、実際のところ、冬子と三束は恋人の関係になったわけではなく、また、「恋人」という言葉でその関係を割り切れるものではないように思います。また本作では聖や冬子の地元の友人の典子をはじめ、冬子を取り巻く人々とのけっして単純ではない関係も描かれますが、振り返られて、岨手監督は冬子と三束の関係をどのように受け取りましたか。

 私が思う三束は、いうなれば立ち入れない領域を持っている人ですね。冬子に対しても感じがいいし、明確な壁を感じさせないけれど、その一方で、「この人のすべてを知ることはできない」と思わせるものも持っている。そういう三束に対して、恋愛初心者である冬子は無邪気に憧れたり、自家発電で「好き」の感情をどんどん増幅させたりしますが、それは独り相撲のようなもので、「私たち」という単位でする恋愛とは違います。三束は冬子に対して、かつての恋愛経験を重ねて抱くような感情の萌芽は覚えたのかもしれませんが、冬子の感情を同等の大きさで受け止めることはできず、恋愛関係という形には結実しなかったのかなと思いました。

 ただ振り返れば、どんな恋愛も一人と一人がするものであって、「私たち」という単位でするものだとは思っていません。それぞれ執着とか嫉妬心とか別の感情と紐づいていて、それを「恋愛関係」というカテゴリーに入れているだけなんじゃないでしょうか。

 

―― 今のお話と関連すると思うのですが、冬子をはじめとした登場人物は、誰かと一緒にいても、それぞれ「わかりあえない」という孤独を抱えているように思えます。岨手監督は、どのように孤独というものを捉えていますか。

 ビッグクエスチョンですね(笑)。多かれ少なかれ、みんな孤独を抱えているとは思いますが、孤独から目を逸らす方法はあるように思います。それは「空白を埋める」ということです。

 冬子の地元の友人であり、家庭を持ちつつもどこか寂しさを覚えている典子は、家でずっとテレビをつけているタイプの人です。ママ友との付き合いだったりSNSだったり、常に何かの情報が流れ込む中で暮らしている。そうやって、自分と向き合わざるを得ない空白を埋めて、「大衆」のようなものに埋没するんです。一方で、冬子は家でテレビも見ないし、SNSもやっていない。出社しないで一日ひとりで家にいるからこそ、自分の孤独や、自分が個人であることと正面から向き合い続けている。いや、向き合うっていうよりも、それが通常営業っていう感じかな。

――本作では冬子と同世代のふたりの「母」が登場します。本作では、女性が子どもを持つ困難というサブテーマも読み取れるように思えました。岨手監督自身も、子育ての経験や映画づくりとの両立を多くの場で語られていますが、彼女たちに自身を投影させたところはありましたか。

 本作は基本的に、原作の流れをそのまま踏襲しているので、「母」の姿を描くことに個人的な理由があったわけではありません。ただ、彼女たちに共通して言えて、私自身もそう思っていることとしては、子どもを持っても、それはあくまで人生の一部分に過ぎないということですね。「○○ちゃんの親」という呼称が増えたとしても、子どもの人生の脇役になったわけじゃなく、自分の人生は続くんです。

原作の発表から15年 その間に変化したこととは

―― 原作の発表は2011年ですが、映画として結実したのは今年2026年ですね。その間における大きな分水嶺はコロナ禍で、多くの方が、以前よりも自宅にいる頻度が増したように思います。本作では、社会的な背景が前面に出てくるわけではありませんが、基本的には一人自宅で仕事を続ける冬子は、多くの方にとってリアリティのある、自分を投影しやすい人になったのではないかと思います。

 おっしゃる通りだと思います。原作が描いた孤独は人間にとって普遍的なもので、それが現在においても古びないことはもちろんですが、コロナ禍やリモートワークの普及で、現在は一日誰とも話さずに過ごす人も珍しくなくなっています。それだけ、本作を必要とする人は以前よりも増えてきているかもしれません。

 また原作には、「どこまでが誰かの引用の言葉で、どこまでが自分のオリジナルの言葉なのか」という問いがあります。自分が話していることは、結局は誰かの言葉のコピーに過ぎないのではないかという感覚は、原作の発表当時よりも、今のほうが強いかもしれません。SNSではよく誰かの名言や、パンチラインのある言葉を見かけますが、それをさも自分が考えたかのように取り入れて語ることは、今のネット界隈では珍しくありませんよね。自身で思考して考えをまとめる前に、自分の志向に適した言葉が目の前に出てきてしまうから、結果的に自分の本当の感情がわからなくなるようなことは、SNSがより普及した令和のほうが根強いのかなと思っています。

――最後に、岨手さんが好きな本についてお話しいただけますか。

 職業柄、本はたくさん読みますが、ここでは『すべて真夜中の恋人たち』との縁が深い本を紹介したいと思います。本作がクランクアップし、打ち上げを行った際に、岸井さんに本をプレゼントしたんです。そこでお渡ししたのが、佐野洋子さんの『女の一生』(港の人)でした。

 佐野さんが1990年代に発表したエッセイで、2024年に復刊されたのですが、岸井さんも佐野洋子さんのファンだそうで、とても喜んでくれました。私自身もこの本を読み、人生におけるいいことも悪いことも、等しく価値として読み取るような視線が深く心に残り、冬子のことを思い出したんです。「好書好日」の読者さんにも、ぜひ読んでいただきたい本だと思っています。