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戦争の時代を徹底検証 加賀乙彦「永遠の都」

写真・郭允

 版元の新潮社が宣伝の際、「自伝的小説」と書いたのですが、この作品はあくまでフィクションです。陸軍幼年学校在学中に敗戦を迎えた私の少年時代は、ずっと戦争でした。『帰らざる夏』で幼年学校を、この「永遠の都」シリーズで幼少の時代を書きました。
 学生時代からトルストイやドストエフスキー、チェーホフ、トーマス・マンなど19世紀のリアリズム小説を読み、いつかは小説を書こうと思っていた。一代で東京・三田に大病院を作り上げた祖父の日記を譲り受け、いい題材になると思ったのですが……。昭和を書くには生半可ではいかなかった。
 「永遠の都」シリーズ最初の「岐路」を雑誌「新潮」に書き始めたのが1985年、56歳でした。初めての小説「フランドルの冬」を発表してから20年たった、戦後40年の年でした。
 書くにあたっては、トルストイの「戦争と平和」を意識しました。最初はトルストイがそうしたように、自分の一つ上の世代を書こうとした。戦争の時代に壮年として向き合った世代です。しかし祖父の日記を読んでから、さらにその上の世代、明治維新から日清・日露戦争を経験した世代の視点が私の中に生まれた。
 フランスへの留学経験も大きかった。留学前に医務官として東京拘置所で出会った死刑囚や無期囚たちと、北フランスの精神科病院にいた患者たちが同じ症状だった。ドストエフスキーが「死の家の記録」で描いた囚人たちも同じで、「こんなに面白いのはフィクションだから」と考えていたのを覆されたのです。「フィクションを書くには徹底的に事実を知る」という作家の姿勢も理解しました。
 祖父の日記を元にしたノンフィクションの部分もありますが、想像で作り上げた人物の方が、実際の歴史と密接に結びつきました。兄の脇敬助陸軍中尉と弟で音楽と文学を愛する帝大生の晋助が典型です。敬助は二・二六事件を経て陸軍参謀にまでなり、戦後は政治家に転身するしたたかさがある。一方の晋助は、出征した戦場の悲惨さに耐えきれず、自殺します。晋助のような人間を二度と出してはいけない、と戦後70年の今年は特に思います。
 若者の命を捨て石にし、彼らの悲しみや絶望を「お国のため」と是認した時代は何だったのか。私は軍人になるための学校に入りましたが、戦争が終わるとすぐに軍隊は崩壊しました。集団の力は実にはかない。
 平和な時代だからこそ、戦争の時代に何があったかを検証し、悪い部分は断罪しないといけない。そうでないと新しい時代は書けないという思いを持ち、戦後を通して私は考え続けています。小説内ではイデオロギー一辺倒の歴史観はとらなかったが、大人の見方と子供の見方など、複数の視点を併記することで作品世界が重層になるよう、文体にはこだわった。
 この作品を書くために、私は小説家になった。後の「雲の都」シリーズと共に夢中で書きました。二つのシリーズで、二・二六事件の前年から2001年までを描いています。戦前・戦中・戦後を通した小説は、他に類を見ないと思います。(宇佐美貴子)=朝日新聞2015年9月29日掲載