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戦後の切れ目、刻んだ作品たち 歴史学者・成田龍一さんに聞く

写真・郭允

 なぜ、戦争から70年もたっていまだに「戦後70年」と言い続けているのでしょうか。戦後を、「歴史」にするチャンスはこれまで何度もあったのに、まだ引きずっている。1956年、経済白書に「もはや戦後ではない」と書かれました。しかし「戦後は終わった」とその後も繰り返し言われるのが、終わっていない証拠です。
 第2次世界大戦の他の敗戦国ドイツの「戦後」は10年ほどで終わった。戦前の体制を徹底的に解体し、新体制を作ったからです。それに対し日本は、天皇制をはじめ戦前の体制を引きずり、決着をうやむやにした面があります。また、一貫してアメリカの影響下にありました。
 戦後50年にあたる95年は、戦後を終える大きな契機となるはずでした。ところがオウム真理教問題などの新しい事件が起きると同時に、少女暴行事件に怒った沖縄県民の総決起大会など、戦後を通じた問題が噴出した年でした。評論家の加藤典洋さんがこの年発表した「敗戦後論」は、戦後を歴史化しようという問題提起でした。
 しかしこの後、歴史修正主義にもとづく「新しい歴史教科書」を作る動きが現れるなど、戦後を蒸し返さざるを得なくなりました。
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 95年だけでなく、実は戦後には、数々の分岐点、すなわち「切れ目」がありました。その切れ目を探す手助けになるのが、文学や映画です。こうした作品は、時代を形作ると同時に、当時の空気を映しています。たとえば、私が重要な切れ目だと考える50年代後半と70年代後半を、みてみましょう。
 50年代後半〈1〉は、政治の季節と高度経済成長への助走。地域や職場でのサークル活動が全国に広まりました。合唱や詩、映画などで結びつき、自発的な民主主義が生まれ、その後の社会運動や安保闘争を支えました。映画「キューポラのある街」に、吉永小百合さんが工場見学に行った先でみなが合唱するシーンが描かれています。
 70年代後半〈2〉には、平和・繁栄・民主主義を基調とする「戦後思想」が変調します。それまでは、社会の価値は私生活より公の問題にある、という思想が通念でした。指針は丸山真男や吉本隆明です。しかし80年の「なんとなく、クリスタル」で、田中康夫さんは欲望のままの行動を肯定してみせました。山口昌男はトリックスター(道化)論で、真面目一辺倒の思考を揺さぶりました。
 さらには、沖縄や在日韓国朝鮮人の社会をテーマにした「ポストコロニアル」文学も、戦後がまったり続いてきたという見方にくさびを打ち込む表現として注目しています。
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 いまひとつ、世代の切れ目もあります。これまで戦争を語り、戦後民主主義を作ってきたのは戦争体験者であり、さらに大江健三郎さんや野坂昭如さんら、「少国民」として戦争を経験した世代でした。
 しかし近年では若い世代からも、動きが出てきています〈3〉。戦争経験者の「子ども世代」である赤坂真理さんは、12年に『東京プリズン』を、「孫世代」の白井聡さんは13年に『永続敗戦論』を書きました。いずれもアメリカに注目し、敗戦や占領のあり方に焦点をあてています。一歩戦後の終わりに近づいたと思います。
 私たちは戦後を単純化し、当たり前のものとして見がちです。しかし「切れ目」を自覚することで、気づかなかった戦後像が立ち現れてくるはずです。
 (聞き手・宇佐美貴子、高重治香)=朝日新聞2015年1月6日掲載