これ、黒澤明さんの「乱」で、秀虎役の仲代達矢さんが着た衣装の襟を額に入れたものなんですよ。寝間着の上に羽織ってもらうつもりで、持っていた能衣装で作ったら、黒澤さんがものすごく気に入ってくださって。おんなじ柄で四つ額装し、黒澤さんと、フランスのプロデューサーのセルジュ・シルベルマンさん、仲代さんにそれぞれ差し上げました。
黒澤さんとは「デルス・ウザーラ」(1975年)の試写会でたまたまお会いしたんです。「一番好きなのは『マクベス』を翻案した『蜘蛛巣城(くものすじょう)』です」と言ったら「実は『リア王』も考えてる」と。「もしそれをなさる時は思い出してください」って軽い気持ちで言ったんです。
そしたらその後、黒澤さんが「もう一度会ってみたい」と。自宅にあった能衣装や狂言の本をざばーっと車に積んで黒澤さん宅に持って行き、「こういった感じでどうでしょうか」。この時の資料の多さに黒澤さんはびっくりされて、信用してくださったようで、衣装デザインをやることになりました。
ただ、売ってるもんじゃないし、1日15センチしか織れず、1着に3カ月かかる。役者も決まってなかったけど、同時発注しないと間に合わない。それで全部発注したらフランスの外貨持ち出し制限で資金がゆきづまり、制作がストップしてしまった。
衣装は、ひとたびつくりはじめたら止められません。織物だから糸を切っちゃうとどうしようもない。「わたくしの家を売ってでも払います」と言い、織屋さんには「支払いは1年待ってください」とお願いした。それで、生地や衣装ができると黒澤さんに持っていく。そのたんびにものすごく喜んでくださって。幸せな時間でしたね。足軽の衣装は広島・福山のジーンズ屋さんに織ってもらい、自宅の風呂場で地染めし、コインランドリーで乾燥させました。見積もりで何億円と言われた衣装費が、5千万円に収まりました。
黒澤さんとの対話 満ちたエネルギー
半年ぐらいして、朝の6時ごろに黒澤さんから電話があり、「エミさん、心配かけたけどやっとお金が出るよ」。なんかポロポロ涙が出てきちゃった。
私は台本から翻訳し、役者に何を着せればキャラクターを強調できるかをいつも考える。「乱」の次郎正虎の衣装は「血の赤」。4Kデジタル修復されたら鮮やかできれいな赤になって、ちょっと薄っぺらくなっちゃいましたね。
「乱」でアカデミー賞をいただき、世界各地で仕事の機会が増えました。最近は英国と中国で舞台「リア王」、中国・香港映画「ゴッド・オブ・ウォー」、中国のネットドラマ「将軍在上」です。中国はネットドラマにも大予算がついて、視聴者数もすごい。撮影現場に行かなくてもモニターで同時に見られてダメ出しもできる。でも、日本では、映画だと大島渚監督の「御法度」(99年)以来、衣装デザインの仕事をやってないんです。「乱」クラスの衣装は今、日本で全然話がない。
技術を絶やしたくない。未来に残したい。国や資本がどこであろうと、消えていきそうなものを伝えていきたい。中国の映画やドラマ、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場でも生地は京都の職人さんに織ってもらいました。客員教授をしている東京造形大学の学生さんにも一部参加してもらったりしてます。
50年代の終わりから60年代にかけての日本は、今から見れば非常に貧しかったんだけど、舞台には勢いがあって面白かった。それが大阪万博の後、みんなが大きなお金を使えるプロジェクトに参加できるようになって何かが狂ってきた気がする。
「乱」も最終的には日本の映画会社の出資で制作が再開しましたが、きっかけはフランスでした。どこもお金を出すところがなかったところへ、フランスが枠組みを作ったんです。
でも、当時が一番よかったかといわれると、そうじゃない。「乱」の衣装は、私にとっては黒澤さんとの「共同制作」。エネルギーを注いで対話した、あのときのふたりの時間があったからこそ。お金があるかどうかではないんですよ。(聞き手・藤えりか)=朝日新聞2018年6月6日掲載