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「広辞苑」を本でひもとく 活きたことばを採集する人々

『広辞苑』第七版の改訂作業に使用した「校正刷り」の束が棚に並ぶ=東京・神保町の岩波書店

 これほど辞書編纂(へんさん)に注目が集まった時期はない。2011年に三浦しをんの小説『舟を編む』が刊行、ヒットして以降、映画、アニメ、更に漫画化されたこともあり国民的に興味が持続、増幅している。10年の「常用漢字表改訂」以降、関心の高さと符合するように各国語辞典も改訂の時期を迎えてきた。
 今年大きなニュースだったのは、現行で日本最大の国語辞典である『精選版 日本国語大辞典』のアプリが発売されたことと、来年1月に10年ぶりの『広辞苑』改訂新版の第七版が出るという発表だった。

広辞苑の物語

 近年では辞書編纂に関する書籍も多い。本年刊行された『広辞苑はなぜ生まれたか』は『広辞苑』編者・新村出(しんむらいづる)の孫で、フリー編集者・恭(やすし)氏による出の伝記だ。編纂は、家族の理解を得られないと物理的に不可能な仕事だ。専門知識だけでなく、執筆陣や出版社など関係者との人脈、ノウハウ面も親族で継承されるらしい。たとえば言語学や国語学の金田一家や、『新明解国語辞典』の山田家、『大日本国語辞典』の松井家、そして新村家。本には、出の編纂で昭和10年に博文館から刊行された『辞苑』が次男・猛(たけし)による改訂作業で、戦後になって岩波書店から『広辞苑』として発売された経緯が事細かに記される。
 親族の評伝では真偽もあやしくアテにならない、と思うかもしれない。しかし、親族だからこそ入手できる書簡などの一次資料に綿密にあたっている点、さらに著者が『広辞苑』の編纂に直接関わっていない点を見ても、内容の客観性は信用に値する。辞書はたしかに「人」が書いたものであり、また市井の人々にもっとも身近な研究書でもある。そのことを実感させてくれるように、新村出の人となりや研究に関しても、紙幅をたっぷり割いた書籍である。

街角でもメモ

 『辞書に載る言葉はどこから探してくるのか?』は、新語収録に非常に積極的な『三省堂国語辞典』(以下『三国〈さんこく〉』)の編集委員・飯間(いいま)浩明氏の「ワードハンティング」ぶりがうかがえる用語採集の記録だ。『三国』は、見坊豪紀(けんぼうひでとし)という人物が生涯をかけて「活(い)きた用例」を拾い続け、編んだ辞書である。見坊は雑誌や新聞だけでなく、街に出て広告を見たり人々が話すのを聴いた。その中から馴染(なじ)みのない言葉をメモし、実際に使用されていた例として「用例カード」に保存した。これらは145万枚にも及ぶ「見坊カード」として、現在でも三省堂の倉庫に保管されている。
 飯間氏は、秋葉原や深川など様々なニュアンスをもつ「街」に出かけ、現代らしくデジカメで撮影した用例とともに、持論を展開する。例えば高円寺でみつけた「ジャンプ傘」の文字。日本人なら誰もが知るワンタッチで開く傘だが、商標でもないのに、どの国語辞典にも掲載されていなかった。飯間氏は考える。昔からあるのに、なぜ採用されてこなかったのか。一般浸透度の問題か、使用例の少なさか。「ジャンプ」を調べても、「傘」を調べても、おそらく「ジャンプ傘」の意味は推測できない。〈これは次の改訂にいれなければ〉と考える。次の版ができるまでの編者の思考の過程ものぞけ、楽しめる。
 『辞書になった男』は『三国』とおなじ三省堂から『新明解国語辞典』という別の辞典が出版された経緯に迫る。大学の同門だったふたりの編者の人間ドラマも描かれる。NHKのドキュメンタリー番組制作のため取材を行った著者が内容を書籍化した。近年判明した真実も多く読み応え充分。
 辞書を愛する私としては、一人でも多く辞書熱を高めてくれると、仲間が増えてうれしい=2017年12月3日掲載