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三十六歳、甘えるにしかず!? 竹吉優輔

 齢(よわい)三十六である。幼い頃に想像した三十六歳と言えば、社運のかかったプロジェクトを成功させ、私生活では高層ビルで夜景をつまみに美女と乾杯というものであった。まあ、そんな三十六歳は一握りもいないであろうし、いたらいたでいけ好かないのだが……。
 妄想はさておき、現実の三十六歳と言えば仕事では中堅どころ。家庭を築いている人も少なくない。成人とはまた違う大人としての真価や、より多くの責任を求められる年代だろう。
 私の幼なじみにKという男がいる。Kは実に気の良い男で、仕事は電気工事会社の社長をやっている。すてきな奥さんと愛らしい子供三人をこよなく愛し、今日も一生懸命働いている。
 その姿は同じ三十六歳としてはまぶしいほど立派な大人である。仲間内で家庭や仕事の愚痴大会が始まっても、彼だけは絶対に愚痴を言わない。「自分で選んだ道なんだから、愚痴なんかねえな」と公言している男である。
 そんなKのご両親はパン屋を経営されていて、お店に立ち寄るといつも、「あら竹吉君、いらっしゃい」と優しい笑顔で迎えてくれる。
 このお店のパンはお二人の人柄を表すように、最高にふんわりしている。ちなみに私のお目当てはパンでなくアップルパイだ。生地にかぶりつくと、サクッとした感触と同時にホワホワしたリンゴ煮の甘みが舌先をくすぐる。シナモンは使っておらず、リンゴだけのやさしい香りというのも良い。
 執筆に疲れると、店を訪れてしまう。おじさんもおばさんも相変わらずにこやかに迎えてくれる。「疲れてない?」。おばさんにそう聞かれると、私はあいまいに首を振る。すると、「おまけね」とパンも袋に入れてくれる。「いや、払います」と言っても、「息子の友達は、みんな息子みたいなものだから」と笑われるだけだ。
 「この前、○○君や△△君も来たわよ」
 あら……。友人たちもこのお店に癒やされているのだろうか。
 「そう言えばKも最近よく来るのよ」
 ホウ……。その話を是非詳しく!
 「いっつも愚痴だけ言って、パン食べてすぐ帰っちゃうけどね」
 ホッホーウ。私は思わず苦笑する。
あの大人のKもまた、たまには何の責任もない存在でいたいのであろう。
 もしかしたら世の中の大人と言われる人々も皆、そんな場所を持っているのかもしれない。
 お店のパンが大好きだから、お二人ともお元気でいてください。=朝日新聞2017年08月05日掲載