1. HOME
  2. コラム
  3. ひもとく
  4. 米朝首脳会談 「狂騒」後に必要な歴史の知恵

米朝首脳会談 「狂騒」後に必要な歴史の知恵

 異例ずくめの米朝首脳会談だったが、中でも驚いたことが二つある。一つは、トランプ大統領が、金正恩(キムジョンウン)委員長は類いまれな才能の持ち主だと絶賛したことだ。民主主義を掲げる米国の大統領が、人権抑圧で悪名高い独裁者を褒めそやすのは異例である。もう一つは合意文書が曖昧(あいまい)で空疎なこと。「完全かつ検証可能で不可逆的な非核化」という米国の要求は影を潜め、非核化への道筋も示されなかった。北朝鮮は非核化への「努力」の代わりに安全の保証を得たが、全体に外交文書としての価値が疑われる内容の薄さである。
 敵対から蜜月への急転回であるだけに、今後の反動が心配だ。挑発に反応しやすい両者である。合意が曖昧なほど解釈を巡る対立も起こりやすく、いつ「炎と怒り」に転じるかわからない。実務協議がどう進展するかは予断を許さない。

核の脅威見透す

 これから必要なのは、首脳のスタンドプレーよりも歴史の知恵である。北朝鮮の核開発が本格化した1990年代以降、国連安保理の内外で繰り広げられた大国間のつばぜり合いを描く藤田直央『エスカレーション』は、なぜ事態が米朝軍事衝突寸前まで悪化したのか重要な示唆を与えてくれる。常任理事国や日本、韓国が北朝鮮に翻弄(ほんろう)され続けたのは、北朝鮮の核開発への非難で一致しても、危機感を相互の信頼関係の再構築へとつなげられなかったからである。北朝鮮の核・ミサイルを「国難」としながらも、中韓との連携強化に及び腰の日本や、中国による北朝鮮への圧力に期待しながら、「戦略的忍耐」という名の膠着(こうちゃく)状態に陥ったオバマ政権下の米国はその典型だ。
 このような中、非核化の前進に欠かせないのが、核の脅威を見透す人々の声だ。クリントン政権期にロシアや北朝鮮との核交渉に携わったペリー元国防長官は『核戦争の瀬戸際で』の中で、核戦争の危機に強い警鐘を鳴らしている。核拡散と核テロリズムを喫緊の脅威と見る彼は、キッシンジャーらと「核兵器のない世界」を提唱したことで知られる。核兵器の非人道性よりも、テロリストの核保有を危険視する発想には、被爆体験を原点とする日本の反核運動との齟齬(そご)もありそうだ。しかし、核による共滅を避けるために奔走する彼の姿には、立場を超えた説得力がある。

対話支える努力

 米朝会談の「狂騒」が去った今、日本の存在感を高めるには、自らが深く関わるこの地域の歴史を語る言葉を磨くことが急務である。その文脈で、今年が済州島四・三事件から70年であることを想起したい。
 朝鮮戦争に先立つ1948年、大韓民国建設のための単独選挙を控えた南朝鮮では、分断固定化への反対運動が高揚した。済州島では住民の武装蜂起が引き金となり、3万人を超えるとも言われる島民の虐殺事件が起こった。
 文京洙(ムンギョンス)『済州島四・三事件』が浮き彫りにするのは、朝鮮王朝から日本の植民地支配、米軍政の時代を通じて刻まれた、幾重にも交錯する差別、支配、抵抗の構造である。済州島を故郷とする在日の小説家・金石範(キムソクポム)と詩人・金時鐘(キムシジョン)の対談『増補 なぜ書きつづけてきたか なぜ沈黙してきたか』(文京洙編、平凡社ライブラリー・1512円)と併せて読むと、日本の現在が撚(よ)り合わせた糸のようにこの島と、そして南北朝鮮と絡まっていることに粛然とさせられる。
 こうした錯綜(さくそう)する歴史を振り返ることは、未来への展望を開くために不可欠な作業である。米朝であれ、日韓、日朝であれ、実のある対話を支えるのは地道な努力だ。そのような観点から、米朝接近を奇貨として、核や歴史をめぐる問題の本質に立ち戻ってはどうだろうか。=朝日新聞2018年6月23日掲載