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「闘う衣服」「MY DEAR BOMB」書評 服飾の意味づけ、熱く静かに語る

評者: 山形浩生 / 朝⽇新聞掲載:2011年06月12日
闘う衣服 (叢書記号学的実践) 著者:小野原 教子 出版社:水声社 ジャンル:暮らし・実用

ISBN: 9784891768317
発売⽇:
サイズ: 22cm/384p 図版12枚

闘う衣服 [著]小野原教子/MY DEAR BOMB [著]山本耀司、満田愛

 衣服は防寒など機能だけのものではなく、当然ながら着る人の社会的な立場や階級も伝える。暑いのにスーツを着るのはまじめなビジネスマン、という具合に。
 でもなぜ、スーツはビジネスマンの印なのか? 小野原教子『闘う衣服』はロラン・バルト『モードの体系』を援用してそれを記号論的に分析した本だ。そこには暗黙の前提がある。服そのものは布キレに過ぎず、意味はない。雑誌などのメディアが作るファッションや流行が、衣服の外にある社会文化的な意味を、衣服に対応づける。いわば人々を洗脳するのだ。
 本書はまずバルトに倣い、雑誌の記述でその対応付けの仕掛けを例示する。そしてヴィヴィアン・ウェストウッドの服飾デザインの推移や力道山の装い分析で、衣服が持つ意味づけを通じた文化的アイデンティティ構築の手法を示す。さらに女子プロレス分析(ちなみにバルトもプロレス分析で名高い)ではその前提を半歩越えて、コスチュームの意味づけの変遷と、女子プロ興行自体のあいまいな地位との相互作用を示す。目新しい知見ばかりではないが、それを衣服の観点から裏付けることで、本書は対象とファッションの双方に新しい光を当て得ている(マンガは不要だと思うが)。
 この前提はファッションの宿痾(しゅくあ)だ。山本耀司&満田愛『MY DEAR BOMB』は、それを敢(あ)えて黙殺し、服それ自体による意味生成を語り、一方では既存の意味づけを壊す服の夢を語る。それがじきに新しい意味づけに回収されることも、山本は百も承知なのだが。読者を無視したようで実は極度に意識した独白調は、時に気障(きざ)すぎて苛立(いらだ)たしい。だがそれは、その両義的な立場の表現でもある。本書はかように文体や造本まで動員し、外的な意味づけとの静かな葛藤を描く。それこそ山本への国際的評価の一因でもある。
 だが『闘う衣服』が最後に扱うゴスロリファッションは、べつの形でこの前提を超える。ゴスロリは外の意味を参照しない、意匠だけのフェティッシュだ。なのにその装いに「アイデンティティ」を感じる人々すらいるとは? 著者もまだそれを整理しきれず、つい外部の意味を求めて日本自体がファッショナブルだと結論づけたのは強引。だが、対象にのめりこんだ詳細な記述は魅力的で、この対象の奥深さを十二分にうかがわせる。いずれバルトの静的な記述を超えそうな洞察も多く、今後に大期待だ。そしてその未整理な部分も含めて、外部からの意味づけとそれ自体の価値の間を揺れ動くファッションの本質について、この二冊は立場や記述こそちがえ、実は奇妙に似通った相貌(そうぼう)を描き出しているのだ。
 〈評〉山形浩生(評論家)
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 『闘う衣服』 水声社・4725円/おのはら・のりこ 68年生まれ。兵庫県立大准教授 『MY DEAR BOMB』 岩波書店・2940円/やまもと・ようじ 43年生まれ。ファッションデザイナー。みつだ・あい 75年生まれ。ライター。