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「鈴を産むひばり」書評 見慣れたモノが輝き放つ短歌集

評者: / 朝⽇新聞掲載:2010年10月24日
鈴を産むひばり 著者:光森 裕樹 出版社:港の人 ジャンル:小説・文学

ISBN: 9784896292244
発売⽇:
サイズ: 20cm/189p

鈴を産むひばり [著]光森裕樹 

 《ドアに鍵強くさしこむこの深さ人ならば死に至るふかさか》
 
 こんな短歌に出会って、えっ、と思う。私もドアに鍵を差し込んだことはある。その動作を今までに何万回繰り返したかわからない。でも、一度もこんな風に考えたことはなかった。確かに微妙な「深さ」だ。しかし、普通に考えれば、人体に鍵を差し込むなんてこの先もあり得ないのだから、そんなことを考えるだけ無駄。そう思いつつ、ドアから見えない血が流れているようで何か心に残る。
 
 《吾ひとりフロアにくしやみをする時も空を飛びかふ万の旅客機》
 
 また奇妙なことを云(い)われた。その通りには違いないけど、どうしてわざわざそんなことを考えるのか。無駄だろう。でも、こう書かれると、「くしやみ」と共に飛び出した唾(つば)とかウイルスとかが、「空を飛びかふ万の旅客機」とオーバーラップして感じられてくる。余りのスケール感の対比にくらくらする。
 
 《六面のうち三面を吾にみせバスは過ぎたり粉雪のなか》
 
 究極的に無駄なことが書かれている。バスは確かに「六面」だけど、普通はそんな風に捉(とら)えられることはない。しかも、そのうちの「三面」をみせていったなんて、一体どんな意味があるというのか。と云いつつ「粉雪のなか」を過ぎていったそれが、単なる乗り物とは違う存在感(例えば神様の積み木のような)を帯びていることに気づく。
 奇妙な言葉たちが無駄に見えたのは、私自身が日常の合目的意識という枠組みの中に閉じ込められているせいだろう。だが、これらの歌は、その枠自体を組み変えて、新しい世界を作り出す力をもっている。そこでは見慣れたモノたちが日常の目的や役割から自由になって、生まれて初めて出会ったモノのように瑞々(みずみず)しい輝きを放っている。
 
 《野におけば掛かる兎もあるだらう手帳のリングを開いては閉づ》
 評・穂村弘(歌人)
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 港の人・2310円/みつもり・ゆうき 79年生まれ。2008年に角川短歌賞受賞。