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小説を書くのは絶望のない楽しみ 板倉俊之さん「月の炎」

文:野波健祐、写真:有村蓮

 お笑いコンビ・インパルスの板倉俊之さんが今年、4冊目となる小説『月の炎』を出した。バイオレンスの香りに満ちていた過去作と異なり、少年を主人公にしたハートウォーミングなミステリー。東京・新宿「ルミネtheよしもと」でのライブの合間をぬい、新刊について、作家活動について、そして小説とコントとの違いについて、語ってもらった。

――『月の炎』は、青春小説の趣もある物語ですね。それでいて、しっかりと伏線を張り、きちんと回収していく王道のミステリーでもあります。もともと、ミステリーはお好きだったんですか。

 いえいえ全然。読書家でさえなくて、お恥ずかしいくらい。ミステリーを読み始めたのも30歳を過ぎてからで、100冊も読んでいないかもしれません。むしろ読書家じゃなかったから、無邪気に本を書けたんじゃないかな。名作にふれると、自分がそれを超えられるかどうか、恐くなるじゃないですか。知らない分、考えずに書けた面はありますね。

――そもそもなぜ小説を書くことになったんですか。

 10年ほど前に芸人本ブームがあったんですよ。『ホームレス中学生』(麒麟の田村裕)とか『ドロップ』(品川庄司の品川ヒロシ)がベストセラーになりました。たまたま品川さんと一緒に仕事をしたとき、出版社の方から声をかけられたんですね。ただね、自伝を書くほどの人生を送ってないんですよ。地味な人生で(笑)。実話をもとにするとすごく地味になってしまう。それでフィクションでもいいなら、と書いたのが最初の小説の『トリガー』です。

――『トリガー』は、「射殺許可法」が施行された近未来の日本が舞台。各都道府県に1人、拳銃を自由に扱う権利を持った人がいて、自分の判断で「悪」を裁くことができる。絶大な力を得た人間が、その力をどう行使するか。設定がユニークな連作短編です。

 小説の書き方なんてわからないですから、あるルールを決めて、その中でできる限り多くのパターンの話を書いてみようと思ったんです。日常生活でむかつくことって多いじゃないですか。電車の列に横から割り込んできたり、道でぶつかっても謝りもしなかったり。ああいう奴らを銃でバンバン撃つっていうのは、快感だろうなと。現実ではもちろんできない。ならば、そんなことをして捕まらない世界だったら、人はどんな行動に出るだろうか。ゲームやマンガはもともと好きで、まあ一種、字で書いたマンガのようなものですね。

 ただ、書き終えてみて、小説ってなんだろうと興味がわいて、人の作品を読み始めたんです。すると、自分が書いた小説は、ずいぶんと王道の書き方と違うんだなと。視点の置き方なんですけれど、たとえば『トリガー』のある場面で、撃つ人と撃たれる人がいて、撃つ人の視点の文章が次の行では撃たれる人の視点になってる。視点人物があっちこっち行っちゃっている。そうか、ならば今度はずっと一つの視点だけで書いてみたらどうだろうと思って書いたのが『蟻地獄』でした。

――2作目の『蟻地獄』は、5日後までに300万円用意しないと親友を殺される、そんな窮地に追い込まれた主人公がもがきあがくクライムサスペンスです。とにかくハラハラドキドキ。それでいて謎解きミステリーの要素もあります。

 ずっとなめられっぱなしの奴が、最後にお金かっさらうような、かっこいい頭脳戦をやりたかったんです。お金だと似たような話があるので、目玉を持ってくる臓器売買の話にして。ただ、時間はかかりましたね。臓器売買について調べまくったり、山場で出てくるスタンガンを通信販売で買ったり。あのころのパソコンを警察に調べられたら完全にヤバイ人認定されてたと思いますね。

ようやく姪っ子に薦められる小説を書けた

――ここまで犯罪と暴力の要素が多い作品が続いて、一転、『月の炎』は小学生が主人公。舞台も学校を中心とした日常生活が描かれます。何か新機軸を打ち出したかったのでしょうか。

 現実現実したミステリーを書きたくなったんです。でも物理トリックとかは思いつかない。順番に情報を出していくだけでできるミステリーを書けないかなと。ただ、当初は、日蝕のイメージと犯罪とを引っかけて、相当残酷な話にしていたんです。『バトル・ロワイアル』ほどにもさわやかさがないような。書いてる途中、いくら驚かせたいからといって、ここまで人の気分を悪くさせるのはいかがなものかと思ったら書けなくなってしまって。4カ月くらい放っておいて、登場人物を同じのままゼロから書き始めたんです。

――早くに父親を亡くした主人公・弦太ですが、校庭や裏山を駆け巡り、ミニ四駆に熱中する様子がほほえましい。ご自身の体験がかなり反映されているのでしょうか。

 一番確かな情報って、自分の記憶であり、自分の見た景色だと思うんです。学校の形状にしても、記憶から引っ張り出すほうがてっとりばやい。『蟻地獄』に比べれば、ずいぶん書きやすかったですね。漫画『め組の大吾』が好きで、消防士は昔からかっこいいと思っていた職業で、たまたま久しぶりに会った高校の同級生が消防士だったので、いろいろ聞いたりして。あとミニ四駆は本当にハマってました。作中に出てくるパーツを売っているお店も、実在の店をそのままモデルにしてます。いままたはやってるんで、現代の小学生が読んでもそんなに違和感はないと思いますよ。

――ミステリーの性質上、あまり話すとネタばらしになりますが、犯人とその動機に驚かされました。それでいて、結末は全く嫌みがない。

 『トリガー』や『蟻地獄』は漫画化されて、コミックの方が売れているのに、小説はさほどでもないんです。やっぱり小説は女性に受けないとダメなんだなと。銃をぶっ放したり、クライムサスペンスだったり、自分が好きなもの書いたので、今度は女性をはじかないような話にしようとは思ってましたね。姪っ子がよくコントのDVDをみて、その中のフレーズを言ってきたりするんですが、過去の小説は読ませられなかった。ようやく彼女に堂々と薦められる小説ができたと思います。

小説とコントは全く違うもの

――作品を読んでいると、かなり緻密な構成力をもとに書かれているように思います。そんな構成力はコントで培われていたからなのでしょうか。

 小説とコントは、全く別ものですね。そもそも目的が違っていて、僕にとってコントは笑いを起こすのが目的で、小説は人を驚かせたり、感動させたりするための手段。自ずと作り方が異なってくるはずです。コントの作り方は、こういう人格の奴がこういう場所に行ったら、こういうズレが生じて笑いにつながるであろうという狙いの元に、日常の一場面を切り取っていく。ストーリーを作るものではないです。

 一番大きい違いは観客ですね。小説は、読んでいる人の反応を見られない。ときどき、あのページを読んでいるときの読者の顔を見てみたいと思いますよ。そこが物足りない。コントの場合は、ネタの初おろしのときの緊張感はありますけど、まあスベったら直せるし、観客の反応を見ながら微調整できます。小説は出したら終わりですから、そこは怖い。

――それでも小説を書くのはなぜですか?

 僕にとってのコントはパロディですから、世の中にある「当然」を利用して、そこをずらしていく。物語でいえば、みなが知っている昔話を下敷きにして、それを変えていくようなものです。それはそれで面白いけど、小説は下敷きがないのがいい。「この小説、あの作品ぽいよね」と思われてはだめなわけで、そういう下敷きを思わせないストーリーを考えるのは面白いし、好きなんです。

 こんな話をしているとずいぶんストイックな人間だと思われるかもしれませんが、僕はほんとだらしない人間で。たとえばゲームをしていると、数カ月睡眠時間を削ってやりつづける危険な部分をもっている。どこか、すがっているような面がある。小説にもすがっているのかもしれません。ただ、同じすがるにしてもゲームの場合、クリアしたときの充足感の後に、ものすごい絶望感が来るんですよ。誰よりもうまくなって、そのゲームを知っている人の間では自慢できるんだけど、だからなんなんだよと。この夏休みはいったいなんだったんだよと(笑)。小説もゲームのクリアと同じで、書き続けていれば必ず最終行はやってくる。違いは書き上げたものが目の前に残っていることなんです。絶望感はない。

――執筆依頼も続々来てるんじゃないですか。

 依頼が来ようか来まいが、これからも書き続けますから。小説は自由なのがいいんです。一人で書いてる分には誰にも迷惑をかけない。映像だと多くのスタッフが関わるじゃないですか。だからプレッシャーもない。最悪、お声がかからなくても、完成したら持ち込めばいいと思ってます。