各メディアが若者向けの選挙特集ばかり組んでいるが、そもそも大人たちは選挙に向き合えているのか。今回の参院選から選挙権が18歳以上に引き下げられ、約240万人の若者が新たに選挙権を得る。書店には「18歳から~」などと冠した選挙入門書が並ぶが、例えば2009年と14年の衆院選の投票者数を比較すると、約1700万人もの有権者が選挙へ行くのをやめている。入門書を読むべきなのは若者ではなさそうだ。
「中立」とは逃走
乱造されたヘイト本を問うフェアを自ら開催するなど、書店を「闘技場(アリーナ)」と呼び、売り場を浸食してくる「排除の思想」と対峙(たいじ)してきたジュンク堂書店・難波店店長の福嶋聡は「客に自分の偏った思想を押し付けていいと思っているのか?」とのクレームに対し、「偏っているから意見なのであり、中立な立場などもともとない。あるとすれば、それは議論の現場から逃走してはじめて座することのできる『高み』である」と返す(『書店と民主主義』)。「中立的であれ」と強制される矛盾が撒(ま)かれる昨今、持論を揺さぶるための議論の場が失われていく。
中立的であることを甘受する姿勢と、「どうせ変わらない」という諦めは、自らを議論の外に置くという点で似ている。その結果として投票を放棄するならば、それこそ最たる「高み」に思える。三浦まり『私たちの声を議会へ』は、民衆の声を聞かなくなった政治家と、もう届かないと諦める私たちとを、通わせるために「多様な参加の回路」を模索する。議員とは権力者ではなく私たちを代弁する存在であるという、“入門書”が真っ先に教える役務を忘れ、民意を軽視する政治を問い直す。
再び「新判断」?
今回の選挙、自民党は、憲法改正の議論を極力抑えながら選挙戦を進める。国民に気づかれないよう争点を隠していないか、疑いの目を向けるべきだ。改憲を発議するのに必要な議席に達すれば、先の消費税増税延期の際のように「新しい判断」とでも言い始めるのだろうか。
12年に自民党が発表した憲法改正草案を「起草者の身になって」考えた『あたらしい憲法草案のはなし』(太郎次郎社エディタス、800円)は、現行憲法の三原則である「国民主権」が縮小され、「戦争放棄」が放棄され、「基本的人権」が尊重ではなく制限される草案を丁寧に読み解くブックレットだ。「常に公益及び公の秩序に反してはならない」など、この改憲草案が実現すれば新たに増える国民の義務について、後々知らされる前に通読しておきたい。
この草案に浸った後で、現行憲法をいま一度見つめ直すのに有用なのがゴードン『1945年のクリスマス』。弱冠22歳で日本国憲法GHQ草案の作成に参加した彼女は、「女子供」とまとめて呼ばれ、「子供と成人男子との中間の存在でしかない日本女性」を見て、憲法に女性の権利を盛り込むことに尽力した。議論を重ねる中で彼女の提起した人権条項が削られていくが、「男女平等」を一人で守り抜いた。女性活躍や1億総活躍といったスローガンを精査する意味でも歴史を遡(さかのぼ)りながらこの「女性活躍」を体感したい。
昨今、政治家の失言が「真意ではない」との弁明で許容されることに呆(あき)れるが、戦後から現在までに放たれた約500の問題発言を解析した木下厚『政治家失言・放言大全』(勉誠出版、3780円)を開くと、弛緩(しかん)した言葉がいかに政局を変転させてきたか分かる。その多くは不誠実な政治を表出させた。
投票することで個々人の賛意や反意を伝えなければ、政治は居丈高になる。私たちの判断を届ける貴重な機会を、放棄してはならない。=朝日新聞2016年7月3日掲載