本書の出版は、今から21年も前のこと。以来読み継がれて、現在17刷約10万部。特にこの1年は2回も増刷したというから嬉(うれ)しい。本書に息づく民主主義の精神に共鳴した人々から、SNSなどを通して静かなブームが広がっている現実は、「希望」だ。
私がスウェーデンを訪れたのは、ちょうど本書が出版される前年あたり。日本の京都のような落ち着いた学問の都ウプサラの小学校視察で、日本の一斉主義教育にすっかり慣れ切っていた私は、度肝を抜かれたものだ。
「どうして、あの子は廊下で本を読んでいるんですか?」
一人の男の子が、教室から抜け出して廊下に足を投げ出し、夢中になってページを繰る姿を見て、私は校長にたずねた。
「あぁ、彼は、ここで読むのが好きなんです」
こともなげにそう答える校長の笑顔が、脳裏に焼きついている。
時間割も児童の人数分75通りあるという。個別教育の視点が隅々にまで貫かれているのだ。
「あなた自身の社会」。教科書のタイトルにも、日本の公を優先する「公民」とは違って個の人権を尊重し、主権者を育成する思想が浮き彫りになっている。
特筆すべきは、社会の負の面の取り上げ方だ。暴力と犯罪、アルコールと麻薬、いじめ、離婚……。まず、それらの問題の背景に客観的・多面的・科学的に光を当てる。日本の道徳教育が陥りがちな「説教」的にではなく、徒(いたずら)に恐怖心に訴えもしない。「失敗」を犯してしまった場合に立ち直る方策や社会的保障も、複数の視点から丁寧に紹介する。ここには、今後直面するであろう様々な問題に真摯(しんし)に向き合い、乗り越えてほしいという若者への「信頼」が感じ取れる。
世界の177番目と後(おく)れて18歳選挙権導入、成人年齢は2022年から。政府は国連から過度な競争などについて再三勧告を受けるも、改善は覚束(おぼつか)ない。この「子どもの人権後進国」日本で本書が読み継がれていることは、「希望」である。
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川上邦夫訳、新評論・2376円=17刷10万2千部。1997年刊行。本を読んだ人たちがブログなどで感想を発信、それらから静かに広まっていて、ロングセラーになっている。=朝日新聞2018年8月4日掲載
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