京都市在住の作家、塩田武士(たけし)さんの新刊「歪(ゆが)んだ波紋」(講談社)は、誤報をテーマにした五つの物語からなる連作短編だ。グリコ・森永事件を題材に2年前に発表し、山田風太郎賞を受けた「罪の声」に続く社会派小説の第2弾。新聞社やネットメディア、テレビの情報バラエティー番組が抱える危うさに切り込み、情報化社会の歪みを映す。
新聞・ネット・テレビ・・・いびつな情報化社会を映す
開巻の「黒い依頼」は、新聞社の調査報道によるスクープが題材だ。他紙との差別化のために立ち上がった特別チームがタレントの市長選出馬を朝刊で特報するが、本人は全面的に否定。さらに、社会部にはネットメディアの記者から電話が入る。「これは完全な誤報ですよ」――。
誤報をテーマに選ぶきっかけは約2年前、市役所の臨時職員がゲームの世界大会で優勝した、とのニュースが誤報だったと伝える記事を読んだことだった。新聞記者出身の我が身に照らし、「僕なら間違いなく書いてるなと思ったんですよね。一日に出稿するのはそれ一本じゃないし、記者クラブでレク(説明)しましょうってなったら」。
一方、誤報だと判明した経緯にも興味を引かれた。職員は休暇を取ってパリに行ったと話していたが、フェイスブックに投稿した写真などから噓(うそ)が明るみに出た。「みんなが解明していく。その追いつめられ方が非常に今日的で、記者クラブのレクという昔ながらのものとの、新旧の落差が面白かった」。そのとき、「誤報の後にこそ人間性とか真実が浮き彫りになるんじゃないか」と思ったという。
各編には、松本清張の「ゼロの焦点」や「Dの複合」をもじったタイトルを冠した。社会派の代名詞でもある清張は、「短編小説で一番影響を受けた作家。もし自分が短編を書くときには、清張への敬意の表し方をどうするかと考えていました」と言う。
出会いは小学校の入学前。「母親がよく読んでいたんですね。ふつう読み聞かせといえば児童書なんですけど、僕の場合は母が清張を読んだ感想を聴かせられて」。いかにして人は復讐(ふくしゅう)するか、どんないじめられ方をするか。「人間てそんなひどいことできんの、みたいな英才教育を受けて。清張といえば暗い!怖い!というイメージだった」
小説家を志した大学生の頃に本格的に読み始め、松本清張、そして社会派は大きな目標となった。「結局、小説において何が目的かというと、僕の場合は人間を書く、それを通して社会を書くということなんです」と清張との共通点を語る。「テーマを深く考えていって、にじみ出てくるのがストーリー。そこから出てくるのが登場人物。それで連なっていくと言動に軸が通るので、どっしりとしたリアリティーが感じられる」
ミステリー小説の流れのなかで、社会派は、論理的な謎解きに重きを置いた「本格」との対比で語られることが多い。「僕のような本格の才能がない人間が本格をやってしまうと、本当に上滑りしていくんですよね。そこで人が亡くなる必然性みたいなところで悩んだりもするし、数合わせで人が死ぬということに対しては僕は耐えがたい」
一方で、高校生の頃から綾行人(ゆきと)や有栖川(ありすがわ)有栖といった「新本格」の作家たちの作品も読んできた。「やっぱり面白いんですよね。(物語を)どうひっくり返すか、(読者を)どうミスリードするか。エンターテインメントとしての本格や新本格はすごくお手本になって、影響を受けてます」。本作でも、各編の序盤と終盤に意表を突く展開を作るよう意識したという。
デビュー前から見据えていた社会派という山脈。グリコ・森永事件の犯行テープに使われた子どもの声に焦点を当てた長編「罪の声」が高く評価され、「やっとこさ入り口みたいなものが見えた」と手応えを語る。「情報が多い時代だからこそ、切れ味のある断面を小説で示せればと思います」本体1550円。(山崎聡)=朝日新聞2018年8月27日掲載