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「大人の思う子ども」への違和感 辻村深月さんが小学校で出会った本「ズッコケ文化祭事件」

 多くの人がそうだと思うけれど、小学校の図書室には『ズッコケ三人組』シリーズの棚があった。図書室の一角を占める不動の大人気シリーズ。だからこそ、読む前はなんとなく「大人が薦める児童文学」の象徴みたいなイメージを勝手に持っていた。
 その思い込みが根底から覆されたのは、私が高学年になって、最初の『ズッコケ』を手にした時だ。

 忘れもしない、『ズッコケ文化祭事件』。当時からミステリが好きだったので、「事件」と名がついたその本を選んだのだと思う。
 三人組のクラスが文化祭で劇をすることになり、自分が主役を演じたいハチベエは、町に住む作家に脚本を依頼する。数年前に児童文学の賞を取り、これまで一冊だけ本を出したことのある童話作家、新谷敬三氏に。依頼を受けた彼は、「仲良しきょうだいとトンカチ山の大魔王」という脚本を書く。ハチベエたち三人をモデルにした三兄弟が、魔王に攫われた母親を勇気と知恵で助け出す話だ。しかし、クラスの中心メンバーたちが、「そんな話つまらない」と言い出す。「魔王がなぞなぞを出してくるなんて幼稚園の劇みたい」とか「主人公の三人きょうだいが全員男子っていうのが気になる。男女差別じゃないか」とか。
 かくして、脚本は書き直され、地上げ屋が土地の権利をめぐって一家の父親を誘拐する話に。タイトルもなんと「アタック3・極道編」(のちに、先生の説得で「極道編」は削除)。暴力団の事務所に乗り込み、クライマックスは魔王が出すなぞなぞではなく、中味を片栗粉にかえた消火器をまき散らす演出の乱闘に。上演された舞台は全校生徒から拍手喝采となる。

 しかし、「子どもたちなりに多少の手直しを加えました」としか担任の先生から説明を受けていなかった児童作家・新谷氏の怒りはすさまじい。「これが多少の手直しですか」と、担任の宅和先生に詰め寄る。
 私が「すごいものを読んだ」と大人になった今も思う名シーンが、その後に待っている。
 自分の中にある子どもらしさを踏みにじられて憤慨する児童作家と、現実の子どもの成長を信じる宅和先生の、大人同士の真剣勝負、まるで殴り合いのような言葉の応酬。──読み終えて、茫然としながら、泣きそうなくらい感動したのを覚えている。二人の言い合いはショックを受けるほどに怖かったけど、その向こうに「誠実で信じられる大人」の確かな存在を感じた。小学生だった私が当時感じていた「大人の思う子ども」に対する違和感の、およそすべてがそこに説明されていた。
 大人が薦める児童文学、だなんてとんでもない。『ズッコケ三人組』は私たち子どもの味方の本だった。

 大人気シリーズであるがゆえに私はそんなふうに最初誤解から入ってしまったのだけど、大人になって私より年上のファンの人たちの話を聞くと、『ズッコケ』の人気は大人が評価したことでできたものではなく、子どもたちの気持ちが押し上げてきた結果だったということがよくわかる。
 自分の子ども世代にもぜひ読んでほしい、と思うのだが、今の私がそれを言うと「大人が薦める本」になってしまうのが、なんとも悔しく、ジレンマだ。